職務発明の解釈論の際には、殆ど常にオリンパス最高裁判決が引用・参照される。しかし、当職は、オリンパス最高裁判決に関する一般の理解は誤りではないかと思う。
1 特許法35条の趣旨
オリンパス最高裁判決は、特許法35条の趣旨について、以下のように述べる。
「特許法35条は、職務発明について特許を受ける権利が当該発明をした従業者等に原始的に帰属することを前提に(同法29条1項参照)、職務発明について特許を受ける権利及び特許権(以下「特許を受ける権利等」という。)の帰属及びその利用に関して、使用者等と従業者等のそれぞれの利益を保護するとともに、両者間の利害を調整することを図った規定である。」
つまり、特許法35条は、単なる従業員保護(労働者保護)の規定ではなく、使用者と従業員の利益調整の規定であると述べている。この出発点において誤解している向きが多い。
2 特許法35条の強行法規性
オリンパス最高裁判決は、不足額請求の可否について、以下のように述べる。
「いまだ職務発明がされておらず、承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に、あらかじめ対価の額を確定的に定めることができないことは明らかであって、上述した同条の趣旨及び規定内容に照らしても、これが許容されていると解することはできない。換言すると、勤務規則等に定められた対価は、これが同条3項、4項所定の相当の対価の一部に当たると解し得ることは格別、それが直ちに相当の対価の全部に当たるとみることはできないのであり、その対価の額が同条4項の趣旨・内容に合致して初めて同条3項、4項所定の相当の対価に当たると解することができるのである。したがって、勤務規則等により職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させた従業者等は、当該勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても、これによる対価の額が同条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは、同条3項の規定に基づき、その不足する額に相当する対価の支払を求めることができる」
オリンパス最高裁判決は、特許法35条が「強行法規」であるとは述べていない。単に、「職務発明完成前に対価を確定的に決定することはできない」という至極当然のことを述べているだけである。そして、これを前提として、「当該勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても、これによる対価の額が同条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは、同条3項の規定に基づき、その不足する額に相当する対価の支払を求めることができる」として、不足額の請を認めているにすぎない。「職務発明完成前に対価を確定的に決定することはできない」ことは当然であるから、職務発明完成後に確定した「対価」と勤務規則等に規定された「対価」の差額の請求が可能なのも当然である。
3 オリンパス最高裁判決の射程範囲
3-1 以上のように考えると、オリンパス最高裁判決の射程範囲は、「職務発明完成前に対価を確定した場合」に限定されるのであり、多くの職務発明規定に見られるように、「職務発明完成後に対価を確定する場合」には及ばないと解することができる。
3-2 事実関係
ここで、改めて、オリンパス最高裁判決事件の事実関係を確認しよう。
第1審(裁判長は飯村判事)の認定した事案の概要は以下のとおり。
「本件は、被告の研究開発部に勤務中にした、いわゆる職務発明について被告に特許を受ける権利を承継させた原告が、特許法(以下単に「法」という。)三五条三項に基づき、その相当の対価(内金)の支払を被告に対して求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を示した事実以外は、当事者間に争いがない。)
1 当事者
原告は、昭和四四年五月に被告に入社し、昭和四八年ころから五三年まで被告の研究開発部に在籍し、ビデオディスク装置の研究開発に従事した。なお、原告は、平成六年一一月末日、被告を退職した。
被告は、顕微鏡、写真機、精密測定器、その他光学機械の製造販売を主たる業務とする会社である。
2 本件発明
原告は、ビデオディスク装置の研究開発部に在籍していた昭和五二年に、発明の名称を「ピックアップ装置」とする別紙特許目録3記載の発明(以下「本件発明」といい、発明に係る特許を「本件特許」という。)をした。本件発明は、被告の業務範囲に属し、かつ、原告の職務に属するいわゆる職務発明であった。本件特許に係る特許請求の範囲は、別紙特許公報一のとおりである。
