僕の読書遍歴(1)
僕は本に囲まれて育った。父親は大学教授で本の虫。書斎のみならず、家中に本があふれていた。
子供の頃の僕には読める本はなかったが、「本は面白いもの」という刷り込みがなされたのであろうか、僕は、小学校の図書館にこもる子供になった。
小学校では、江戸川乱歩、ルパン、ローマ帝国衰亡史(の子供版)に夢中になった。ミステリーと歴史好きの萌芽はすでに現れていた。
他方、いわゆる「文学」には全く興味がなかった。記憶に残っているのは、「岩窟王」、「三銃士」くらいか。
中学に入学し、ある国語教師に出会った。「ポケット文庫本を」のスローガンの下、書店で文庫本を買いあさり、次々に読破した。
とはいえ、記憶に残っているのは、星新一のショートショートくらいで、やはり純文学は読んでいない。
もとより、国語の教科書で、「走れメロス」、「山月記」、「名人」などを読み、それなりに楽しめたが、それ以上には進まなかった。夏の課題で「安土往還記」を読んだが、とくに感動はなし。
中学3年時に、東大法学部を意識し始め、テストの点を上げることに夢中になり、ポケットから文庫本は消えた。
高校時代は、勉強と部活に明け暮れる日々で、理系に転校したこともあり、読書に割く時間はなかったが、Z会の通信添削の国語の課題文で、ポストモダン思想に触れていることに大学時代に気づくことになる。
無事東大理科二類に入学し、上京。東大生協で、浅田彰「構造と力」と村上春樹「ノルウェイの森」に出会う。
「構造と力」の明快さに圧倒される中、栗本の「鉄の処女」を読むが、原典を読んで理解できたのが岩井克人のみだったため、経済学部進学を考えるようになる。
一方、「ノルウェイの森」をはじめとする村上春樹の一連の小説を読み、自分の求める小説が何であるかに覚醒すると同時に、「ワタナベ」の生き方に憧れ模倣しようとするようになる。時代もまさにバブルに浮かれ始めていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます