ウォーホール左派

今日も作詩、明日もまた、本格詩人のブログ。

『いかにして高次の世界の認識にいたるか』より

2015-10-30 09:14:00 | Weblog
歴史以前の太古の時代には、霊の神殿は外的にも目に見えていた。
私たちの生活が非精神的になった今日では、外的な目に見える
世界の中に精神の神殿は存在しない。しかし、精神の神殿は
霊的にはいたるところに存在する。探求する誰もが、精神の
神殿を見出せる。
シュタイナー
『いかにして高次の世界の認識にいたるか』より

華厳経

2015-10-29 12:53:44 | Weblog
心の器がいつも清らかであれば、仏を見ることが
できる。心の鏡がよごれているから、仏が見えない。
仏が見えないのは心の器がこわれているからだ。
『華厳経』「如来出現品37の3」

『いかにして高次の世界の認識にいたるか』より

2015-10-29 10:34:00 | Weblog
自分よりも高いものが存在するという深い感情を
私たちのなかで発展させないと、私たちは自分を
高いものへと発展させる力を自分のなかに見出さない
だろう。秘儀参入者は心を畏敬の深み、帰依の深みに
導くことを通してのみ、自分の頭を認識の高みに上げる
力を獲得したのである。謙譲の門を通るときにのみ、
精神の高みに達する。真の知には、君がその知を敬う
ことを学んだときにのみ到達できる。
シュタイナー
『いかにして高次の世界の認識にいたるか』より

シュタイナー思想

2015-10-28 17:12:21 | Weblog
世界と生活について軽蔑し、裁き、批判的に
判断するときに自分のなかに何が入り込んでくるか
に気づこうとすると、私たちは高次の認識に近づく。
そのような瞬間に、自分の意識を世界と生活に対する
賛美・尊敬・敬意で満たすと、私たちは速やかに上昇する。
このようなことに経験のある者は、ふだんは微睡んでいる
力がそのような瞬間に人間のなかで目覚める、ということを
知っている。こうして、霊眼が人間に開かれる。
シュタイナー
『いかにして高次の世界の認識にいたるか』より