醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1451号   白井一道

2020-06-27 12:39:11 | 随筆・小説


 方丈記 16



原文
 夫(それ)、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛(あいせず)。只、糸竹(しちく)・花月(くわげつ)を友とせんにはしかじ。人の奴〈やっこ〉たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を(ぬひ)とするにはしかず。いかゞとするとならば、若、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身心(しんじん)の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人をなやます、罪業なり。いかゞ、他の力を借るべき。衣食のたぐひ、又、おなじ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、すがたを恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす。
 惣て、かやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。只、わが身ひとつにとりて、むかしと今とをなぞらふるばかりなり。
 夫、三界は只心ひとつなり。心若(も)しやすからずは、象馬(ざうめ)七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間のいほり、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の乞匈(こつがい)となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵(ぞくじん)に馳(は)する事をあはれむ。若、人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、其心を知らず。閑居の気味(きび)も又おなじ。住まずして、誰かさとらむ。
現代語訳
 普通、人が友にし、豊かな人を大事にし、細心の心遣いをする。必ずしも人情が篤く、気持ちがいい人を友人にするわけではない。だから、管弦や花、月を友にした方が良い。召使という者は賞罰にあからさまで、優しくしてくれる人を大事にする。更に受け入れ情をかけると穏やかに静かにしていることを願わない。ただ我が身を召使にした方がよいくらいだ。如何に召使にするかというと、もししなければならないことがあるなら、自分で行う。疲れてだるくないわけではないが、人に命令し、情をかけ世話するよりも気楽だ。もし歩かなければならないなら自ら歩いていく。苦しいけれども馬・鞍・牛・車と心を配る程のことではない。今、我が身を割いて二つの用をする。手と足、良いように我が心を満足させるだろう。体が心の苦しみを知るなら、苦しい時は休み、忙しい時は動かす。使うと言っても使い過ぎる事とはない。ものぐさくても心までものぐさくなることはない。どういうものか、常に歩き、常に働くことは健康に良い。どうしてのんびり休んでいられようか。これが人を悩ます煩悩というものだ。いかに仏の力が必要かということだ。衣食の類もまた同じようなものだ。藤の衣や麻の夜具など手に入ったものを身にまとい、野辺のおはぎ、峰の木の実でどうにか命をつなぐばかりだ。人に交わることがないなら、我が身を恥じる悔いもない。食べ物が侘しいのであれば、それを我が身の報いとして敬えばいい。
 すべてこのような楽しみは富める人に対して言っているのではない。ただ我が身一つにとって、昔と今とを比べてみているだけなのだ。
 そう、三界と言われる人間世界は心のもちようだ。心がもし安定していないと像や馬、大切な宝物も大切なものとも思われず、宮殿や楼閣を敬うこともなくなる。今、寂しい住まい、一間の庵、私はこれを愛しんでいる。都に出て行き乞食(こつじき)になることが恥ずかしくもあるが、都から帰りこの庵に居る時は、都の汚れにまみれることを恥ずかしく思う。もし、他人がこの事を疑うなら魚や鳥の生きている姿を思い浮かべてほしい。魚は水の中で生きることに飽きることがない。魚にならなければ魚の気持ちは分からない。鳥は林の中にいることを喜んでいる。鳥にならなければ鳥の気持ちは分からない。閑居の気持ちもまた同じようなことだ。閑居することなく閑居する者の気持ちは分からないであろう。

醸楽庵だより   1450号   白井一道

2020-06-26 13:19:29 | 随筆・小説



   人身売買報告で日本格下げ 米国、技能実習生など問題視      朝日新聞デジタル 2020.6.26



 米国務省は25日、世界の人身売買に関する年次報告書を発表した。日本については、外国人技能実習制度や児童買春の問題を取り上げ、「取り組みの真剣さや継続性が前年までと比べると不十分だ」として、前年までの4段階のうち最も良い評価から、上から2番目の評価に格下げした。
 今回不十分と判断したのは、人身売買の摘発件数が前年より減ったことなどを考慮したためという。報告書ではこれまでも日本の技能実習制度を問題視してきたが、今回は「外国人の強制労働が継続して報告されているにもかかわらず、当局は一件も特定しなかった」とし、「法外な手数料を徴収する外国の仲介業者を排除するための法的措置を、十分に実施していない」と改善を求めた。
 人身売買問題を担当するリッチモンド大使は記者会見で、「技能実習制度の中での強制労働は長年懸念されてきたことで、日本政府はこの問題にもっと取り組むことができるはずだ」と指摘した。(ワシントン=大島隆)

