腫瘍特異的細胞傷害性誘導審取
平成22年(行ケ)第10203号 審決取消請求事件
請求認容
本件は拒絶査定不服審判不成立審決の取消しを求めるものです。
主たる争点は,進歩性です。
裁判所の判断は21ページ以下
1 当業者の認識
本判決は、まず、当業者の認識について、3つの公知文献を引用し、「本件優先日(平成9年10月3日)当時,外来の遺伝子を送達して腫瘍(癌)を傷害する種々の試みがなされていたが,導入遺伝子を発現させるプロモーターの活性が不十分であるなどの理由のため上記発現が困難であったり,宿主の免疫反応が障害になったりするなどして,いずれも十分に成功しておらず,これが当時の当業者一般の認識であったことが認められる」と判断しました。本判決は、さらに、2つの公知文献を引用し、「本件優先日当時,遺伝子の発現機構が生体内の何らかの作用によって働かず,導入した遺伝子が発現しない現象(サイレンシング)があること自体は,当業者に広く知られており,対応するプロモーター,エンハンサーと外来の遺伝子を導入しても,所望の結果が得られないことがあることが当業者の認識となっていたことが認められる」と認定しました。
2 動機付けの有無
本判決は、続いて、引用例1について、「引用発明1は,アデノウイルスに腫瘍特異的に発現させることのできる発現シグナル,例えばα-フェトプロテインプロモーターやIGF-ⅡP 3プロモーターを,発現すると毒性のある産物を産生することになる異種配列(遺伝子),例えばチミジンキナーゼ遺伝子(tK)とともに組み込んでベクターとし, このアデノウイルスベクターを標的となる腫瘍細胞に感染させて,感染後発現した異種配列に係る毒性産物で当該腫瘍細胞を傷害する発明であるところ,審決は,上記α-フェトプロテインプロモーター等の発現シグナルをH19遺伝子の調節配列のうちのH19プロモーターと置き換え(相違点(i)),標的となる癌(腫瘍)として膀胱癌を選択する(相違点(ii))ことが容易であると判断したものである」と審決の判断を要約した上で、「引用例1には,「既述のようにこの異種DNA配列は,腫瘍細胞中で特異的に活性を示す発現シグナルの制御下に置かれる。・・・本発明の好ましい態様ではそれらの配列は,腫瘍の原因となるかもしくは腫瘍に関連するウイルスの存在により誘導されるかもしくはその存在下で活性を示す発現シグナルである。エプスタイン-バール(Epstein-Barr)ウイルス(EBV)もしくはパピローマウイルスにより誘導可能な発現シグナルを本発明の構造内で用いることが更に一層好ましい。・・・これらのプロモーターは正常細胞中では不活性であり,かつ腫瘍細胞では活性を示す発現シグナルであってもよい。具体的には,α-フェトプロテインプロモーター・・・,もしくはIGF-ⅡのP3プロモーター・・・は肝臓癌の場合においてのみ成人に活性を示し,これらを本発明の構成内で使用することが可能である」(10,11頁)との記載があるにとどまり,H19プロモーターの使用について記載していないし,これが示唆されているともいい難い」と判断しました。
本判決は、さらに、引用例3について、「引用例3においては,母性発現遺伝子で,タンパク質に翻訳されず, 胚形成から胎児期までの間は豊富に発現するが成人の正常細胞では発現が低く制御されるH19遺伝子が,種々の腫瘍(癌)組織において発現していること,膀胱腫瘍(癌)についてもその発現が見られ,腫瘍(癌)の悪性度の進行に伴って発現が見られる割合が大きくなる(ステージⅡ,Ⅲで6割前後,進行した腫瘍である浸潤癌に隣接した膀胱粘膜上皮内癌では7割程度)ことが開示されているということができる。