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【憲法記念日】 各紙が社説を掲載 西日本新聞の社説は中々良かった!

2013-05-03 20:41:38 | 政治
2013年5月3日(金)

 各紙が、憲法記念日を期して、社説を掲げていますが、

西日本新聞の社説に注目したので、一部要点を紹介し、後段で全文引用します。

【今、自民党を中心に9条など個別条文の議論に先行し、憲法改正手続きを示す96条の改正案が浮上している。改憲発議に必要な衆参総議員の「3分の2以上の賛成」を「過半数の賛成」に変え、改正を容易にするのが狙いだ。

 「多くの国家が何度も改正をしている」「一度もしていない日本はおかしい」といった理由でハードルを下げようというのだが、本末転倒ではないか。スポーツに例えれば、確実に勝つためにまずルールを自らに有利にしよう-というご都合主義的発想にも映る。

 よほど改正手続きが不合理なら別だが、諸外国(米国=上下院の3分の2以上の賛成、ドイツ=連邦議会、連邦参議院の3分の2以上の賛成)と同程度の関門にすぎない。逆に憲法改正がそれだけ重いことの証左でもある。

 政治の場でかつてないほど憲法をめぐる発言が飛び交う状況で迎えた、今年の憲法記念日。
 私たちは、まず96条から改正すべきだとの主張には、反対する姿勢を明確にしておきたい。

 自民党は野党時代の昨年4月、96条改正を盛り込んだ「日本国憲法改正草案」を発表した。
 
 おおむね、「米国に押し付けられた」現憲法を改正し(1)自衛隊を「軍」として位置付け直す(2)現憲法で弱められた天皇や国、社会単位としての家族の役割を強化する(3)「行き過ぎた」人権重視の考え方からの転換を図る-というのが草案の骨子、精神ではないか。

 安易に「国家主義的」「復古調」と決め付けるつもりはない。しかし、明らかに人権に対し現憲法より抑制的であり、個人に対し国家の優位性をより幅広く是認する発想がうかがえる。

 「公共の福祉」の文言を、治安維持を大義にして「公の秩序」に安易に置き換える考えには反対する。「公」は時として「国家」にすり替えられ、民主主義の根幹を成す「言論の自由」の制限にもつながりかねないことは、過去の歴史が証明するところだ。
 
 憲法は法律の源であり、国のあり方の根幹を成す。時の政権党の勢力枠にとどまらない幅広い国会議員の支持を求め、3分の2以上の賛成を改正発議要件とした96条は極めて合理的だ。

 安倍首相と自民党には後世に禍根を残さぬよう慎重な対応を求めたい。】 


    要点を引用したでけでも随分長くなってしまいました。 m(_ _)m




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憲法記念日 ご都合主義的改正は許されぬ
 西日本新聞・社説 - 2013年5月3日(金) 10:35
 

 すべての法律は必要に応じて改正できる。これは最高法規である憲法も同じだ。日本国憲法96条には、その改正要件が明示されている。

 手続きにのっとり、国民多数の意思を正確に反映する形ならば、自由に改正できるのは法治国家の理でもある。

 もちろん、前提となるのは条文の中身をめぐる徹底した国民的議論だ。

 今、自民党を中心に9条など個別条文の議論に先行し、憲法改正手続きを示す96条の改正案が浮上している。改憲発議に必要な衆参総議員の「3分の2以上の賛成」を「過半数の賛成」に変え、改正を容易にするのが狙いだ。

 「多くの国家が何度も改正をしている」「一度もしていない日本はおかしい」といった理由でハードルを下げようというのだが、本末転倒ではないか。スポーツに例えれば、確実に勝つためにまずルールを自らに有利にしよう-というご都合主義的発想にも映る。

 憲法改正が必要というなら、手続きではなく、日本の国のあり方に関わる当該条文を正面から掲げ、堂々と国民的議論の俎上(そじょう)に載せるべきである。

 よほど改正手続きが不合理なら別だが、諸外国(米国=上下院の3分の2以上の賛成、ドイツ=連邦議会、連邦参議院の3分の2以上の賛成)と同程度の関門にすぎない。逆に憲法改正がそれだけ重いことの証左でもある。

