今日(2008年5月11日)のサンデー・プロジェクトに
中曽根康弘氏(サンプロの表現では、元『青年将校』)
土井たか子氏(サンプロの表現では、元『マドンナ』)
不破 哲三氏(サンプロの表現では、元『共産党のプリンス』)
の3名が出席し、政治の現状と日本の未来について“激論”した。
と言っても激論ではなく、冷静な(和気合いあいな)お話しであった。
何しろ、他のニュースや話題は全く無しで、サンデー・プロジェクト全てをこの3氏の討論に宛てたのだから、大したものだ。
進行役はいつもの田原聡一郎氏。
今回は、発言者の発言に途中でチャチャを入れたり、他に振ったりはせず、基本的には発言が終わるまで待っていた。(定期的に入るCM中断は別にして)
中身を全て覚えている訳ではないが、話題の幾つかは下記であった。
1.終戦の玉音放送をどこで聞き、どう感じたか?
2.政治家になったいきさつ。
3.尊敬する人。
4.これまでの人生で一番燃えていた時はいつごろか?
5.日本国憲法の改正について
6.若い人々に託すこと。
以外だったのは、1.に関連して、『青年将校』が海軍に居る頃にすでに「この戦争は負ける」と感じていたことと、それを上官に進言したが、陸軍のようにリンチを受けたりしなかったという話。海軍にはそういう意見を聞き流す度量があった。
1.に関して書けば、『マドンナ』は「玉音放送は雑音ばかりで何のことか解らなかった」「必ず神風が吹いて日本が勝つと信じ込まされてきていた」「街中の人の話で負けたと知った」「空襲や灯火管制がなくなりホットした」
『プリンス』は、「小学生だったので、神国教育が徹底していて、神の国が負けるなどとは全く考えていなかった」「当日はよく意味が解らなかったが、数日後神の国が負けたという事が解って価値観が崩れていった」
3.の尊敬する人について、田原氏が『プリンス』に「当然・・・」と声を掛けるとすかさず『プリンス』は、「マルクスです」と答えた。田原氏が「宮本顕冶さんですね」と言う前に機先を制したという感じだった。「宮本顕冶さんですね」と言われた後で、否定して「マルクス」とは言い難かったからであろう。
『マドンナ』は、これも当然のことながら「市川房枝さん」と答えた。
『青年将校』は、「あまり有名人ではないが松村謙三さんです」と答えた。日中国交回復に尽力したが、その後の選挙で落選した方である。
全体として、中曽根氏の発言に意外性を感じた。
その幾つかを順不同で紹介すると。
※ 憲法9条1項は残す。2項については自衛のための軍隊を明確にする。
※ 憲法25条は大事。経済の自由化ばかりが行われ、自由化してはいけない教育や医療までが自由競争に晒されている。これは行き過ぎだ。経済の自由化にしても自由化するべき経済の領域は一部である。
※ 青年が未来に希望を託せ無いのは、企業、公務、社会が青年を受け入れるようにする必要がある。
※ 海軍将校だった時点で日本は負けると思っていた。
※ 靖国参拝は、強制的に戦場に借り出されて戦死した人々に内閣総理大臣として正式に慰霊する必要を感じたから出向いた。出向く前当時のコ・ヨウホウ中国主席に断りを言って出かけた。その後中国で大問題になり、主席の政治的立場を揺るがす事態になり、翌年からは参拝をやめた。
※ 先の戦争は米英に対しては普通の戦争であったが、アジア諸国に対しては侵略戦争であった(1986年?の不破氏の代表質問へに応えて)
※ この戦争は、明治以来の日本の発展の捌け口を誤った方向に向けたものであった。
中曽根氏の発言ばかりですみません。印象に残ったものですから・・・
*******************************************
【今日も御覧頂きありがとうございます。
このブログを応援して頂ける方ははクリックを!】
*******************************************
中曽根康弘氏(サンプロの表現では、元『青年将校』)
土井たか子氏(サンプロの表現では、元『マドンナ』)
不破 哲三氏(サンプロの表現では、元『共産党のプリンス』)
の3名が出席し、政治の現状と日本の未来について“激論”した。
と言っても激論ではなく、冷静な(和気合いあいな)お話しであった。
何しろ、他のニュースや話題は全く無しで、サンデー・プロジェクト全てをこの3氏の討論に宛てたのだから、大したものだ。
進行役はいつもの田原聡一郎氏。
今回は、発言者の発言に途中でチャチャを入れたり、他に振ったりはせず、基本的には発言が終わるまで待っていた。(定期的に入るCM中断は別にして)
中身を全て覚えている訳ではないが、話題の幾つかは下記であった。
1.終戦の玉音放送をどこで聞き、どう感じたか?