 現代日本社会に奴隷的存在の人々が現存している。そのような人々の存在を日本政府は制度として認めていると米国国務省が年次報告書で発表している。アメリカ国内にあっても有色人に対する差別が半ば公認されているようなことがあるようだから、日本をそれほど批判できる国でもないようだ。アメリカ国内にあっては1960年代の公民権法の成立まで黒人差別が制度として存続していた。アメリカ合衆国が黒人奴隷制を廃止したのは南北戦争の最中のことであった。
 「南北戦争の激烈な戦いが3年目に突入したとき、エイブラハム・リンカーン大統領は連邦軍の兵士たちに新たな戦争を意味する決定を下した。1863年1月1日、リンカーンは奴隷解放宣言に署名、それは合衆国に公然と反旗を翻している州の奴隷たちを解放する効果があった。南北戦争は急速に、連邦を保持する闘いのみならず、すべての米国人に自由を浸透させるための大義となった。直近に開放された奴隷たちの多くが連邦軍や海軍に加わり、他の奴隷達のために勇敢に闘った。
 奴隷解放宣言はボストン、ニューヨーク、ワシントンDCをはじめ各地で大歓迎された。しかし宣言が現実のものとなるには、さらに多くの戦闘を必要とした。1865年に南北戦争が終結するまでに、ほぼ20万人にのぼるアフリカ系米国人が連邦軍の戦闘に連なった。同年12月、米国憲法が修正され、米国のあらゆる地域に暮らすすべての奴隷が自由の身となった。合衆国憲法修正13条は、奴隷解放宣言が端緒となったその作業を完結させ、米国のすべての奴隷制度は終焉を遂げた。」
アメリカ国務省文書より
 リンカーン大統領は徹底したリアリストであった。大統領リンカーンはあくまでもアメリカ合衆国の大統領であった。アメリカ南部がアメリカ合衆国から分離独立することを許さなかった。このことが第一義的なことであった。1850年代ストウ夫人の書いた小説『アンクル=トムの小屋』がベストセラーになるとリンカーンは奴隷制廃止に理解を示したが、南部諸州が合衆国に留まり、北部諸州に奴隷制度が広まることがなかったら南部諸州の奴隷制度存続を認めていた。リンカーンは奴隷制度そのものを否定する考えを持っていたわけではない。現実のあるがままのアメリカを受け入れていた。この現実が存続することを望んでいた保守政治家であった。高い理想を掲げる政治家ではなかった。
 19世紀後半、アメリカ合衆国にあっては確かに1863年の南北戦争最中に「奴隷解放令」を発布したが、これは「奴隷解放令」を発布した方が南北戦争を北部が有利に展開できると判断したからこそリンカーンは黒人奴隷の解放を実現した。であるが故に黒人奴隷解放は不十分なものにならざるを得なかった。その後100年たっても黒人差別は基本的になくなっていない。
 社会の進歩は少しずつしか進まない。移民の国、アメリカ合衆国には、「ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント」、WASP(ワスプ)を頂点とする階層性社会が存在している。この階層性社会に対する抵抗運動か起き。アメリカ社会はより自由で民主的な社会を目指して変わろうとしている。この階層性社会を打破しようとする人々の運動が今アメリカでは起きている。日本でもまた技能実習制度を改革していこうとしている人々がいる。

醸楽庵だより   1449号   白井一道

2020-06-25 07:34:36 | 随筆・小説



   思いやり予算増額要求



 アメリカ政府は日本政府に対して在日米軍駐留経費の増額を要求している。次のような新聞報道があった。
ボルトン氏回顧録「在日米軍駐留経費 年80億ドル要求」明かす

2020年6月23日 5時14分トランプ大統領
アメリカのトランプ大統領の元側近、ボルトン前大統領補佐官が回顧録を出版し、この中でボルトン氏は、在日アメリカ軍の駐留経費の日本側の負担を大幅に増やし、年間80億ドルを要求するトランプ大統領の意向を日本側に説明したことを明らかにしました。ボルトン氏はアメリカ軍の撤退も示唆して交渉するよう大統領から指示を受けたとしています。
トランプ大統領の元側近、ボルトン前大統領補佐官は、日本時間の23日、みずからの回顧録「それが起きた部屋」を出版しました。
この中でボルトン氏は、去年7月に日本を訪問し、当時の国家安全保障局長だった谷内氏と会談した際、在日アメリカ軍の駐留経費の日本側の負担を大幅に増やし、年間80億ドルを要求するトランプ大統領の意向を説明したことを明らかにしました。
80億ドルは、日本側が現在支払っている額の4倍余りで、日本政府はこうした金額が提示されたことをこれまで否定してきましたが、ボルトン氏は提示したと主張しています。
また、ボルトン氏は、韓国に対しても韓国側の負担を現在の5倍にあたる50億ドルへ引き上げるよう求めるトランプ大統領の意向を伝えたとしています。
そのうえで、ボルトン氏は、トランプ大統領が「日本から年間80億ドル、韓国から50億ドルを得る方法は、すべてのアメリカ軍を撤退させると脅すことだ。交渉上、とても有利な立場になる」と発言したとしていて、アメリカ軍の撤退も示唆して交渉するよう指示を受けたとしています。
駐留経費をめぐっては、トランプ政権は韓国とは去年9月から交渉していますが、アメリカ側が大幅な増額を求めて協議は難航していて、ことしから交渉が始まる予定の日本に対しても増額を求めていく構えです。

現在日本には次のような巨大な米軍基地が存在している。
本土最大の米軍基地は青森県三沢市にある三沢米空軍基地である。東京都には航空自衛隊と米空軍が利用する横田基地が福生市にある。トランプ大統領が日本に来るときはこの横田基地から入国する。横田基地は米国の一部になっている。このトランプ大統領の態度は日本をアメリカと対等な国として認めていない実に横柄な態度であると私は感じている。日本政府を代表する首相はこのようなアメリカ大統領の態度を何とも感じないのだろうか。
在日米海軍司令部をはじめ、横須賀基地司令部、海軍施設技術部隊などが神奈川県横須賀市にある横須賀海軍基地である。この横須賀米海軍基地が第7艦隊の母港になっている。第7艦隊は、原子力空母「ロナウド・レーガン」と艦載される第五空母航空団を戦闘部隊とする戦時には50〜60の艦船、350機の航空機を擁する規模となる。人的勢力も6万の水兵と海兵を動員する能力をもつ。平時の兵力は約2万。アメリカ本国の反対側に当たる地球の半分を活動範囲とし、アメリカ海軍の艦隊の中では、最大の規模と戦力を誇っている。
また軍用機の展示や、航空ショーも行われる山口県岩国市にある岩国海兵隊基地がある。沖縄県嘉手納に極東最大の米空軍基地がある。3700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する在日米空軍最大の基地である。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。
思いやり予算とは、沖縄をはじめ日本にある米軍基地で働く人たちの給料(本来はアメリカが負担する)や、労務費・施設整備費・米軍の訓練移転費などの予算です。このような予算は日米地位協定では日本が支払う義務のないお金です。日本政府はアメリカ政府を思いやり在日米軍駐留経費を支払っている。その中には米軍兵士が楽しむお酒代もあるという話を聞いたことがある。
沖縄県民の少女や女性が米兵に暴行を受ける被害が多発している中でこのような日本人にを思いやる気持ちや予算を計上することなく、米軍を思いやる日本政府は本当に日本国民のことを考えている日本政府だといえるのかどうか、疑問である。