だとすると,引用例3の記載からは,進行した膀胱腫瘍(癌)細胞においてはもともと細胞内に存在する,すなわち内因性のH19遺伝子が発現している蓋然性が高く,同遺伝子がプロモーター及びエンハンサーを機能させる手掛かりとして有望であるといい得るものである」としつつ、「本件優先日当時,外来の遺伝子を導入して腫瘍(癌) を傷害するのは,プロモーターの活性が不十分であるなどの理由のため困難であるというのが当業者一般の認識であった上,H19遺伝子の生物学的機能は完全には解明されていなかったものである。また,引用例3の表1は,種々の腫瘍においてH19遺伝子の発現の有無の状況が異なることを示すものであることが明らかであるところ,同表には,7例の腎臓のウィルムス腫瘍(癌)のうち4例でH19遺伝子の発現が見られ,また4例の腎細胞癌(腫瘍)ではH19遺伝子の発現が見られなかった旨の記載があるが,引用例6の118頁には,ウィルムス腫瘍細胞株であるG401ではH19遺伝子の発現が見られない旨の記載があり,同一臓器の癌(腫瘍)であっても,H19遺伝子の発現には差異があることが分かる」と認定し、「 引用例3にH19遺伝子の発現の状況が記載されているとしても,この記載に基づく発明ないし技術的事項を単純に引用発明1に適用して,腫瘍(癌)の傷害という所望の結果を当業者が得られるかについては,本件優先日当時には未だ未解明の部分が多かったというべきである。したがって,引用発明1に引用例3記載の発明ないし技術的事項を適用しても,本件優先日当時,当業者にとって,引用発明1のα-フェトプロテインプロモーター等の発現シグナルをH19遺伝子の調節配列のうちのH19プロモーターと置き換え(相違点(i)),標的となる癌(腫瘍)として膀胱癌を選択する(相違点(ii))ことが容易であると評価し得るかは疑問であるといわなければならない」と判断しました。
3 作用効果の顕著性
本判決は、また、作用効果に関し、「本願明細書の段落【0078】には,化学的に膀胱腫瘍を発症させたマウスに対し,H19調節配列を使用した遺伝子療法を施した実施例につき, 「対照及び実験群の間で,腫瘍のサイズ,数及び壊死を比較する。シュードモナス毒素の発現は,マウスの実験群からの膀胱腫瘍内のH19の発現と同時局在化することがわかる。さらに,マウスの実験群の膀胱腫瘍は,マウスの対照群内の膀胱腫瘍に比べてサイズ及び壊死が減少している。」との記載があり(なお,最後の1文は, 「膀胱腫瘍のサイズが減少し,膀胱腫瘍が壊死している」の誤りであることが明らかである。),本願発明1のベクターによって,マウスを使用した膀胱腫瘍に対する実験で,対照群に対して膀胱腫瘍の大きさが有意に小さくなり,腫瘍細胞の壊死が見られた旨が明らかにされている。そして,上記に加えて,本願発明1の発明者らも執筆者として名を連ねている論文である「The Oncofetal H19 RNA in human cancer, from the bench to the patient」(Cancer Therapy3巻,2005年(平成17年)発行,審判での参考資料1,甲10)1ないし18頁には,H19遺伝子調節配列を用いたベクターの効果について,①膀胱癌(腫瘍)を発症させたマウスにジフテリア毒素を産生する遺伝子(DT-A)等を誘導するプロモーターを使用したベクターを投与したところ,対照のマウスに対して腫瘍の平均重量が40%少なかったこと,②ヒト膀胱癌(腫瘍)を発症させたヌードマウスにDT-Aを誘導するプロモーターを使用したベクター(DTA-H19)を投与したところ,投与しない対照のマウスが腫瘍の体積を2. 5倍に拡大させたのに対し,腫瘍の増殖速度が顕著に小さく,広範囲の腫瘍細胞の壊死が見られたこと,③膀胱癌(腫瘍)を発症させたラットに上記ベクターDTA-H19を投与したところ,対照のラットに対して腫瘍の大きさの平均値が95%も小さかったこと,④難治性の表層性膀胱癌(腫瘍)を患っている2人の患者に経尿道的に上記ベクターDTA-H19を投与したところ,腫瘍の体積が75%縮小し,腫瘍細胞の壊死が見られ,その後14か月(1人については17か月)が経過しても移行上皮癌(TCC)が再発しなかったことが記載されている。また,原告