 政治の場でかつてないほど憲法をめぐる発言が飛び交う状況で迎えた、今年の憲法記念日。私たちは、まず96条から改正すべきだとの主張には、反対する姿勢を明確にしておきたい。

■国家優位の発想が

 自民党は憲法改正を綱領に掲げ、前の安倍晋三政権時代に改正に向けた国民投票法を成立させた経緯がある。経済政策が注目される安倍政権の究極目標は、憲法改正にあると言っていい。

 自民党は野党時代の昨年4月、96条改正を盛り込んだ「日本国憲法改正草案」を発表した。今後、安倍政権は参院選の結果をにらみ、草案を軸に改正に向けた動きを強めるとみられる。

 草案は、憲法9条に新たに「国防軍保持」を明記。これにより集団的自衛権の発動を可能にしている。

 同時に「天皇の元首化(天皇を戴(いただ)く国家)」「国旗・国歌の明文規定化」「家族の役割の明記」など「伝統」の強調のほか、人権が制限される例外規定として「公共の福祉」に代えて「公の秩序」を置き、同時に「国民の権利」に加え「義務」を明記した。

 おおむね、「米国に押し付けられた」現憲法を改正し(1)自衛隊を「軍」として位置付け直す(2)現憲法で弱められた天皇や国、社会単位としての家族の役割を強化する(3)「行き過ぎた」人権重視の考え方からの転換を図る-というのが草案の骨子、精神ではないか。

 安易に「国家主義的」「復古調」と決め付けるつもりはない。しかし、明らかに人権に対し現憲法より抑制的であり、個人に対し国家の優位性をより幅広く是認する発想がうかがえる。

■民主主義の価値

 私たちは、憲法9条について、自衛隊の存在と「軍備不保持」の条文が矛盾するのは認める。だが9条がもたらした軍産複合体出現の抑制、アジアを中心とする諸外国に与えてきた「平和国家」のイメージなどのプラス面と突き合わせながら、改正に関しては慎重に扱うべきだと考える。

 また現行の象徴天皇制は国民に根付いていると判断する。さらに「家族の助け合い」明文化について、家族の絆が大切であることに異論はないが、背景に家父長制をたたえる考えがあるなら、多様な家族のあり方を認める社会の流れに逆行しかねないと危惧する。

 「公共の福祉」の文言を、治安維持を大義にして「公の秩序」に安易に置き換える考えには反対する。「公」は時として「国家」にすり替えられ、民主主義の根幹を成す「言論の自由」の制限にもつながりかねないことは、過去の歴史が証明するところだ。

 環境権、子どもの権利の明記など、国民の基本的人権を伸長、深化させる方向での見直し論議は当然だが、戦勝国・米国の力が働いたとはいえ、日本国民が大きな犠牲の末に得た民主主義の価値を否定する方向での改憲論には、私たちは決してくみしない。

 自民党憲法改正推進本部側による憲法草案の説明資料には「失われた20年」と呼ばれる日本の経済停滞の原因が現行憲法にある-といった記述まで見受けられる。中央集権や官僚制度など統治機構の検証を欠いた一面的な改憲論は、粗雑のそしりを免れない。

 同草案をめぐる自民党内の論議では、ベテラン議員から96条について、改正の発議要件を「過半数ではなく5分の3に」という慎重意見も出たが、他党との連携をにおわす強硬派に結局押し切られた形になったともいう。

 各条文にわたる憲法改正を、96条改正を突破口に一気にやってしまおうという発想が自民党側にあるとすれば、あまりにも乱暴過ぎはしないか。

 憲法は法律の源であり、国のあり方の根幹を成す。時の政権党の勢力枠にとどまらない幅広い国会議員の支持を求め、3分の2以上の賛成を改正発議要件とした96条は極めて合理的だ。

