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「沈まぬ太陽」 で航空会社(日本航空)の闇を描いた作家・山崎豊子さん死去

2013-09-30 21:37:10 | 読書レビュー
2013年9月30日(月)

      作家の山崎豊子さん死去


 広大なスケールの人間ドラマを描いた「白い巨塔」「沈まぬ太陽」などの
 社会派小説で知られる作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名杉本豊子
 =すぎもと・とよこ)さんが29日午前、心不全のため死去した。88歳。
   【時事通信社】  2013年9月30日(月)16:12


山崎豊子さん死去、88歳=「白い巨塔」など社会派小説
 (時事通信) - 2013年9月30日(月)16:12
 

 綿密な取材に基づいて広大なスケールの人間ドラマを描いた「白い巨塔」「沈まぬ太陽」などの社会派小説で知られる作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが29日午前、心不全のため死去した。88歳だった。大阪市出身。葬儀は近親者のみで行う。

 山崎さんは8月下旬から「週刊新潮」で、海上自衛隊を舞台にした長編「約束の海」の連載をスタートしたばかりだった。新潮社によると、既に第1部全20回分の原稿を書き終えていたという。

 京都女子専門学校(現京都女子大)国文科卒。毎日新聞大阪本社入社。当時学芸部副部長だった作家井上靖の影響を受け、1957年に生家の昆布商をモデルにした「暖簾(のれん)」を刊行しデビュー。翌年「花のれん」で直木賞を受賞、退社して専業に。その後「ぼんち」「女系家族」など大阪商人ものを中心に執筆したが、大学病院を舞台に医師の政治的野望や医療過誤裁判を描いた「白い巨塔」(65年)が話題となり、作品は社会的な性格を強めていく。

 70年代から90年代初めにかけて発表した、シベリア抑留体験を持つ商社マンが主人公の「不毛地帯」、日米開戦に翻弄(ほんろう)される日系2世らの「二つの祖国」、中国残留孤児をテーマにした「大地の子」は戦争3部作と呼ばれる。

 日航機墜落事故などに材を取った「沈まぬ太陽」(99年)は、腐敗した組織の中で生き抜く男を描き、「運命の人」(2009年)では沖縄返還をめぐる外務省機密漏えい事件を扱った。

 ほかに「花紋」「仮装集団」「華麗なる一族」など。91年、菊池寛賞。09年、毎日出版文化賞特別賞。

 93年、中国残留孤児の帰国子女に奨学助成する山崎豊子文化財団を設立したことでも知られる。 



山崎豊子さん死去 惜しむ声
 (NHK) - 2013年9月30日(月) 18時51分
 

 作家の山崎豊子さんが死去したことを受けて、山崎さんの小説が原作のドラマや映画に出演した俳優や、交流のあった作家などから惜しむ声が寄せられています。


感謝の想いでいっぱい

山崎さんの代表作でドラマ化もされた「不毛地帯」や「運命の人」、それに「華麗なる一族」で重厚な役を演じてきた俳優の北大路欣也さんは「それぞれの作品を通して心の底からあぶり出されるようなエネルギーと息づかいを体感でき役者冥利につきます。優しく温かい大愛を下さった先生に感謝の想いでいっぱいです」とコメントを出しました。


不正や過ちに敢然と立ち向かった人生だった

ジャンボ機墜落事故と航空会社の闇を描いた山崎さんの小説が原作の映画で、4年前に公開され話題となった「沈まぬ太陽」の主人公を熱演した俳優の渡辺謙さんは「世の中の不正や過ちに敢然と立ち向かった人生だったのではないでしょうか。一度でもご一緒できたことを誇りに思います。次もやってね!という有難いことばをかけてもらったことを忘れません」というコメントを出しました。


今の自分があるのも先生のおかげ

山崎豊子さんの小説、「白い巨塔」「不毛地帯」のテレビドラマで主役を演じた俳優の唐沢寿明さんは、文書でコメントを発表しました。
そのなかで「きょう数年ぶりに「白い巨塔」の制作に関わったスタッフと食事会を予定していました。久しぶりに当時を振り返り、思い出話が出来ると思っていたやさき、山崎先生の突然の訃報を受けて本当にことばがありません」としています。
また、平成15年に民放で「白い巨塔」のテレビドラマに出演した時のことについて触れ「『白い巨塔』の撮影前に初めてお会いしたとき『あなた、いい度胸してるわね』と声をかけていただいたことが今でも鮮明に思い出されます。この強烈なひと言をかけていただいたからこそ、大役を演じ切ることができたと思います。今の自分があるのも、山崎先生のおかげだと思っております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と、感謝のことばをつづっています。


