そもそも浄土といっても地獄といっても、外に
あるのではない。ただわれらの胸中にある。これを
悟のを『仏』といい、これに迷うのを『凡夫』という。
これを悟るのが法華経である。したがって、法華経を
たもちたてまつる者は、地獄即寂光土(苦しみの地獄の国土が即、
福徳と歓喜の寂光土となる)と悟ることができるのである。
あるのではない。ただわれらの胸中にある。これを
悟のを『仏』といい、これに迷うのを『凡夫』という。
これを悟るのが法華経である。したがって、法華経を
たもちたてまつる者は、地獄即寂光土(苦しみの地獄の国土が即、
福徳と歓喜の寂光土となる)と悟ることができるのである。