醸楽庵だより   1448号   白井一道

2020-06-24 15:13:42 | 随筆・小説



  河井克行・案里夫妻の逮捕について



 検察は「ルビコン川を渡った」と元特捜検察官の郷原信郎氏は「日本の権力を斬る」の中で述べている。検察が国会議員・河井克行・案里夫妻を公職選挙法違反容疑で逮捕した。この事を郷原氏は検察が「ルビコン川を渡った」と述べている。
ルビコン川は古代ローマの時代、アルプス以北のガリアとイタリア半島本土との境界をなしていた。紀元前1世紀、ローマ帝国内には有力な将軍が並立していた。ガリアの地を平定し、その地の将軍として君臨していたユリウス・カエサルが我が軍隊を引き連れてルビコン川を渡り、イタリア半島本土の中心都市に向けて軍隊を差し向けた。当時、軍隊を引き連れてローマ帝国の中心都市ローマに入ってはいけないという厳しい掟があった。ルビコン川を渡るとは宣戦布告を意味した。
当時、ローマには有力な将軍ポンペイウスが君臨していた。軍隊を引き連れてルビコン川を渡った以上カエサルはポンペイウスとの戦端を切ったということを意味している。負ければ反逆者として殺される内戦をカエサルは決断した。「賽は投げられた」。ローマ帝国元老院が決裁した法を破りカエサルはポンペイウス軍との内戦を決断した言葉が「ルビコン川を渡る」である。
紀元前後、ローマ帝国内では有力な将軍たち間の内戦の結果、内戦を勝ち抜いた将軍が最終的に皇帝として君臨する政治体制になっていく。こうして古代ローマの政治体制が共和制から帝政へと変わっていく過程で生まれた有名な言葉の一つが「ルビコン川を渡る」である。
ひき返すことはできない。突き進むしか道がない。「ルビコン川を渡った」以上、失敗すれば法令違反者として断罪される道を検察が選んだと郷原氏は述べている。
公職選挙法違反として断罪されるのは今まで通常においては選挙直前に票をお金で買うような行為をした時であった。しかし今回の河井克行・案里夫妻の公職選挙法違反にあっては、選挙地盤培養行為として行った政治資金の支出を買収として断罪している。このようなことを今まではしてこなかった。選挙地盤培養のための資金は政治金の支出であり、選挙の買収ではないと今までの検察は扱ってきた。この今までの慣例を破り、選挙地盤培養のための支出を単なる政治資金の支出としてではなく、あくまで票の買収行為として扱っている。検察は今までの慣例を破っている。これはひき返すことができない。カエサルがルビコン川を渡り、ローマに向けて軍を進め、ポンペイウスとの戦いに突き進んだように検察はローマに向けて軍を進めることになると郷原氏は述べている。ローマとは安倍政権を意味していると私は理解した。安倍政権を倒す。これが最終的な検察の目標であろうと郷原氏は言っていると私は思う。
一億五千万円もの大金を一気に選挙区内にばらまく事なんてできない。少しづつ少しづつ広島県内の県議や市議などにお金をばらまき、案里氏の選挙地盤を培養していった。野党議員の選挙地盤にお金を使うことは無駄金になる可能性どころか、或る意味危険ですらある。選挙違反として訴えられる可能性だってあるかもしれない。野党議員の選挙地盤に選挙資金をつぎ込むことは効率がすこぶる悪いように思う。だから自民党議員の選挙地盤に資金をつぎ込み、河井案里候補に寝返ってもらった方が効率的だ。参議院五回当選している参議院自民党長老格の溝手 顕正元議員の地盤に河井氏は選挙資金をばら撒き、河井案里氏の応援を依頼した。河井案里氏は自民党から交付された一億五千万円の資金を使い切って参議院議員に初当選した。
第一次安倍晋三内閣が瓦解したとき、安倍晋三氏を「過去の人」として切って捨てた溝手顕正元参議院議員は返り討ちに合い、落選した。選挙資金が溝手氏は千五百万円、河井案里氏は一億五千万円、十倍の軍資金の差があった。河井案里氏は一億五千万円で参議院議員という職を得た。がしかし検察がこの出来事を許さなかった。国会議員という職はお金で買えるものではないと検察は国民に言った。お金では買えないものをお金で買おうと自民党本部はしたが結果的には買うことができなかった。自民党本部が参議院議員という職をお金で買おうとしたこと自体が間違っていたのだ。またその動機が安倍晋三氏の個人的怨念であったとしたらなおさらである。
選挙という神聖な国民の審判をお金で買おうとした政権は瓦解し、新しい政治体制が生れようとしている。古代ローマ帝国内の戦いが終わった時、共和制から帝政へと政治体制が変わったように。

醸楽庵だより   1447号   白井一道

2020-06-23 12:20:30 | 随筆・小説


   
   方丈記 15



原文
  おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに五年を経たり。仮のいほりも、やゝふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞ仮りのいほりのみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身をやどすに不足なし。かむなは小さき貝を好む。これ事しれるによりてなり。みさごは荒磯に居る。すなはち、人をおそるゝがゆゑなり。われまたかくのごとし。事をしり、世をしれれば、願はず、わしらず、たゞしづかなるを望とし、うれへ無きをたのしみとす。惣て、世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。或は妻子・眷属の為につくり、或は親昵(しんぢつ)・朋友の為につくる。或は主君・師匠、および財宝・牛馬の為にさへ、これをつくる。
 われ、今、身の為にむすべり。人の為につくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。縦、ひろくつくれりとも、誰を宿し、誰を据ゑん。