被告は、その「発明考案取扱規定」(以下「被告規定」という場合がある。)に基づき、本件発明について特許を受ける権利を原告から承継し、これについて特許出願をして特許権を取得した。
3 被告規定に基づく補償金の給付
(一)原告は、本件発明に関して、被告から、被告規定に基づき、次のとおり補償金、報償金合計二一万一〇〇〇円の支払を受けた。
(1) 出願補償 昭和五三年一月五日 三〇〇〇円
(2) 登録補償 平成元年三月一四日 八〇〇〇円
(3) 工業所有権収入取得時報償 平成四年一〇月一日 二〇万円
(二)被告規定は数度の改訂を経ているが、被告規定のうち右各支払時における根拠となる定めの内容は、次のとおりである(乙二ないし四)。
(1) 出願補償 昭和五〇年八月改正規定
(2) 登録補償 昭和六三年九月三〇日改正規定
(3) 工業所有権収入取得時報償 平成二年九月二九日改正規定
被告が、工業所有権収入を第三者から分割して受領した場合、受領開始日より二年間を対象として、一回限りの報償をすることとされ、また、報償金額の限度額は一〇〇万円とされていた。 」
また、第1審は、被告規定の性質について以下のとおり述べる。
「二 争点2(被告規定の性質)について
被告は、職務発明について、勤務規則等により、発明者が使用者たる会社に譲渡する場合の対価を、あらかじめ定めているところ、これに従って処理されたものについては、改めて個別的に請求することはできない旨主張する。
しかし、被告規則については、被告が一方的に定めた(変更も同様である。)ものであるから、個々の譲渡の対価額について原告がこれに拘束される理由はない。」
3-3 検討
まず、出願補償と登録補償の金額は、発明の完成前に一律に決定されているものと推測される。そうであれば、この部分は、特許法35条の「相当の対価」と一致しないことがあり得ることは当然である。むしろ、一致しないのが通例ともいえる。さらに、これは発明の内容に関係なく支払われるもののようであり、そうとすれば、そもそも、特許法35条の「相当の対価」とは性質の異なるものともいえる。
問題は、実績補償としての「工業所有権収入取得時報償」の部分である。この部分は発明完成前に4つの制限を決定している点が問題である。第1に、ライセンス料が受領できた場合についてのみ規定しており、自己実施の場合の規定がないこと。第2に、ライセンス料の受領開始日より「2年間」という期間制限が課されていること。第3は、「1回限り」という回数制限があること。第4に、上限が設定されていること。ここで、これらの制限を「発明完成前」に決定していることが問題であることを確認したい。「発明完成前」であれば、これらの制限を課すことが合理的か否かは不明のはずであるから、これらの制限が不合理であることは明らかだ。これに対して、「発明完成後」であれば、当該「発明」を評価した上で、一定の制限を課すことは、合理的な場合があり得るし、それは、オリンパス最高裁判決の射程範囲外である。
さらに、「被告規則については、被告が一方的に定めた(変更も同様である)から、個々の譲渡の対価額について原告がこれに拘束される理由はない。」との認定がされている点も注目すべきである。通常、相当の対価額の算定・支払いについては、就業規則の一部として規定されているところ、就業規則については、労働法上、所定の手続きを踏んでいれば、内容が合理的である限り、従業員を拘束するのであり、「個々の譲渡の対価額について原告がこれに拘束される理由はない」との結論にはならない。言い換えれば、オリンパス事件に関しては、就業規則(被告規則)の制定・変更に手続き上の瑕疵があったと推測されるところであり、これとその内容の不合理性(前記の通り)とが相まって、就業規則(被告規則)の従業員(原告)に対する拘束力が否定されたと解される。そうとすれば、適正な手続きの下で、就業規則の一部を構成する合理的な内容の職務発明規定を制定・変更し、かつ、発明完成後に発明の内容を適正な手続きの下で算定された対価額は、従業員を拘束することになる。従って、就業規則の一部を構成する職務発明規定を労働法に従って適正手続きの下で制定・変更することは、オリンパス最高裁判決の射程外であり、コンプライアンスの問題は生じないし、実績補償を「発明完成後の一時金の支払いのみ」とすることも、当該企業の業種・規模及び発明の内容等に照らして合理的であれば、これもオリンパス最高裁判決の射程外であり、コンプライアンスの問題は生じない。もっとも、職務発明規定の不合理性が否定されるリスクの軽減のためには、発明評価に対する従業員の異議申立手続きを設けることは当然として、さらに、当該発明が「顕著な利益」を会社にもたらした場合等には、再評価をするとの例外規定を設けることが有益である。
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