スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

闘病記20/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-12-23 21:26:48 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

9.社会参加

 

中村天風師の考えを教授した友人が定期的に食事、散歩、講演会等に連れ出し積極的に社会参加の扉を開ける手助けをしてくれた。

もう縁が無くなったと思った隠れ家の居酒屋にも同行してもらい以前の1割位であるがお酒を嗜む(たしなむ)ことが出来た。

退院時に「お酒」は無理と思ったのでお酒の好きな私には感慨深いものがあった。私の再来を歓迎した常連客のカウンター並びは変わらず、私の指定席もあった。

但し、妻も同行したのでもう隠れ家ではなくなった。

 

発症する前は生涯現役を標榜していた。それが当たり前と思っていた。会社を定年になったとしても何か仕事が出来る様に現役中から興味あった「企業の倒産・再生・継続」について勉強し中小企業診断士の資格を取得した。

定年後でも生涯現役の実感が得られる様に休日を利用してボランテアの経営相談で腕を磨いていた。

この資格を取得しようと思ったきっかけは知り合いの会社が倒産し社員の苦労を見聞きした時、純真な気持ちで勉強したことではなかったのか。

この資格を利用して定年後も稼ごうと少し欲張りで邪な(よこしまな)考え・行動があった。この機会にすべての行動はボランテアをベースにした。

従来から所属していた神奈川県異業種連絡会議内コンサルタントグループに退院直後妻に同行してもらい顔を出した。皆から温かく迎えてもらった。

従来と同じ様に詩吟の会にも参加した。ほぼ毎週定期的に出席することで行動リズムが出来上がり、少しずつ社会参加している実感も得ることが出来た。月日を経るに従って参画範囲、出席日数を増やしている。

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闘病記19/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-12-23 21:25:46 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

8.実家帰省

 

久し振りに長崎実家に帰省し、母と再会して母は喜ぶと同時に私の不自由な身体をを見て嘆いた。

子供が障害者になったのだから悲しむのは当然である。

改めて、横浜・長崎が遠く隔たっていることを感じ、何故長男でありながら長崎を出て東京方面に就職したのか悔やまれてしまう。しかしこんなことで後悔しては少しも前向きになれない。吉川英治「宮本武蔵」の中に「我事において後悔せず」は、万事において実践すべきことである。

入院当初長崎帰省は不可能と思っていたが、退院後妻と同行であるが1年間に3回帰省できた。少々不具合になったが、都会で頑張って成果を出したではないか。今度は独りで帰省するつもりである。

実家は外風呂の為、身障者にとって風呂に入ることが一大事であり、実家帰省できたとしても入浴は介護施設の世話にならざるを得ないと思っていたことをベースに置くと独りで風呂を使えるのだから以前と変わらない。悔やむことは無い。

 

 本年初めに幼なじみの訃報を聞きお墓参りをした。食道がんの発見から1年前後で亡くなったと聞きまた彼の蔵書2000冊の所有を知った。

定年後地域の為に私設図書館を開設し、憩いの場の提供を夢見ていたとのことで彼の無念さの大きさを推し測ることが出来なかった。それに比べて私は何と弱腰になっているのか。もっと目標があったではないか。彼の奥さんから

「少し位の不自由さを与えられたとしても長生きして下さいね。奥様の為に!!

と励まされた。

強く生きることは義務であると思う。 

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