2.政治家になったいきさつ。
3.尊敬する人。
4.これまでの人生で一番燃えていた時はいつごろか?
5.日本国憲法の改正について
6.若い人々に託すこと。
以外だったのは、1.に関連して、『青年将校』が海軍に居る頃にすでに「この戦争は負ける」と感じていたことと、それを上官に進言したが、陸軍のようにリンチを受けたりしなかったという話。海軍にはそういう意見を聞き流す度量があった。
1.に関して書けば、『マドンナ』は「玉音放送は雑音ばかりで何のことか解らなかった」「必ず神風が吹いて日本が勝つと信じ込まされてきていた」「街中の人の話で負けたと知った」「空襲や灯火管制がなくなりホットした」
『プリンス』は、「小学生だったので、神国教育が徹底していて、神の国が負けるなどとは全く考えていなかった」「当日はよく意味が解らなかったが、数日後神の国が負けたという事が解って価値観が崩れていった」
3.の尊敬する人について、田原氏が『プリンス』に「当然・・・」と声を掛けるとすかさず『プリンス』は、「マルクスです」と答えた。田原氏が「宮本顕冶さんですね」と言う前に機先を制したという感じだった。「宮本顕冶さんですね」と言われた後で、否定して「マルクス」とは言い難かったからであろう。
『マドンナ』は、これも当然のことながら「市川房枝さん」と答えた。
『青年将校』は、「あまり有名人ではないが松村謙三さんです」と答えた。日中国交回復に尽力したが、その後の選挙で落選した方である。
全体として、中曽根氏の発言に意外性を感じた。
その幾つかを順不同で紹介すると。
※ 憲法9条1項は残す。2項については自衛のための軍隊を明確にする。
※ 憲法25条は大事。経済の自由化ばかりが行われ、自由化してはいけない教育や医療までが自由競争に晒されている。これは行き過ぎだ。経済の自由化にしても自由化するべき経済の領域は一部である。
※ 青年が未来に希望を託せ無いのは、企業、公務、社会が青年を受け入れるようにする必要がある。
※ 海軍将校だった時点で日本は負けると思っていた。
※ 靖国参拝は、強制的に戦場に借り出されて戦死した人々に内閣総理大臣として正式に慰霊する必要を感じたから出向いた。出向く前当時のコ・ヨウホウ中国主席に断りを言って出かけた。その後中国で大問題になり、主席の政治的立場を揺るがす事態になり、翌年からは参拝をやめた。
※ 先の戦争は米英に対しては普通の戦争であったが、アジア諸国に対しては侵略戦争であった(1986年?の不破氏の代表質問へに応えて)
※ この戦争は、明治以来の日本の発展の捌け口を誤った方向に向けたものであった。
中曽根氏の発言ばかりですみません。印象に残ったものですから・・・
*******************************************
【今日も御覧頂きありがとうございます。
このブログを応援して頂ける方ははクリックを!】
*******************************************
ポラリスさんのコメントには。80才近くと書いたつもりでしたが正確には79才です。笑い
あの番組は動画として外付けのHDにバックアップを採ってあります。
学校は出ていませんから英語は全くアルファベットも怪しく、ソフト会社を経営している婿から下らない事は考えず、こうしたらこうなったと子供感覚でPCを扱えと言われそれからフォトショップやエクセルなど扱える様になりました。
一昨年まで同業者を集めて同人誌を主宰していた関係から、PC歴は結構永く20年程になります。
いま、先日愛用のMac・G5のハードの部分が壊れ、その時にソフトにも異常が出ましたので、保守業者に(此れだけはどうにもなりませんので業者に頼っています)バージョンを上げました。しかし老いた者には正常に扱えるには1年程かかりそうです。
やはり、若さがほしいです。