すばらしい才能の持ち主だった

山崎さんと交流のあった作家の瀬戸内寂聴さんは「新しい小説の連載が始まったばかりで、お元気だと思っていたのでびっくりしました。いつも社会問題をテーマに長編の作品を書き、その作品が映画やドラマとしても取り上げられるようなすばらしい才能の持ち主でした。日本文学にとって損失だと思います」と話していました
 



「白い巨塔」「沈まぬ太陽」の山崎豊子さん死去
 (映画.com) - 2013年9月30日(月)17:59
 

 作家の山崎豊子さんが9月29日、心不全のため死去したと報じられた。88歳だった。

 京都女子専門学校(現京都女子大)卒業後、毎日新聞大阪本社入社。当時同社学芸部副部長だった井上靖に師事し、1957年に「暖簾」でデビュー。翌年「花のれん」で直木賞を受賞。91年に菊池寛賞、2009年に毎日出版文化賞特別賞を受賞している。

 社会派作品で知られ、医師たちの野心や医療過誤裁判を描き、田宮二郎主演で映画化された「白い巨塔(1966)」をはじめ、「暖簾」(川島雄三監督)、「花のれん」(豊田四郎監督)、「ぼんち」(市川崑監督)、「女の勲章」(吉村公三郎監督)、「女系家族」(三隅研次監督)、「横堀川」(大庭秀雄監督)、「華麗なる一族」(山本薩夫監督)、「不毛地帯」(山本薩夫監督)など多くの作品が映像化されている。渡辺謙主演、航空機墜落事故を扱った「沈まぬ太陽」(若松節朗監督)は第33回日本アカデミー賞最優秀作品賞など12部門で受賞した。



山崎豊子さん死去:社会的な話題作を次々に
 (毎日新聞) - 2013年9月30日(月)13:42
 

 社会的な反響を巻き起こす話題作を次々と生み出した作家、山崎豊子さんが29日、88歳で亡くなった。精力的な取材と綿密な資料調べで権力の不正を告発し、戦争を憎み、社会の暗部をえぐり出した。

 大阪・船場の昆布屋のいとはん(お嬢さん)として生まれた山崎さんがペンで力を発揮したのは1945年に、毎日新聞大阪本社の学芸部に配属されてから。
 家庭面の担当記者として、ファッションや流行の髪形についての記事を書いた。

 作家専業となってからも、記者時代の取材を生かし、女性デザイナーを主人公にした「女の勲章」などの話題作を矢継ぎ早に発表した。

 重厚な社会派作家として知られるようになってからの取材や資料調べは有名。
 「白い巨塔」は「100の調査材料のうち90%は捨て、生かすのはせいぜい10%」という執筆姿勢から生まれた作品だった。
 「二つの祖国」では、日本、アメリカ、フィリピンの三百数十人から取材した。

 「大地の子」には「作家的な命をかけた」という。中国共産党の胡耀邦総書記と会見し、その後押しもあって、農村でのホームステイなど中国での現地取材は3年間にわたった。取材、執筆には8年かかり、作品を書き上げた後は、過労で1カ月近く入院するほどだった。

 一方、素材の取り扱いを巡るトラブルでも話題に事欠かなかった。
 68年の「花宴」では、一部がレマルクの「凱旋門」の訳文、芹沢光治良の小説「巴里夫人」などからの盗用ではないかと指摘された。
 山崎さんは「文筆上の誤りを犯した」として日本文芸家協会を退会し、1年半後に復帰するまで、執筆活動を一切停止した。

 「不毛地帯」を「サンデー毎日」に連載中には、盗用を指摘する記事を掲載した朝日新聞社に対し、「参考資料の一つ」と主張して提訴し、法廷で盗用の有無が争われた(78年に和解)。