現代語訳
 おおよそ、ここに住み始めたころは、ほんの少しの間と思っていたけれども、今すでに五年もたってしまった。仮の庵もやや住み慣れた住まいになり、軒には落ち葉が降り積り、土台には苔が生えてきた。何気に風の便りに都のことを聞くと、この山に籠って後に高貴な方が亡くなられたという。なおのこと、数にも入らぬ方は数えることもできないほどだ。度々の火事で亡びた家はまたどのくらいになるものかわからいほどだ。ただ仮の庵のみ長閑に暮らし心配がない。確かに狭い庵ではあるが夜休む床もあり、昼いる場所もある。私一人が暮らすのに不足はない。やどかりは小さい貝を好む。これは危険なことがある事を知っているからだ。ミサゴは荒磯にいる。これは人が恐ろしいからなのだ。私もまた同じことだ。恐ろしいことが起きることを知り、世の中を知るなら、大きな家など願うことはないし、あくせくすることもないし、ただ静かに暮らすことを望み、愁うことのないことを楽しみとしている。すべて世の人の住まいを作る慣習は必ずしも恐ろしいことを予定してはいない。或いは妻子・従僕のためにつくり、或いは親しい人や友人のために造る。或いは主君や師匠、および財宝・牛馬にさえ、宿を造る。
 私も今自分のために庵を造った。他人のために造ることはない。どうしてかといえば、今の世の習い、この我が身の有様は一緒に住む人もなく、助けてくれる人もない。ただ広く造ったとしても誰を宿し、誰を据えようと言うのか。


 アッシジの聖フランチェスコ  白井一道
 
 1210年、早春のある日のことである。中世ローマ法王権の歴史にかつてない権勢の一時代を画した法王イノセント3世は、ラテラノ宮の奥深い一室で、みなれぬ一人の訪問者と話し合っていた。この訪問者は、やせぎすの中背、やや中高の細面、平たく低い前額の下には一重の黒目がのぞき、鼻と唇はうすく、耳は小さくとがり、頭髪もひげもうすい。変哲がないというより、むしろ貧相なこの訪問者を特徴づけていたのは、しかし、そのやわらかな物腰と、歌うようなこころよい声音であった。だが、その風態は少なからず変わっている。長い灰色の隠修士風のマントは、腰のあたりで荒縄でしばられており、裾からとびだしている足は裸足であった。
                                            堀米庸三『正統と異端』より
 
 フランチェスコは1182年、中部イタリア、アッシジで、富裕な織物商人の子として生まれた。しかし不肖の子で、南イタリアのおもむき、ドイツの神聖ローマ帝国を二分したホーエンシュタウフェン家とゲルフ家の戦争に参加。捕虜になり、熱病にかかり、肉体の苦痛から回心を経験、20歳で修道士になった。アッシジの近郊で祈祷と廃寺の修復、癩患者の看病を続けるうち、「主の家」を再建せよという神の声を聞き、マタイによる福音書にある三カ条だけを会則とした修道会を発足。はじめはフランシスの説教を聞いた二人だけが会員だった。これがフランチェスコ会の始まりである。その後、フランチェスコ会が托鉢修道会として認められ1226年にはフランチェスコは死を迎える。『世界史の窓』より

醸楽庵だより   1446号   白井一道

2020-06-22 11:35:44 | 随筆・小説



   「コロナ失業」冷酷に切り捨てられる人々の叫び 長期自粛のダメージが長く広い範囲に及ぶ
                                          風間 直樹 2020/06/22

