醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  954号  白井一道 

2018-12-31 13:22:31 | 随筆・小説



  日本の保守本流


侘助 岸信介の政策は戦前の政策の正当性を信じ、これを継承するものである。
呑助 「八紘一宇」、「王道楽土」の実現ということですか。
侘助 「満洲国」建国の二大スローガンは「五族協和」と「王道楽土」であった。「王道(楽土)」とは「覇道」ではない。「覇道」とは、武力による征服、支配の政治をいう。が「王道」は皇帝(王権)の仁政によって万民が幸福に暮らす国家の理想だ。「満洲国」は、王道楽土を目指し、それを建国の
本義とした。この思想を岸信介は継承している。岸信介は「満州国」の閣僚だったからね。
呑助 儒教思想にある徳治主義ですか。
侘助 具体的に日本軍が中国で行ったことは、中国人の土地、財産を奪い、中国人を殺した。およそ一千万人以上の人々が犠牲になった。
呑助 口で言ったこととやったことは違っているということですか。
侘助 口では良いことを言うが、やることは悪い。岸信介は戦争犯罪人として訴追されたが、一切反省することなく、米軍に許されて戦後の日本政界に復帰した。岸のような人々がそのほかにもいた。それらの人々が自民党本流の基盤を作った。それらの人々に対して戦前から当時の対外膨張政策を批判した保守思想家が戦後政界に出た人がいた。
呑助 そんな政治家がいたんですか。
侘助 石橋湛山だ。湛山は大正デモクラシーのオピニオンリーダーだった。いち早く「民主主義」を提唱する。また三・一独立運動をはじめとする朝鮮における独立運動に理解を示す。帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張するなど、リベラルな言論人として知られていた。戦後政界に出て、鳩山内閣の閣僚になる。
呑助 戦後総理大臣になってすぐ病気になり止めた人ですね。
侘助 そうなんだ。この石橋湛山が日本の保守本流だと田中秀征氏は述べている。
呑助 どのような政治家がいたんですかね。
侘助 石橋湛山を支えた政治家に池田勇人がいた。後に総理大臣になった。
呑助 岸信介が60年安保で下野した後が池田内閣でしたね。この時からですか、高度経済成長が始まったのは。
侘助 軍拡より経済成長ということで戦後世界第二位の経済規模を持つ国を作った。
呑助 軍事支出が無かったので経済が成長したんですかね。
侘助 そうだと思う。しかし日本が急速に経済成長したのは戦後すぐ始まった朝鮮戦争特需が日本経済を復興したと言われている。この朝鮮戦争に日本は軍隊を派遣しなかった。派遣できなかった。なぜなら憲法9条があったからね。見方によれば憲法9条があったから、経済が成長することができたとも言える。
呑助 朝鮮戦争が終わると間もなくベトナム戦争がおこりますね。
侘助 ベトナムでは日本敗戦後、フランスとの独立戦争が始まり、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗北し、休戦が成立、その後ベトナム戦争が始まり、ベトナム特需で日本が潤った。