 03年末に全集の刊行が始まったときには「よく歩いてきたものだと思う。小さい山も大きな山脈も断崖絶壁もあった」と話していた。

 「運命の人」で09年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。



作家・山崎豊子さん死去…権力の矛盾切り込む
 (読売新聞) - 2013年9月30日(月)20:46
 

 「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」など、巨大組織の暗部や戦争のむごさを浮き彫りにする長編小説を書き続けた直木賞作家の 山崎 やまさき 豊子 とよこ さんが29日午前2時10分、死去した。

 88歳。告別式は親族のみで行う。

 大阪・船場の老舗の昆布商の家で生まれ、1944年、毎日新聞大阪本社に入社。学芸部記者として在籍中の57年、生家をモデルにした「 暖簾 のれん 」でデビュー。58年、2作目の「花のれん」で直木賞を受賞し、退社して作家活動に入った。

 国立大医学部の教授ポストをめぐる権力闘争を告発した「白い巨塔」(65~69年)以来、「華麗なる一族」(73年)、「不毛地帯」(76~78年)、ジャンボ機墜落事故を招いた航空会社の腐敗体質をえぐった「沈まぬ太陽」(99年)など、綿密な取材に基づく社会派の視点で、不条理な組織体質や権力の矛盾に切り込んだ。作品は相次いでテレビドラマ化されて高視聴率を上げ、映画でも話題を呼んだ。 



戦後日本の闇に迫る…真実追求した山崎豊子さん
 (読売新聞) - 2013年9月30日(月)18:18


渡辺謙 山崎豊子さん悼む「世の中の不正や過ちに敢然と立ち向かった」
 (デイリースポーツ) - 2013年9月30日(月)17:17


唐沢寿明 山崎豊子さん悼む…代表作「白い巨塔」「不毛地帯」に主演
 (デイリースポーツ) - 2013年9月30日(月)16:47
 

山崎豊子さん死去 「命がけの作品」読者魅了 徹底取材でリアルに描写
 (産経新聞) - goo ニュース



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開票0%の「敗北」 橋下にとって屈辱の瞬間  堺市長選挙結果

2013-09-30 00:26:47 | 選挙
2013年9月30日(月)

 堺市長選挙の結果は、約20万対14万の6万票の差で

『維新の会』 が進めようとしている 『大阪都』構想 に反対する現職の

竹山市長の再選が決まったとのこと。

 投票箱の蓋が閉まった直後に、開票0%で、

維新の敗北が各メディアから報道された のにも驚いたが、

上からの強引な手法でファシズムを推し進めようとする『維新の会』に

中世からの自治都市・自由都市である堺市民が拒否反応示した、と言える。

最終開票結果(得票数)は以下の通り

▽竹山修身 19万8431票(無所属・現) 当選
▽西林克敏 14万0569票(維新・新)

  NHKニュース 9月29日 23時32分 より


堺市長選 都構想に反対の竹山氏が再選
 NHK NEWS WEB - 9月29日 23時32分

 
 民主党の推薦や自民党の支持を得たほか、共産党と社民党も独自に支持した現職の竹山氏が、維新の会の新人、西林氏を抑えて2回目の当選を果たしました。

 竹山氏は63歳。
大阪府の政策企画部長などを務めたあと、前回の市長選挙で初当選しました。

 今回の選挙は、大阪維新の会が実現を目指す、大阪府と大阪市、堺市を統合し再編する「大阪都構想」の是非が最大の争点となり、竹山氏は、「堺市をなくしてはならない」と「大阪都構想」への反対を訴えました。
そして、推薦を受けた民主党や支持を受けた自民党などの支持層のほか、いわゆる無党派層からも幅広い支持を集め、2回目の当選を果たしました。

大阪維新の会の公認候補が、大阪府内の市長選挙で敗れたのは初めてです。


竹山氏「市民と維新の会との戦いだった」

 竹山氏は「今回の選挙は、堺市民と大阪維新の会との戦いだった。広範囲な政党や団体、それに市民に支えてもらい、選挙戦を戦い、自由自治都市の堺を守ることができたのは無二の幸せだ。堺を住んでよかったまちにするために、皆さんと共に歩んでいきたい」と述べました。
 また竹山氏は「堺はひとつという大義の下に、立場や信条を超えて皆さんが集まってくれた。大阪都構想はすでに破綻しかかっている。大阪維新の会とは、今後、是々非々で議論していきたい」と述べました。 