「私たちはこれまでジムの会員に寄り添って話を聞き、一緒に頑張って手助けするように言われてきました。でも今回の扱いをみると、会社にその精神があるとは到底思えませんでした」
スポーツジム業界の最大手、コナミスポーツでインストラクターとして働く40代の女性は、会見で涙ながらに訴えた。3人の息子を育てるシングルマザーのこの女性は、アルバイトながら、これまで週4日、1日8時間とほぼフルタイムで勤務し、月収にして約20万円を稼いで生活していた。だが、新型コロナウイルス対策として、3月からレッスンが休止され収入が激減。さらに翌月、緊急事態宣言が発令されるとジムは完全に休館となり、女性も休むよう指示された。
 労働基準法では会社の都合で従業員を休ませる場合、平均賃金の6割以上の休業手当の支払いを義務づけている。ただ女性は休業時の補償について事前に説明を受けていなかった。
 不安を覚えて社員であるマネジャーに尋ねると、「緊急事態宣言の要請による施設の使用停止だから、休業手当の支払い義務はない」の一点張りだった。それを聞いた女性は、「今、私たちを見捨てておいて、再開時に生き残っていた人だけまた働こうよ、そう言われたとしか思えません」と憤る。
 収入がなくても、家賃や食費、光熱費など3人の子供との生活費は普通にかかる。「仕事柄ケガも多く、子供のためにある程度貯金をしていました。心苦しいけど、今はそれを取り崩して生活しています」という。女性は同僚と個人加盟できる労働組合「総合サポートユニオン」の組合員となり、会社に休業手当の支払いを要請。同社は給与全額の休業手当をアルバイト全員に支給すると発表した。
サービス業で休業者急増
 『週刊東洋経済』は6月22日発売号で、「コロナ雇用崩壊」を特集。外出自粛で弱者にシワ寄せが及び、大失業時代が訪れようとしている現実を、多角的に描いている。
 このインストラクターの女性のような「休業者」のかつてない増加は、リーマンショック時には見られなかった、今回のコロナ雇用危機の最大の特徴だ。総務省が5月末に発表した4月の労働力調査では、完全失業率は前月比わずか0.1ポイントの上昇にとどまった一方、休業者数は前年同月の177万人から過去最多となる597万人まで、一気に420万人も増加した。リーマン時には就業者の2%強にとどまったのに対し、今回は1割近くが休業していることになる。
 産業別の濃淡もはっきりしており、宿泊、飲食、小売りなど、新型コロナの影響が直撃しているサービス業で休業者が急増している。サービス業では一般に、製造業などと比較して女性比率、非正規比率とも高い。実際、5月31日と6月1日に各地の労組やNPOなどが共同開催した電話相談では、相談者の6割超が女性で、7割超の雇用形態が非正規だった。会社都合による休業とその補償に関する相談内容が最も多かったという。
 こうした状況に対して、政府も対応を進めている。6月12日に成立した約32兆円の2020年度第2次補正予算は、働き手の支援に相応に配分されている。
 その柱となるのが、休業手当を支払った企業にその費用を助成する、雇用調整助成金(雇調金)の拡充だ。新型コロナの感染拡大を受け、これまでも条件緩和を進めてきたが、1人当たりの日額上限を8330円から1万5000円に引き上げ、対象労働者に雇用保険の被保険者以外も加えるなど、大幅に拡充する。
 後に助成されるとはいえ、資金難で休業手当の持ち出しができない中小企業を想定し、従業員が国に直接申請して支援金を受け取れる新制度も設けられた。月額33万円を上限に、賃金の8割を払う形で制度設計が進められている。
深刻化する相談内容
 ただこうした支援策はあくまで雇用維持のための一時的なものだ。緊急事態宣言が解除され、「失業予備軍」である休業者が、今後元どおりの仕事に戻れるのかがポイントとなるが、決して楽観はできない。
 感染拡大前に多くの産業が深刻な人手不足に陥っていたこともあり、コロナ禍が早期に収束に至ることを見込んで、従業員に休業を求めている企業は多そうだ。だが、感染拡大の第2波、第3波が発生したりして企業活動の停滞が長引けば、企業が非正社員の雇い止めや正社員の解雇に踏み切る懸念は強い。
 労働相談を受けている現場からも同様の声が上がる。「当初は『アルバイトのシフトが削減された』といった相談から、『休業要請されたのに手当が支払われない』といった内容が続き、今は雇い止めや解雇の相談が寄せられている。日を追うごとに相談内容が深刻化している」(全労連の仲野智・非正規センター事務局長)。厚生労働省によれば、新型コロナ関連での解雇、雇い止めは見込みも含め、6月中旬に2.4万人を超えた。
 名物の「うどんすき」で知られる日本料理店「美々卯」(みみう)を関東で展開する「東京美々卯」は5月下旬、新型コロナの影響で事業継続が困難になったと判断して、全店を閉鎖。約200人の従業員に退職合意書に署名するよう求め、応じなかった社員は解雇を通告された。
 「確かに経営が厳しい時期もあったが頑張って切り抜けてきたので、新型コロナも乗り越えられるだろうと思っていたからショックだ。十分な説明や従業員への補償もなく閉店することには、納得できない」。同社で30年以上働いてきた50代の店長は心境を語る。同社従業員が加盟する全労連・全国一般労組は、解雇が不当労働行為に当たるとして、東京都労働委員会に救済を申し立てた。
 「退職金はおろか引っ越し代すら出ないのに、寮から退去するよう求められて途方に暮れている」。入社3年目のホール主任の女性(21歳)は話す。女性は高卒後に九州から上京し、同社で働き始めた。「長年の常連客も多く、上司も面倒見がよい働きがいのある職場だった。事業を継続してほしい」。
寮住まいの期間工や派遣社員は仕事も住居も失う
 リーマンショック時には雇用の受け皿となったサービス業が激震に見舞われる中、当時リストラの嵐が吹き荒れた製造業の雇用の見通しはどうなのか。経済産業省が5月末に発表した4月の鉱工業生産指数は現行基準で過去最大の下げ幅となり、業種別では自動車が前月比33%減と大きく落ち込んだ。
 自動車産業は裾野が広いうえ、生産ラインでは正社員のほか、期間工や派遣社員など多くの人材を活用している。「自動車向けは4月から600人の増員が決まっていたが、新型コロナですべて白紙になった。全体で2500人程度の待機人員(休業)が生じる見通しだ」。ある製造派遣大手の経営者は厳しい見通しを示す。別の製造派遣大手幹部も、「トヨタ自動車は本体こそ派遣の雇用も守る方針だが、下請けになると厳しい。ある程度の待機人員の発生は覚悟している」と話す。
 生産ラインで働く期間工や派遣社員は、メーカーや派遣会社が提供する工場近くの寮に住む場合が多い。雇い止めに遭うと、仕事と住まいを同時に失うことになる。
 失職し生活困窮に陥った人への目配りは欠かせないはずだが、ここでも新型コロナが暗い影を落とす。5月1日、全国的にメーデー開催が自粛された中、三重県の労組「ユニオンみえ」はメーデーを実施。食事提供や生活相談を行う「派遣村」を開催した。
 「住まいを失い蓄えも尽き、もう6日間も食べておらず死ぬことばかり考えていた。たまたまラジオで知ったことで、ここまでたどり着くことができた」。元内装業の50代の男性は安堵の表情を見せた。男性は労組の支援を受け、今は健康を取り戻したという。
 他人と十分な距離を取る、多数で集まらないなどの新型コロナの感染予防対策が、支援の手が届きにくい環境を生み出しているのは間違いない。その中でどう小さな声を拾い、命をつないでいくのか。今回のコロナ雇用危機への対応には、複雑な連立方程式を解くことが求められている。

