遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『おいしい水』  原田マハ  伊庭靖子画    岩波書店

2024-01-30 15:45:05 | 原田マハ
 著者の作品の文庫本が幾冊かまだ買ったままで書架に眠っているのに、たまたま図書館で著者作品の棚を眺めていて本書の薄さが目に止まった。「おいしい水」というタイトルに、「Água de Beber」と付記されている。
 コーヒーカップのイラストと、Coffee Books というシリーズ名が記されている。岩波書店がこんなシリーズを出していることを知らなかった。本書読了後に岩波書店のホームページで検索してみると、本書を含めて一作家一冊で6冊が刊行されている。
 本書は2008年11月に単行本が刊行されている。

 本書は85ページという薄さの本。その中に、伊庭靖子さんの絵が12点挿画となっている。ガラス容器、ガラスコップ、コーヒーカップ、椅子、クッションなどの個別の物体とちょっと抽象画風の作品が載っている。すごく透明感があり、写真では撮れないなあと感じる独特な物体の描写である。そこにどことなく暖かみが漂う。この挿画、見開きの2ページ全体に載る絵が3点あるので、挿画が15ページを占める。その結果、実質的には69ページの短編小説である。
 Coffee Books というネーミングは、静かなコーヒーショップの一隅あるいは自宅の静かな部屋で、まさにコーヒーでも飲みつつ、一時の安らぎの時間に読み切れる読書タイム向きの一冊ということだろうか。
 一つの短編に十分な挿画のある一冊の単行本。ある意味でゴージャスな本と言える。

 さて、本書の読後印象。ひと言でいえば、19歳の女性の甘酸っぱい恋心が1年弱の時の流れと交際の中で、ほろ苦い思い出に転じていく。その心理プロセスが読者を惹きつけていく。読者の青春時代の一コマ、あの頃の私は・・・・・を想起させる契機になるかもしれない短編である。

 「白い厚紙のマウントがすっかり古ぼけたスライドがある。泣き顔の女の子がポジフィルムに写っている。
  ぼろぼろに泣いている。・・・・・・・
  これは19歳の私。                
  もう1枚。別のスライドが、・・・・・・  」(p5) 
こんな冒頭文から始まっていく。

 このストーリー、関西でも有数の名門大学に入学、女子寮に入寮し、最寄り駅の西宮北口から神戸にある大学に通う「私」、「19歳の私」が登場する。
 「やがてあの地震が、すべてを一変してしまう十年まえのことだ。多くの人がそうであったように、私もあの街で大切なものを失った」(p6)という形で。少なくとも十有余年の歳月を経た時点で、「19歳の私」にとっての「憧れのひと」との恋物語を回想する形の短編小説。ストーリーが「私」の視点で進んで行く。後半になって、「私」の姓が「安西」であると、読者にもわかる。

 19歳の私は、元町北の路地裏、古ぼけた雑居ビルの1階にある「スチール・アンド・モーション」という輸入雑貨店で週末には店番のアルバイトをしている。そこはナツコさんが経営するお店。
 そこから、早足で行けば10分もかからないところに「エビアン」という喫茶店がある。私は、アルバイトに行く前には、この「エビアン」に立ち寄り、その結果、アルバイト先には、遅刻常習犯となっていた。
 それは、なぜか? 「エビアン」には、いちばん奥の席に、ベベと称する客がいつも居るからだ。ベベを私は「憧れのひと」として恋うようになっていく。
 ある日曜日の午前中、アルバイトに行く前に、「エビアン」のガラスのドアから中を覗き込み、奥の席にベベが居るのを見つけた。だが、ベベの対面に大柄な男がいる。しばらく覗いていると、その男が途中で激高する場面を目にした。大柄な男が店から出て来て立ち去った。その後ベベが「エビアン」から出て来た。
 駅に向かって歩き出したベベに初めて思わず声をかける。そして私は持っていたドアノーの写真集を「これよかったら」とベベに差し出す。この時の状況描写、そうだろうな・・・と共感する。この時、私はアルバイト先をべべに告げた。これが、私とベべとの交際の実質的な始まりとなる。
 
 翌年の2月の最後の日曜日が、私の最後のアルバイト日となる。雑居ビルが取り壊されることになり、ナツコさんが店を閉じるから。
 あたたかな日に、ベベと私は神戸港の遊覧船に乗る。だが、それがベベと私の交際の最後の日となる。この日にベベは初めて己の事を私に語った。最後に、「だからおれ、もう安西に会われへん。明日から、永遠に」(p80)

 大学の新学期が始まる頃、安西はナツコさんからの電話を受けて再会する。
 その時、ナツコさんを介して、冒頭の今は古ぼけてしまったスライドを受け取る。
 この顛末がこのストーリーの最後の場面となる。

 この私(安西)の恋の顛末がこのストーリー。私の内心描写の変転が読ませどころとなる短編である。ドアノーの写真集の表紙が一つの表彰として、「おいしい水」の場面に織り込まれている。そして、遊覧船上でのベベの告白が衝撃的!

 このストーリー、最後は次の文で終わる。
「おいしい水、とベベが言った。
 アストラッド・ジルベルトの名曲のタイトルだと、いまならわかる。
 けれどあの頃、私は19歳。
 桜が咲き乱れる季節に20歳になる、ほんの一歩手前を生きていた。
 ようやくほころびかけた、硬いつぼみ。
 おいしい水の味に気づくには、もう少し時間が必要だった」 (p85)

 この最後の文に照応する文が最初の場面に出ている。
「そして、いま頃ようやく気づいたけれど、かけがえのないものを得た、とも思う。
あの頃。
 私は花びらの開き方も知らない、固いつぼみだった。
 19歳の私。                   」(p6)

 著者は、19歳という青春の一時期を、恋心と重ねながら、鮮やかに切り取って描きあげている。「私」が回想する「19歳の私」。
 次の一文が、このストーリーの核になっていると思った。
「光のなかにいるときは、その場所がどんなに明るいか気づかない。そこから遠ざかってみて、初めて、その輝きを悟るのだ」(p11)

 最後に、この短編には、私の知らない音楽や写真の領域でのアーティスト名が数多く出てくる。私(安西)が週末にアルバイトをしている「スチール・アンド・モーション」の背景イメージを作る一環の描写である。だが、これらのアーティストを知っている人と知らなかった私とでは、読者としてこの記述個所を読むときのイメージの広がりと印象は、たぶん大きな開きがあることだろうな・・・・と思う。
 次の人名が出てくる。私の覚書として、列挙する。
 音楽家として:
 アストラッド・ジルベルト、エリック・サティ、ブラアイアン・イーノ
 トレーシー・ソーン、ジェーン・バーキン、チエット・ベーカー
 そして、もう一つが写真家として:
 ロベール・ドアノーの「市庁舎前のキス」、アジェ、ブラッサイ、エルスケン
 ロバート・フランク

 この短編、私にとっては、未知のアートの領域への扉を開けてくれた。取りあえずは、YouTube やウィキペディアなど、ネット情報の活用を手がかりにする楽しみが増えた。

 ご一読ありがとうございます。


補遺  ちょっと調べ始めて:
アストラッド・ジルベルト :ウィキペディア
おいしい水  YouTube
Astrud Gilberto - Best Vol.1   YouTube
エリック・サティ    :ウィキペディア
サティ:ピアノ曲集Ⅰ(compositions by Erik Satie)  YouTube
Erik SATIE - Gymnopedies 1, 2, 3 (60 min)    YouTube
ロベール・ドアノー   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『奇跡の人』    双葉文庫
『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎

「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
                   2022年12月現在 16冊


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