ウォーホール左派

今日も作詩、明日もまた、本格詩人のブログ。

冬その4

2018-01-12 10:35:48 | Weblog
冬 NO.4

青白く
落ち
始める
三日月

冷たい
月明かりだけが
僕の真の
現実

何もかも
忘れる事も
忘れ
去り

星々の
しじまに
無限を
思う

ゲバルト(北村太郎)

2018-01-11 10:34:47 | Weblog
ゲバルト(北村太郎)
<米兵は 今。或いは米将校の日常>

きみの快楽はせいぜい
悩めるナルキッソスをなぞり
きみの泥酔は
パスカルくんの臨終の
糞の詰まったはらわたの
痛さをイメジするくらいだ
そこからさきは
時が死ぬ

罐詰の鮭肉みたいに
さえない思想
人体解剖図は自動車構造図と
おなじであります
ぼくは信ずる
反思想を
<後略>

大信は約せず。

2018-01-10 11:05:24 | Weblog
大信は約せず。
だいしんはやくせず。

*本当の信義は、約束を待ってはじめて
守られるというようなものではない。
反対に、信義がなければ、かりに約束
しても、それは一片の反故(ほご)に等しい。
『礼記』より
『中国古典名言事典』諸橋轍次
*中国・台湾とはこんな関係になりたい…

『現代の神秘学』高橋巖著

2018-01-08 08:42:43 | Weblog
高橋巌著『現代の神秘学』より
井戸の水というのは、いつも一定の水量しかないように
見えながら、どんどんかい出すと、水が減るのではなく、
逆に増えるのだというのは、生活における愛情の比喩に
なっています。ものを誰かに分けてあげるという行為は、
そのことだけを唯物的にとりあげれば、自分からなにかが
減ってゆくことなのですけれども、目に見えないところでは、
その人自身を豊かにしているのです。

二人の主人に

2018-01-08 01:24:24 | Weblog
聖書の福音書のどれかに「二人の主人に仕える事は出来ない」と
あります。この二人の主人とは、在天の父か悪魔マンモン(カネの神)。
神は清貧に生きるか魂を売ってカネに仕えるか?選択を迫っている。
永遠の命か地獄の苦しみの中で死後を過ごすか?この世での行為の
選択を迫っている。「人の不幸の上に自分の幸福を築くのではない」と
今は亡き池田大作先生もおっしゃっていた。

献身

2018-01-07 19:42:34 | Weblog
最後に、詩人は、他の人たちに対するひそやかな、奥深い情熱、
献身という名のあの夏の祝祭を、すすめている。(ピエール・ゲール)

蓄積し、ついで、分配するがよい。宇宙の鏡の濃度の濃い、いちばん
有益な、目だたない部分であるがよい。(ルネ・シャール)