醸楽庵だより   1445号   白井一道   

2020-06-21 12:32:57 | 随筆・小説



   方丈記 14



原文
又、ふもとに一の柴のいほりあり。すなはち、この山守が居る所なり。かしこに小童あり。ときどき来たりてあひとぶらふ。若、つれづれなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳、これは六十、そのよはひ、ことのほかなれど、心をなぐさむること、これ同じ。或は茅花(つばな)を抜き、岩梨(いはなし)をとり、零余子(ぬかご)をもり、芹(せり)をつむ。或はすそわの田居(たゐ)にいたりて、落穂を拾ひて穂組(ほぐみ)をつくる 。若、うらゝかなれば、峰によぢのぼりて、はるかにふるさとの空をのぞみ、木幡山(こはたやま)・伏見の里・鳥羽・羽束師(はつかし)を見る。勝地(しようち)は主なければ、心をなぐさむるにさはりなし。歩みわづらひなく、心遠くいたるときは、これより峰つゞき、炭山をこえ、笠取を過ぎて、或は石間(いわま)にまうで、或は石山ををがむ。若はまた、粟津(あはつ)の原を分けつゝ、蝉歌(せみうた)の翁があとをとぶらひ、田上河(たなかみがわ)をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。かへるさには、をりにつけつゝ、桜を狩り、紅葉をもとめ、わらびを折り、木の実をひろひて、かつは仏にたてまつり、かつは家づととす 。若、夜しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿のこゑに袖をうるほす。くさむらの蛍は、遠く槙のかゞり火にまがひ、暁の雨は、おのづから木の葉吹くあらしに似たり。山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたがひ、峰の鹿の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或はまた、埋み火をかきおこして、老のねざめの友とす。おそろしき山ならねば、ふくろふの声をあはれむにつけても、山中の景気、をりにつけて、尽くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知らむ人のためには、これにしも限るべからず。

 現代語訳
 また麓に一つ、柴の庵がある。すなわちこの山守がいる所である。そこに子供がいる。時々来ては話などした。もし退屈しているときはその子供を友として散歩する。子供は10歳、私は60、この年差はことの外ではあるが、心が慰むことは同じである。或いは茅花を抜き、岩梨をもぎとり、零余子(ぬかご)を拾ったり、芹を摘む。或いは山裾にある田の際に行き、落穂を拾い、穂組(ほぐみ)をつくる 。もし、天気が良ければ、峰によじ登り、遥かに見える故郷の空を眺め、木幡山(こはたやま)・伏見の里・鳥羽・羽束師(はつかし)を眺める。景勝地には主がいないので心を慰むるに支障はない。草臥れることがないなら遠くの方まで行ってみたいときは、峰を歩き続け、炭山をこえ、笠取を通り過ぎ、或いは醍醐寺に詣で、石山を拝む。もしまた粟津(あはつ)の原を通り越し蝉丸の翁の跡を尋ね、宇治川の上流の田上河(たなかみがわ)を渡り、猿丸大夫の墓を訪ねる。帰る際は季節の折々に桜の花を愛で、紅葉の色づきを楽しみ、蕨を抜き、木の実を拾い、かつ仏に供え、更に家への土産にする。もし、夜が静かであるなら、窓から射す月の光に故人を偲び、猿の鳴き声に泪をぬぐう。草むらの蛍は遠く氷魚を捕るかがり火のようで、明け方の雨はまるで木の葉を吹く嵐のようだ。山鳥が鳴く声を聞いても父か母かと思い、峰の鹿が馴れて近くにいるのにも世から遠ざかっているのを感じる。或いはまた、埋み火をかき起こして老人の寝覚めの友として温まる。恐ろしい山ではないがフクロウの鳴き声に哀れを感じるのも山の中の風流だと思い、感じることに尽きることがない。もちろん深く分かってくれて、更に深くいろいろ知りたい人にはこれ以上のものがあることであろう。

 中国の竹林の七賢人   白井一道
 中国の竹林の七賢人と言われる人々は清談をしたという。世俗を離れ老荘的談話を楽しんだ人々を竹林の七賢人と言われている。この七賢人たちが話し合ったことを清談といった。時代は後漢帝国が崩壊し、三国時代が始まっていた。三国の中では魏の国がもっとも強大であった。なぜなら魏は黄河の中流域、中原(ちゅうげん)を支配したのが魏であった。魏が滅亡していく頃に出現したのが竹林の七賢人である。後漢から魏、魏から晋へと興亡相次いだ乱世にあって、儒教に忠実であること、世俗に関与することが政治的な身の危険に繋がったという時代背景に出現したの七賢人である。遁世者である事に変わりはないが七賢人はお酒を楽しみに生きたようである。七賢人は儒教思想を論じたのではなく、老荘思想を論じ合った。古い礼教を論じた儒教思想ではなく、老荘を論じ合った。

醸楽庵だより   1444号   白井一道

2020-06-20 12:28:19 | 随筆・小説



     方丈記 13



 原文
 その所のさまをいはば、南にかけひあり。岩を立てて、水をためたり。林の木ちかければ、つま木をひろふに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきの葛跡うづめり。谷しげけれど、西はれたり。観念のたより、なきしにもあらず。
 春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方に匂ふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。秋はひぐらしの声、耳に満り。うつせみの世をかなしむほど聞こゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。若、念仏物うく、読経まめならぬ時は、みづから休み、身づからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独り居れば、口業(くごふ)ををさめつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界(きやうがい)なければ何につけてかやぶらん。若、跡の白波にこの身を寄する朝には、岡の屋にゆきかふ船をながめて、満沙弥(まんしやみ)が風情を盗み、もし桂の風、葉を鳴らす夕には尋陽(しんやう)の江を思ひやりて、源都督(げんととく)のおこなひをならふ。若、余興あれば、しばしば松のひゞきに秋風楽をたぐへ、水のおとに流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから情をやしなふばかりなり 。

 