 安倍首相と自民党には後世に禍根を残さぬよう慎重な対応を求めたい。

=2013/05/03付 西日本新聞朝刊= 



憲法を考える―変えていいこと、ならぬこと
 朝日新聞・社説 - 2013年5月3日(金)朝刊
 

憲法には、決して変えてはならないことがある。

 近代の歴史が築いた国民主権や基本的人権の尊重、平和主義などがそうだ。

 時代の要請に合わせて改めてもいい条項はあるにせよ、こうした普遍の原理は守り続けねばならない。

 安倍首相が憲法改正を主張している。まずは96条の改正手続きを改め、個々の条項を変えやすくする。それを、夏の参院選の争点にするという。

 だがその結果、大切にすべきものが削られたり、ゆがめられたりするおそれはないのか。

 いまを生きる私たちだけでなく、子や孫の世代にもかかわる問題だ。

■権力を縛る最高法規

 そもそも、憲法とは何か。

 憲法学のイロハで言えば、権力に勝手なことをさせないよう縛りをかける最高法規だ。この「立憲主義」こそ、近代憲法の本質である。


 明治の伊藤博文は、天皇主権の大日本帝国憲法の制定にあたってでさえ、「憲法を設くる趣旨は第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と喝破している。

 こうした考え方は、もちろん今日(こんにち)にも引き継がれている。

 憲法99条にはこうある。「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。「国民」とは書かれていないのだ。

 立憲主義は、国王から市民が権利を勝ち取ってきた近代の西欧社会が築いた原理だ。これを守るため、各国はさまざまなやり方で憲法改正に高いハードルを設けている。

 米国では、両院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認がいる。デンマークでは国会の過半数の賛成だが、総選挙をはさんで2度の議決と国民投票の承認を求めている。

 日本では、両院の総議員の3分の2以上の賛成と、国民投票での過半数の承認が必要だ。

 自民党などの改正論は、この「3分の2」を「過半数」に引き下げようというものだ。

■歴史の教訓を刻む

 だが、これでは一般の法改正とほぼ同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。戦争放棄をうたった9条改正以上に、憲法の根本的な性格を一変させるおそれがある。

 私たちが、96条改正に反対するのはそのためである。

 日本と同様、敗戦後に新しい憲法(基本法)をつくったドイツは、59回の改正を重ねた。一方で、触れてはならないと憲法に明記されている条文がある。

 「人間の尊厳の不可侵」や「すべての国家権力は国民に由来する」などの原則だ。

 ナチスが合法的に独裁権力を握り、侵略やユダヤ人虐殺につながったことへの反省からだ。

 日本国憲法は、97条で基本的人権を「永久の権利」と記している。これに国民主権と平和主義を加えた「三つの原理」の根幹は、改正手続きによっても変えられないというのが学界の多数説だ。

 かつての天皇制のもとで軍国主義が招いた惨禍の教訓が、その背景にある。

 特に9条は、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束という性格もある。国民の多くは、それを大切なことだとして重んじてきた。

 自民党が96条改正の先に見すえるのは、9条だけではない。改憲草案では、国民の権利への制約を強めかねない条項もある。立憲主義とは逆方向だ。

■政治の自己改革こそ

 首相は「国民の手に憲法を取り戻す」という。改正のハードルが高すぎて、国民から投票の権利を奪っているというのだ。

 これは論理のすり替えだ。各国が高い壁を乗り越え、何度も憲法を改めていることを見ても、それは明らかだろう。

 改めるべき条項があれば、国民にその必要性を十分説く。国会で議論を尽くし、党派を超えて大多数の合意を得る。

 そうした努力もせぬまま、ルールを易(やす)きに変えるというのは責任の放棄ではないか。

 憲法に指一本触れてはならないというのではない。

 例えば、国会の仕組みである。衆院と参院は同じような権限を持つ。このため多数派が異なる「ねじれ」となると、国政の停滞を招いてきた。

 いずれ憲法の規定を改め、衆参両院の役割分担を明確にするなどの手直しが必要になるかもしれない。

 もっとも、いまの国会の怠慢は度し難い。

 ねじれによる政治の停滞を嘆くなら、なぜ衆参両院の議決が異なった時に話し合う両院協議会の運用を見直さないのか。

 最高裁に違憲状態とされた一票の格差問題では、司法が口出しするのはおかしいといわんばかりの議論が横行している。これでは、憲法を語る資格などはない。

 まずなすべきは、そんな政治の自己改革にほかならない。 



憲法記念日 改正論議の高まり生かしたい
 読売新聞・社説 - 2013年5月3日(金)01:05
 

 ◆各党は参院選へ具体策を競え◆

 安倍政権下の国会では憲法改正を巡る論議がいつになく活発だ。

 夏の参院選の結果次第で、安倍首相が公約に掲げる憲法改正がいよいよ現実味を帯びてくるだろう。

 きょうは、日本国憲法が施行されてから67年目の憲法記念日。日本の内外情勢は激変したにもかかわらず、憲法はまだ一度も改正されていない。そんな憲法の在りようを考える機会としたい。