 産経ニュースが、長い『ルポ』を掲載しているので紹介したい。

開票0%の「敗北」 橋下氏頼み…退潮クッキリ
 (msn産経ニュース) - 2013.9.29 21:54
 

 開票0%でメディアが速報した「敗北」に、大阪維新の会が揺れた。無所属現職の竹山修身(おさみ)氏(63)と維新新人の西林克敏氏(43)の一騎打ちとなり、29日に投開票された堺市長選。報道各社は投票締め切りからほどなく竹山氏の「当選確実」を伝えた。大阪の選挙で負け知らずだった維新代表の橋下徹大阪市長にとって屈辱の瞬間。橋下氏頼みの維新の退潮が鮮明になり、大阪府と大阪市で進める大阪都構想への影響も避けられない。「堺で終わるのか」。維新関係者はうめいた。

 午後8時、堺市堺区の西林氏の選挙事務所。テレビのテロップが流れた瞬間、スタッフは唇をかみ、重苦しい空気に。「全ては私の力不足。申し訳ありませんでした」。西林氏は会見で深々と頭を下げた。

 その後、橋下氏と維新幹事長の松井一郎大阪府知事が並んで会見。橋下氏は「竹山市政が評価されたのが第一。僕に対しての批判、反発が第二」と敗因を分析する一方、「(相手方が主張した)堺がなくなるというのは全く事実と違う」「いさぎよく負けは認められない」と悔しさをにじませた。

 橋下氏は敗戦の責任としての代表辞任の意思を問われると、「そんな辞めるなんて。また勝たないといけない」と語気を強めた。松井氏も「血みどろになってでも前に進んでいくのが、僕らに与えられた役割だ」と決意を語った。

  維新と国政政党の日本維新の会にとって、反維新・反都構想勢力と対峙(たいじ)する堺市長選は、絶対に落とせない戦いだった。党の顔である橋下氏が連日のように応援に入り、陣営内には楽観ムードもあった。だが、投票1週間前に「維新劣勢」の世論調査結果が相次いで出され、状況は一変。かつてない重圧の中で橋下氏と松井氏は声をからし、西林氏の体重は5キロ落ちた。

 維新府議らは29日も、西林氏の地元・南区の住宅街で「投票へ行こう」と書かれたのぼりを手に、「午後8時まで投票できます」と声を張り上げた。「投票率が上がれば奇跡は起きる」と自らに言い聞かせた。

 願いが届いたかのように投票率は前回を6・76ポイント上回る50・69%まで伸びた。しかし、堺市民の民意は維新に振り向かなかった。

 「維新に勝った!」。堺区の竹山氏の選挙事務所では、当確の一方とともに歓喜の声がわき上がった。事務所には、自民や民主、共産の国会議員や地方議員らが“呉越同舟”で詰めかけ、熱気に包まれた。

 「堺市民と維新との戦いだった。市民の勝利だ」。あいさつに立った竹山氏は興奮気味に絶叫し、「思想信条を越えて『堺は一つ』という大義のもとに集まれたのが勝因だ」と語った。

 竹山氏の勝利で、支援した反都構想勢力は勢いづく。自民の大阪市議は「(橋下維新は)堺市だけでなく、大阪の民意ですら離れている。(都構想の制度設計を行う)法定協議会で都構想の矛盾点をより鮮明に打ち出し、最後は葬り去る」と息巻く。

 維新と一定の協調路線をとってきた公明の関係者からも、風向きの変化を感じ取る声が上がる。「維新はやっぱり『ふわっとした民意』をつかんでいるだけだった。これからのことを考えたら自公でやらないと」

 橋下維新にとって、堺市長選は“原点”ともいえた。橋下氏は4年前の前回、大阪府幹部を辞めて出馬した竹山氏を知事として応援し、自民、民主、公明が事実上相乗りした当時の現職をねじ伏せた。その後、維新を立ち上げ、国政にも踏み出していった。

 原点で喫した敗北。「堺で始まり、堺で終わるのか」。維新の地方議員は、涙目で語った。 


 
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