現代語訳
 庵のある場所の様子を言うと、南側に掛樋がある。岩を組み立てて水を貯めている。林の木が近くにあるので薪は十分にある。名を音羽山という。つるまさきが道を覆っている。谷は木が生い茂っているが西側は開けている。だから西方極楽浄土を観想する便宜がないわけではない。
 春は藤の花波を見る。紫雲のような西方を思う。夏は郭公の鳴き声を聞く。聞くたびに死出の山路を教えてくれる。秋は蜩(ひぐらし)の声が耳を満たす。この世に生きることを哀しむほど聞く。冬は雪をうっとりと見て過ごす。雪が積もり消えていくようすは人間がこの世で犯す罪が積もり消えていくようすのようだ。もし、念仏をあげることが面倒な時は、気ままに休み、怠けることだ。妨げられる人もなく、また恥ずべき人もいない。わざわざ無言の行をしているわけではないが、一人でいる以上、言葉による災いが起きることもない。何としても戒を守ろうとしなくとも世俗にまみれることもなく、何についても戒を破るようなことはない。もし行く船の跡に起きる白波のたちまちにして消えてしまう儚さをこの身に思いを寄せる朝には岡の屋の辺りを行き交う船を眺めて満誓沙弥(まんせいしやみ)の風情になって、もし桂の木を吹く風の葉音のする夕べには白楽天が尋陽江で琵琶の音を聞いた故事を思いやって桂大納言経信わ真似て琵琶を演奏する。もし、興がのればしばし松に吹く秋風を楽しみ、水の音に合わせ流泉の曲を楽しむ。琵琶を弾く技は拙くとも人の耳を楽しませないとも限らない。一人で弾き、一人で詠い、自分の心を癒すだけのことだ。

 楽器「琵琶」と語りについて  白井一道
 紀元8世紀、唐王朝が成立する。唐王朝は西方の遊牧民が漢民族化して成立した制服王朝である。遊牧民族は東西交易の民でもあった。8世紀には中東において巨大なイスラム帝国が成立している。イスラムはまた交易の民でもある。8世紀は東西文化が交流した時代でもある。この時代に流行した楽器の一つが琵琶である。
唐時代の詩人、白居易は詩《琵琶行》の中で琵琶演奏のすばらしさを描いている。今でも中国人は琵琶というとこの詩を想い出すという。
「都から左遷されて地方に向かう白居易は、秋の夜、波止場の舟で琵琶の音を聞きます。田舎では聴けないようなすばらしい音色に惹かれて、音の主を探すと、昔、都で華やかな演奏を披露し、今は落ちぶれて田舎をさまようようになった老婆が、昔を想い出しながら琵琶を奏でます」。
太い弦で弾く音は激しい雨のようであり、細い弦で弾く音は小声でひそひそ話をしているようだ。 それを交互に弾いていくと、あたかも玉盤に大小の珠を落としたような響きになる。これ「大珠小珠落玉盤」と言っている。曲の最後には、4つの弦を一斉に払って、絹を裂くような気合いのこもった音、これが「四絃一声如裂帛」と詠んでいる。
8世紀、奈良時代、遣唐使が琵琶を日本に伝える。琵琶は語りを伴奏する楽器であった。

醸楽庵だより   1443号   白井一道

2020-06-18 12:09:51 | 随筆・小説



   方丈記 12


 原文
こゝに、六十の露消えがたに及びて、更に、末葉の宿りを結べる事あり。いはゞ、旅人の一夜の宿をつくり、老たる蚕の繭を営むがごとし。是を中ごろのすみかにならぶれば、又、百分が一に及ばず。とかくいふほどに、齢は歳々にたかく、栖はをりをりにせばし。その家のありさま、よのつねにも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継目ごとにかけがねを掛けたり。若、心にかなはぬ事あらば、やすくほかへ移さむがためなり。その、あらためつくる事、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらに他の用途いらず。
 いま、日野山の奥に跡をかくしてのち、東に三尺余の庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)をつくり、北によせて障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、まへに法花経をおけり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつり棚を構へて、黒き皮篭三合をおけり。すなはち、和歌・管絃・往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴・琵琶おのおの一張をたつ。いはゆる、をり琴・つぎ琵琶これ也。かりのいほりのありやう、かくの事し 。

現代語訳
 ここに60の命が消えかかる事態になって、更に晩年の住まいを作ることになった。云わば旅人の一夜の宿を作り、老いた蚕の繭を紡ぐようなものだ。この住まいを三十歳余ての時に建てた住まいと比べてみると、また百分の一にも及ばないものだ。歳を重ねるに従って住まいは狭くなっていった。その家の有様は世の常に似ていない。広さは僅かに一丈、高さは七尺に満たない。場所を思い決めていたのではなかったので、土地を購入して作ったわけではない。材木の土台を築き、上を覆っただけの簡単な屋根で継ぎ目毎に掛け金を懸けただけのもの。もし、ここが気に入らなければ簡単に他所に移そうとしたためだ。その改めて作ることは多少のわずらわしさだけだ。かかる費用は僅かに二両、車にお願いする以外は何もない。
 今、日野山の奥に遁世して後、車に三尺余りの庇を作り、そこを芝をくべる場所にした。南側に竹の簀子を敷き、その西側に水や花、仏具を置く棚を作り、北側には衝立を置き、阿弥陀様の絵を掲げ、そばには普賢菩薩を描き、前に法華経を置いた。東の際には枯れた蕨を敷き、夜の寝床にした。西南に竹の吊り棚を作り、黒い皮桑折を置いた。すなわち、和歌・管絃・往生要集のような抄物を入れた。傍らには琴・琵琶各々一張を立てかけた。いわゆる折りたたんだ琴・柄の取り外しのできる琵琶だ。仮の庵の有様はこのようなものである。