 ◆まずは発議要件緩和を◆

 憲法改正論議の根底にあるのは安倍首相が指摘するように、「日本人は自身の手で憲法を作ったことがない」という事実である。

 戦前の大日本帝国憲法は天皇の定めた 欽定 ( きんてい ) 憲法だ。現行憲法は占領下、連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基に制定された。

 国民自ら国の基本を論じ、時代に合うよう憲法を改正するという考え方は、至極もっともだ。読売新聞の世論調査でも1993年以降、ほぼ一貫して憲法改正賛成派が反対派を上回っている。

 憲法改正の核心は、やはり9条である。

 第2項の「陸海空軍その他の戦力は保持しない」は、現実と 乖離 ( かいり ) している。「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を解消するため、自衛隊を憲法に明確に位置付けるべきだ。

 憲法の改正要件を定めた96条も主要な論点に浮上してきた。

 自民党だけでなく、日本維新の会やみんなの党も96条の改正を公約している。参院選後の連携を図る動きとしても注目される。この機を逃してはなるまい。

 96条は、憲法改正について衆参各院の総議員の「3分の2以上」の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければならないと定めている。

 世界でも改正難度の高い硬性憲法と言えるだろう。GHQは、日本で民主主義が確立するには時間がかかると考えたようだ。

 自民党の憲法改正草案は、96条の「3分の2以上」という要件を「過半数」と改めている。

 国会が改正案の発議をしやすくなるだけで、最終的にその是非を決めるのは国民投票であることに変わりはない。

 民主党は改正手続きよりも、どの条項を改めるかという内容の議論が先だと言う。だが、自民党などは既に具体的な改正方針を国民に示している。民主党こそ憲法改正について論議を尽くし、党としての見解を明らかにすべきだ。

 ◆必要な衆参の役割分担◆

 衆院と参院の役割を見直すことも、喫緊の課題である。

 衆参ねじれ国会の下で、「強すぎる参院」の存在がどれほど国政を停滞させてきたか、与野党とも痛感しているはずだ。

 解決策の一つが、59条2項の改正だ。参院が衆院と異なる議決をした法案は、再び衆院で「3分の2以上」の多数で可決すれば成立する、という現行の規定を「過半数」に改めればよい。再議決による法案成立が容易になり、衆院の優位性もより明確になる。

 自民党の憲法改正草案がこれに言及していないのは疑問だ。

 2000年に参院議長の私的諮問機関が、衆院での再議決要件緩和のほか、参院の首相指名権の廃止など憲法改正も伴う改革案をまとめた。

 参院の権限を縮小し、政権から距離を置く。今でも十分、検討に値する。

 「1票の格差」是正のための選挙制度改革も、衆参の制度を同時に見直すべきだろう。

 衆院と参院がどういう機能を分担すればよいか。望ましい政権を形成するためには、どう民意を集約するか。そうした観点から選挙制度を検討する必要がある。

 今年の憲法記念日は、先の衆院選での「1票の格差」を巡る訴訟で高裁による「違憲」判決が相次いだ直後に迎えることになった。秋にも最高裁が判断を示す。

 ここに至った以上、立法府として最低限、0増5減の区割り法案を成立させるのが筋である。

 ◆定数削減競争は避けよ◆

 民主党など各党は国会議員も「身を切る改革」が必要だと主張し、定数削減を競っている。これは改革を装ったポピュリズム(大衆迎合)と言うほかない。

 日本は、人口当たりの国会議員数では国際比較でも決して多くはない。国会議員の人件費を減らしても財政削減効果は限定的だ。かえって立法機能が低下しよう。身を切るなら、歳費や政党助成金をカットすればよいではないか。

 憲法に関しては、緊急事態対処や環境権などを規定すべきだとの主張もある。重要な視点だ。

 参院選に向け、各党とも積極的に論戦を展開してもらいたい。
 



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