が提出する参考資料である「1.1 Compassionate Use Human Clinical Studies」と題す
る書面(審判での参考資料2,甲11)及び本願発明1の発明者らも執筆者として
名を連ねている論文「Plasmid-based gene therapy for human bladder cancer」(QIAGEN NEWS 2005,審判での参考資料4,甲13)にも,上記④と概ね同様の効果に係る
記載がある」と認定し、明細書の記載事項との関係について、「本願明細書の段落【0078】には,具体的に数値等を盛り込んで作用効果が記載されているわけではないが,上記①,②は上記段落中の本願発明1の作用効果の記載の範囲内のものであることが明らかであり,甲第10号証の実験結果を本願明細書中の実験結果を補充するものとして参酌しても,先願主義との関係で第三者との間の公平を害することにはならないというべきである」と述べ、従って、「本願発明1には,引用例1,3ないし6からは当業者が予測し得ない格別有利な効果があるといい得るから,前記(1)の結論にもかんがみれば,本件優
先日当時,当業者において容易に本願発明1を発明できたものであるとはいえず,
本願発明1は進歩性を欠くものではない 」と判断しました。
さらに、本判決は、被告の「当業者であれば,所望の特性を有するプロモーターがあれば, 必要な活性を示すか否か,その使用の可否を検討するものであり,ある遺伝子のプロモーターが実際に治療に使えるほどに導入遺伝子を発現できるような高活性なプロモーターであるとは限らなくても,それが腫瘍細胞で特異的に発現していれば, その使用を躊躇するものではないとか,引用例3の表1等では,H19遺伝子が腫瘍細胞で特異的に発現することが記載されており,H19プロモーターが機能していたことは明らかであるから,当業者がその調節配列の使用を検討することに何ら論理的無理はないなど」の主張に対し、「導入遺伝子を発現させるプロモーターの活性が不十分であるため,腫瘍(癌)を傷害する遺伝子の発現が困難である等の理由で,ベクターを用いた遺伝子治療が十分に成功してこなかったという本件優先日当時の開発状況及び当業者一般の認識にかんがみれば,基本転写因子がプロモーター領域に結合して転写を開始すれば,エンハンサーの制御の下に遺伝子の発現が行われるという一般的な理解(乙1,2参照)を単純に適用し,本願発明1の進歩性を判断するのでは不十分であることが明らかであるから,被告の上記主張を採用することはできない」と判断し、また、被告の「引用例1は特異的に毒性遺伝子を発現させて腫瘍を傷害する本件優先日前に公知の技術であるところ,審決は,腫瘍細胞とH19遺伝子発現の活性化との関連が引用例3に記載され,またH19プロモーター領域が引用例4ないし6に記載されていることから,上記公知技術の毒性遺伝子の調節配列として,H19プロモーターを用いることは,当業者が容易に想到し得ることである」などの主張に対し、「本件優先日当時の,開発状況及び当業者一般の認識にかんがみれば,腫瘍を傷害する公知の手法(技術)に公知のプロモーターを組み合わせて単純に本願発明1が容易想到であるとするのには疑問があり,また本願発明1は当業者が予測し得ない格別有利な作用効果を奏するから,本願発明1 の進歩性を否定することはできない」と判断しました。
4 コメント
本判決は、優先日における当業者の認識を丁寧に認定した上で、動機付けを否定した点、作用効果の顕著性を進歩性肯定の根拠の一つとした点、明細書の効果の記載に関し、他文献による補充を認めた点において、参考になると思われます。
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