 日本の住まいの特徴  白井一道
 日本建築の特徴は日本の風土が培ったものである。
日本の気候の特徴を気温と雨量で区分したケッペンの気候区分によると日本はほぼ温帯湿潤気候か冷帯湿潤気候に属し、世界的に見ると四季がはっきりしていている。はっきりした四季がある国と言うのは世界的には少ないようだ。気温の年較差が日較差よりも大きい。また、降水量が多く、梅雨や秋霖の影響で降水量の年変化が大きい特徴がある。
 日本の気候が日本建築に大きな影響を与えている。雨量が多いので家の中では屋根が大きい。大きな屋根の家に美しさを求めて作るようになった。屋根の美しさに日本建築の特徴がある。軒の深い屋根を持った家に日本人は美を追求してきた。茅葺の家も檜皮葺きの家も瓦葺の家も皆、美しい屋根を競って作って来た。軒の深さに家の陰影が表現される。この陰影に美を発見してきた。
 陽射しが冬は低く、軒に遮られることなく部屋の中に日が当たる。夏は陽射しが高く、軒が深いと部屋の中に日が射すことはない。日当たりに重点を置いた家造りが日本の家屋の特徴の一つのようだ。また、日本は雨量が多く、湿度が高い。だから通風の良い家造りをした。風通しの良い家造りをしてきた。だから床の高い家造りをした。壁を重視する西洋の家ではなく、柱と梁、桁を大事にする家造りをした。壁を重視すると風通しが悪くなる。ヨーロッパのように日本に比べて湿度の低い地域では、壁を重視する家も良いが日本では不向きな家造りだ。気温と湿度の高い日本では風通しの良い家がいい。

醸楽庵だより   1442号   白井一道

2020-06-18 12:09:51 | 随筆・小説



   河井前法相夫妻は逮捕か



 陣営関係者「買収」告発=河井前法相夫妻、本格捜査へ―参院選現金疑惑・検察当局
 自民党を離党した河井案里参院議員(46)=広島選挙区=が初当選した昨夏参院選をめぐり、案里議員の陣営関係者が、夫の衆院議員、河井克行前法相(57)=広島3区、自民離党=の買収行為を検察当局に告発していたことが17日、関係者の話で分かった。検察当局は案里議員への票の取りまとめを依頼した公選法違反(買収)容疑で夫妻の刑事責任を追及する構えで、近く捜査を本格化させる見通し。
 関係者によると、告発は、広島地検がウグイス嬢と呼ばれる車上運動員への違法報酬事件を捜査していた最中に寄せられた。複数の陣営関係者が、参院選で案里議員が自民党の公認を得た2019年3月以降、「前法相が県議、首長などの地元政界関係者に現金を配った」との情報を提供。案里議員への票の取りまとめを依頼する買収目的だった疑いを示唆したとされる。
 告発内容などから、現金配布は前法相が主導したとみられるが、一部は案里議員自らが配布していたという。検察当局は夫妻が意を通じていたとみて捜査を進めているもようだ。
 複数の県議らによると、河井前法相は昨年4月投開票の統一地方選の前後、地元政界関係者の事務所や自宅を訪問し、20万~30万円を入れた封筒を手渡すなどした。現金は「陣中見舞い」や「当選祝い」名目だったとされるが、案里議員の参院選出馬との関連を疑い、受け取りを拒否した人もいた。
 検察当局は前法相の関係先から、現金配布先をまとめた「買収リスト」を押収。陣営関係者からの告発や、リストの記載内容などを精査し、夫妻の刑事責任を追及する必要があると判断したとみられる。前法相夫妻はこれまでの任意の事情聴取に買収を否定している。 
                                                   時事通信社

 【独自】河井夫妻に出頭要請…検察、買収容疑で逮捕へ
  昨年7月の参院選で初当選した河井案里・参院議員(46)(広島選挙区)の陣営を巡る買収事件で、検察当局が夫で衆院議員の河井克行・前法相(57)(広島3区)と案里氏に対し、18日に出頭するよう要請したことが関係者の話でわかった。検察当局は、夫妻が地元議員ら約100人に提供した計約2500万円が公職選挙法違反(買収)容疑での立件対象にあたるとの見方を強めており、容疑が固まり次第、逮捕する見通し。
 夫妻は16日付で自民党に離党届を提出し、17日に受理された。
読売新聞オンライン

 秘書有罪「案里氏の態度が影響して重い判決になったのでは」…広島県会議長
自民党の河井案里参院議員(46)の陣営を巡る選挙違反事件で、案里氏の公設第2秘書・立道たてみち浩被告(54)が執行猶予付きの有罪判決を受けた16日、広島県内の自民関係者や市民から厳しい声が相次いだ。
 中本隆志・県議会議長は記者会見を開き、「昨秋に疑惑が浮上してから、一区切りがついた。案里氏は反省せず、一言の釈明もせず、何食わぬ顔をして国会に出ている。そうした態度が影響して重い判決になったのではないか」と批判した。
 同党の別の県議も「地元や党のイメージを大きく傷つけた」と憤り、湯崎知事は「公設秘書の有罪判決があった中で、依然として議員本人から何の説明もないのは誠に遺憾だ」との談話を出した。
 案里氏と、夫で衆院議員の克行・前法相(57)は昨夏の参院選に関連し、公示前に県議らに現金を渡したとされる疑惑も浮上しており、広島市西区の50歳代の会社員男性は「夫妻は事件について説明する責任がある。一刻も早く永田町から退場してほしい」と話した。
 同党県連会長を務める宮沢洋一・参院議員は「今からでも遅くないので事実の説明をしてもらいたい」とのコメントを出した。
                                              読売新聞オンライン

 国会が閉会したら河井前法相夫妻の逮捕が予想されると郷原信郎氏は「日本の権力を切る」で述べていた。郷原氏の予測は的を射ていたようだ。検察の安倍内閣への反撃なのかもしれない。