ひと月を越える長期出張から、夫が帰宅。
「お父さんがいなくてさびしい」
と時折泣いていた長女も、
「毎日楽しいから、お父さんがいないことなんて忘れてる」
と言ってた次女も、
「帰りの日まで、あと何日」とカレンダーを眺めた日々のおしまいに、
輝くばかりの笑顔でした。
テレビ好きの夫が留守になってから、今日まで娘たちは、ふしぎなことに一度もテレビを見ませんでした。
もともと、わたし自身、ほとんどテレビを見ないので、途中までそのことに気づきもしませんでした。
「気象情報みるから、ちょっとつけて」と家事をしながら頼むたび、いつもチャンネルが同じなので、「あれ?」となったのです。
夫がいるときは、スカパーやらビデオやら、しょっちゅう切り替えボタンやチャンネルが変わっていたのよね。
で、機械オンチのわたしは、「いじったら、壊れたりしないかな?」とスイッチに触れるのもこわいくらいでした。
でも、娘たちは、操作にとっても慣れている。
コマーシャルソングやアニメのキャラクターやお笑い芸人のネタなどにもやたらに詳しく、てっきりテレビが大好きなんだと思っていたのに。
彼女たちが好きだったのは、テレビを見ることそのものよりも、お父さんと一緒にいる時間だったのでしょうか。
店一軒ない静かな山の中で、習い事にも塾にも通わず、毎日のんびり暮らす娘たちにとって、ふだんから夜遅く、平日は朝ご飯が一緒なだけ、出張で会えない日も珍しくない父親でも、ひと月あまりの不在は、ものごとをいろいろ考える年ごろになった今だからこそ、その事実が大きくのしかかってくるようになったのでしょう。
アメリカにある夫の勤める関連会社で、社の移転が決まった際、アメリカ人社員すべてが退職したそうです。
彼らにとっては会社よりも「ホーム」。
単身赴任の考えはないそうです。
でも、たいていの日本人はちがいます。
転勤のためにホームを離れ引っ越したり、または単身赴き、家族離れ離れの生活をおくらざるをえない。
これを当たり前とする日本社会って、なんだかいにしえの参勤交代を引きずっちゃっているみたいな感じかな。
夫は長期出張を終えるたびに太って帰り、どんな食生活であったのか、聞くたび胸がつまります。
料理万能の夫でも、「作る気力」がおきなかったり、また海外では材料すら手に入らぬホテル暮らしだったり。
一旦帰社したものの、すでに体調崩したあとで、ついに帰らぬ人となった方の話も耳にします。
こどもたちをめぐるさまざまな問題に、家庭の基盤のゆらぎを危ぶむ声がいよいよ高くなりながら、国や企業はまるで、その家庭をつくる人びとをひきさいている現実が、見えていないかのようです。
幼い子が育ちゆく環境に、父性と母性は必要です。
それは、ひとりの親で両方の役割を担ったり、または複数の養育者で担いあうこともできるでしょう。
ただ、江戸時代のおかみのように、ひとりの父とひとりの母が産み授かった、その子を育てる家庭をこわすことをいとわない、そんな世の中を今も続けることが時代錯誤なんだってことに、そろそろ気づいてもいいんじゃないのかな。