1 現行職務発明制度と動機付け
現行職務発明制度は、発明者に対して相当対価請求権を付与することにより従業員等に発明を促すという動機付けを与えている(以下「インセンティブ・モデル」)との趣旨の説明がなされことがある。
これは、現行職務発明制度の目的の説明として一面の真理を突いているかもしれないが、日本企業の良き人事システムを崩壊させる危険をはらむという意味で、成果主義(成果主義そのものと言っても良い)と同様の問題点を持つ。
2 成果主義の導入と批判
日本企業は、1990年代後半から成果主義を採用し始めた。当初は、日本企業復活のための良薬とされた成果主義も、現在は、厳しい批判にさらされている。
その批判のポイントは、日本型人事システムは、給料ではなく次の「仕事の内容」で報いるシステムであり(使用者と雇用者との長期の継続的関係を背景として賃金は生活保障という視点から設計)、仕事の内容がそのまま動機付けになっていたのに、「金銭」(賃金・報酬)による動機付けシステムである成果主義を導入した結果、様々な弊害が生じたというものである。
3 「発明」の動機付け
企業に属する研究者の「発明」の動機付けは何かということを考える場合、直感的に浮かぶ回答は、「探究心」、「社会に対する貢献意欲」、「名誉」である。当職の理解では、多くの企業に属する研究者は、金銭のためではなく、自然の原理を解き明かすという探求心、あるいは、ニーズを満たす製品を作り出すという「社会に対する貢献意欲」が、動機付けの第一順位であると思う。第二順位は、もちろん、「名誉」であり、これは、「上司、同僚等からの評価」と言い換えても良い。そして、「昇進・昇格」及び「報酬」は、「評価」のメッセージとして機能しているのである。これは、日本中がバブルに踊った高校の最後の1年間と大学の最初の2年間を理系に属してすごした者の実感である。そして、この考えは、マズローの欲求理論とも合致するものであるとともに、「自己実現」を至高の価値の一つとする憲法理論とも合致するし、デシの「内発的動機付けモデル」とも整合する(以下、「バルサモデル」)。
もちろん、「破格の金銭」のために「発明」を試みる研究者もいるだろう。しかし、そのような研究者は、企業に属せず、自ら起業し、会社を上場して巨万の富を手にするというシナリオを描いていたはずである。
これに対して、インセンティブ・モデルは、企業内の研究者は、報酬により発明することを動機づけられると考えるものである(外的報酬モデル又はレアルモデル)。
4 青色発光ダイオード事件判決のインパクト
この風景を一変させたのが、青色発光ダイオード事件判決である。この判決が、「企業に属する研究者がなした発明が事業化された場合、発明者はその利益の分配を受けることができ、巨万の富を得る可能性がある」というように誤って解釈されたため(判決自体は証拠に基づく法の解釈として誤りではない)、企業に属する研究者及び研究者の卵達に誤ったメッセージを送ってしまったのである。それは、「自ら起業するリスクを取らなくとも、企業に属して研究を続ければ大きなリターンを得ることができる」というメッセージである。言い換えれば、ローリスク・ハイリターンの道があることが宣伝されたのである。しかも、発明者である従業員は、事業化リスクを取る必要はなく、また、事業化にあたって貢献した他の従業員の成果にただ乗りできるのである。
しかし、この特殊なフリーライド型ローリスク・ハイリターンという選択肢の存在は、必然的に世界を歪める。このような選択肢があれば、それに飛びつくのが人間である。現に、企業に属する若手研究者の中には、基礎研究やチャレンジングな応用研究ではなく、早期事業化の可能性の高い応用研究を志向する者が多いと聞く。もちろん、そのような志向性の研究者がいても良い。問題は、過度に多くの研究者が、「早期事業化の可能性の高い応用研究」を志向することであり、これは、企業にとっても、日本にとってもマイナスである(合成の誤謬)。なぜなら、企業又は日本が持続的に成長を継続するためには、多様なプロファイルの研究を同時並行的に進めていく必要があるからだ(と想像する)。特に、難易度の高い研究にこそ、有能な研究者を投入すべきであるが、成果が出ない可能性も高い(しかし、30年後に事業に寄与するかもしれない)。他方、難易度の低い研究は、平均的な研究者でも十分であり、成果が出る可能性が高いから、現行職務発明制度を前提とする(同時に報酬モデルも前提とする)限り、有能な研究者ほど損をするという不可思議なことになる。
5 あるべき姿
既に、ツイート等しているように、職務発明制度は、本来、「発明」の促進ではなく、「発明」をベースにした「事業化」の促進という観点から設計されなければならず、それを法が押しつけることは政策的な誤りである。
さらに、前記のとおり、職務発明制度に、「発明」の促進という機能を持たせるとしても、「相当の対価」という「報酬」で発明を動機づけようとすることも、成果主義と同様に、明らかな誤りである。
職発明制度のあるべき姿は、企業の多様な人事システムと調和するもの(例:単に成果だけではなく、プロセス・難易度を見た上で、次の仕事・ボーナス・昇進等で評価する)でなければならず、それ故、法律によるルール化は誤りであり、即刻廃止すべきである。労働者の保護は労働法理に任せれば良く、特許法が介入する局面ではない。現行職務発明制度の解釈は、企業の研究開発における大きな桎梏となりつつあり、このままでは、日本企業の研究開発部門までもが海外移転することおそれがある。個別の企業は、決して、そういうことは言わない(ウチは、研究開発部門を海外移転しますとは言わない)であろうが、これが実現してからでは取り返しがつかないのである。一度逃げたものは帰らない。
6 検討課題
以上の論旨に説得力を持たせるためには、研究者に対する動機付けに関するヒアリング、法と経済学による分析、製造部門の空洞化の経緯、成果主義の検証、等が必要である。
もし、ご協力して頂ける方がいらっしゃれば、是非、ツイッター又はフェイスブックページを通じてご連絡下さい。
参考文献:高橋伸夫「虚妄の成果主義」ちくま文庫
濱口桂一郎「新しい労働社会」岩波新書
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