私のTwitterでは、午前中に御紹介したが、この毎日新聞の特集記事は
『力が入っている』 秀作記事である。
戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1)
230万人は どのように戦死したのか?
(毎日新聞) - 2014年08月15日(金)
長いので、ぜひ上のリンクから本編をお読みください。
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戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1)
230万人は どのように戦死したのか?
(毎日新聞) - 2014年08月15日(金)
日中戦争から太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属の数について、日本政府は230万人(1937~45年)という数字を公式に採用してきた。だが、彼らがどこで、どのように亡くなったかについては不明確な点が多く、「6割が餓死した」との学説もある。神風特別攻撃隊を題材にした小説、映画が話題になっている今。約4000人とされる航空特攻による戦死者以外の、229万人余はどのような最期を遂げたのか。そんな疑問から、データをひもといてみた。
【高橋昌紀/デジタル報道センター】
(中略)
日本本土とハワイの中間地点にあるミッドウェー島、オーストラリアに隣接するニューギニア島の占領を目指すなど、日本軍は国力の限界を超えた作戦を多方面で展開。特に地上戦では補給が途絶し、損害を拡大させる主因となった。
厚生省(現厚生労働省)援護局は1964年に国会からの要求を受け、「地域別兵員及び死没者概数表」を発表。日中戦争が始まる37年から太平洋戦争が終わる45年までの軍人や軍属の戦没者(当時の発表では総数が212万1000人)について、地域ごとに内訳を示した。左図の通り、南洋諸島、東南アジア、中国大陸などにわたる広大な地域で、膨大な数の日本の軍人や軍属が命を失ったことが分かる。
戦場別戦没者数
図の ● は死因別戦没者数の記録が残っている戦場。クリックすると(引用者注:本編でのみリンクしています)、各戦場の戦病死者などの割合が示される。先に紹介した藤原氏の説を裏付けるように、戦病死者が圧倒的に多いことは一目瞭然だ。
(以下、略:上記引用部分は、この特集の極一部です!)
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