遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『ちゃんちゃら』   朝井まかて   講談社文庫

2025-01-08 18:27:29 | 朝井まかて
 主人公の名は「ちゃら」。江戸・千駄木町にある「植辰」の辰蔵親方のもとで修行する庭師。なぜ「ちゃら」という奇妙な名前なのか。
 それは、辰蔵との出会いにある。ちゃらは浮浪児だった。辰蔵の目の前で茶店の握り飯を掠め取り、逃げ、神社の楠の天辺に上って飯にかぶりついていたら、辰蔵が追いかけてきた。「庭師の仕事はな、空仕事ってぇ呼ばれるんだ」と辰蔵が声をかけた。そして、「おめぇ、空仕事をしてみろ」と言われた。それがきっかけである。辰蔵に「ちゃんちゃら可笑しいや」という啖呵を切ったことから、「ちゃら」と呼ばれることに。本書のタイトルはこの啖呵に由来するようだ。
 ちゃらが辰蔵の弟子となり、植辰に入ってから10年になる時点から、このストーリーが始まる。
 読了後の第一印象は、爽快さが余韻となる短編連作風の長編時代小説である。

 本書は、2010年9月に単行本が刊行され、2012年12月に文庫化されている。

 「石を組んで木を植えるんだ。木に登って枝を抜いたり、葉を刈ったりもする。空に近い場所で働くから、庭師の仕事は空仕事だ」(p8)という辰蔵親方の言で、庭師のことを「空仕事」というのを初めて知った。

 本作の構想は楽しめる。序章が「緑摘み」、終章が「空仕事」。その間が5章編成になっている。序章は、植辰で「小川町のご隠居」と呼ぶ元北町奉行所の凄腕与力・是沢与右衛門宅の庭での仕事場面から始まる。この導入では辰蔵の人柄やちゃらのプロフィールがあきらかになる。さらに、与右衛門が辰蔵に問い掛ける形で各章の底流で蠢いていく一つの流れへのキーフレーズが織り込まれる。「そなた、嵯峨流正法なるものを存じおるか。・・・・ 作庭だ・・・・・・ 嵯峨流をな、復興した文人がおるらしい・・・・」(p14)
 辰蔵は、20年ほど前に、植辰二代目の父の元で修行した後、他流仕込みとして、京に赴き修行した時代があった。辰蔵は嵯峨流という名門一派が京にあったということを知っていたが、嵯峨流正法のことは知らなかった。

 序章に続く5章は、
   第1章 千両の庭 / 第2章 南蛮好みの庭 / 第3章 古里の庭
   第4章 祈りの庭 / 第5章 名残の庭

 これらの見出しから想像できるように、異なるスタイルの作庭が基本テーマとして各章に組み込まれていく。これが作庭という観点でなかなか興味深い。
 それとパラレルに、底流となる蠢きが要所要所に現れる。嵯峨流正法を復興した文人の企みが植辰一家に苦難を及ぼす諸事象を発生させて行く。植辰一家が苦難に遭遇する要因となる。勿論、その原因は、徐々に明らかになっていく。お楽しみに。

 辰蔵の指導の元でちゃらが作庭に取り組むのだが、作庭はいわばチーム仕事でもある。さらに周辺で仕事を支える人もいる。ここで辰蔵以外の主な登場人物をあげておこう。

福助  :頭だけが異様に大きい小男。池泉や流れなどの水読みに秀でた庭師。
     辰蔵が京で他流仕込みの修行中に一緒だった仲間。江戸に来て植辰に居付く
玄林  :髭面の偉丈夫。石組の腕に優れる庭師。入手した石の置き場を山に持ち、塒は
     駒込にあるが、5年前に植辰に出入りしたのを契機に、植辰に寝泊まりする日
     が多い.1年の半分は石探しで諸国を歩き、江戸を留守にする。
百合  :辰蔵の一人娘。他流仕込みで京に赴いた辰蔵が京で所帯を持ち生まれた子。
     母は辰蔵が江戸に戻る前に死亡。百合が植辰一家の家計・賄いを担っている。
五郎太 :ちゃらより2歳年上だが、弟弟子。2年も経たぬ内に実家に戻る。実家が柴惣
     と称する船宿。結局、船頭になる。百合に思いを秘めている。

 各章を簡略にご紹介し、読後印象も付記する。

< 第1章 千両の庭 >
 日本橋石町新道にある大店、薬種商瑞賢堂の角兵衛からの作庭注文。角兵衛は、恥掻く、義理欠く、礼を欠くの三かくの旦那として悪評がある。蔵一つを潰した跡地を含めた70坪ほどに、千両の庭を、梅雨入りまでに仕上げてほしいという注文。角兵衛は千両を費やした庭との評判をとりたい狙いなのだ。庭は北庭となる。お留都という娘が居るが目病みを患い、視力がほとんどないことを知る。ちゃんはお留都に優しい作庭を試みる。一方、角兵衛は嵯峨流正法の門人と偽って、作庭に横やりを入れることに・・・・・。

< 第2章 南蛮好みの庭 >
 根岸にある料理屋琉亭の500坪に近い平庭を、施主である女将の希望で南蛮好みの庭にすることを依頼される。女将は縁担ぎが甚だしく、植辰が依頼を受けるまでに名だたる庭師が幾人もこの庭の仕事を降りていた。庭がほぼ完成した段階で、一人の道服姿の男が「女将には私から指図する」と述べ、ちゃらに直接に思わぬ注文を付ける。庭の主木である羅漢槙を龍に刻めという・・・・・。ちゃらは龍を刻む。
 嵯峨流正法を復興した文人が、辰蔵の前に姿を現した。女将は辰蔵に家元の白楊様だと告げる。辰蔵と白龍の対峙が始まる。波乱の幕開けとなり、悲劇が起こる。
 この章で、「籠(コミ)仕立て」という技法を知ることになった。また、庭における水の流れが重要なポイントになっていることがわかる。

< 第3章 古里の庭 >
 ストーリーの底流部分からます始まる。白楊によるちゃらスカウトの行動。一方、植辰の顧客たちの庭で庭木が枯れるという事態が連続して起こる。現場を調べて、辰蔵は木殺しと見抜く。不穏な事象が始まる。
 作庭依頼が入る。薮下道を根津権現に向かって下った道沿いの仕舞家に住む老夫婦が新しい施主である。施主は庭の柿の木が気に入り、その家を即決で購入したという。ちゃらはこの老夫婦に雑木の庭を提案する。それは辰蔵・福助・玄林にはなかった発想だった。 古里の庭が完成した後の騒動譚が興味深い。庭とは何か、という理念につながっていくと受け止めた。

< 第4章 祈りの庭 >
 木殺しという原因はわかりつつも、辰蔵が施主たちへの誠実な賠償行為を実行している状況と、世間で発生している流行り病という事象からストーリーは進展する。傷寒の流行とは別に、傷寒に対処している月光寺に気狂いの行き倒れが運びこまれたという。これが新たな進展への因となる。
 流行していた傷寒が終息してきた状況下で、ちゃらの発案を受け、月光寺の庭に雑木の庭づくりが始まる。それがなぜ祈りの庭なのかが、この作庭の顛末譚となる。
 「親方、どうぞお願い申します。雑木の庭の普請で、生きる術も希望も持たぬ者たちに己の足でこの世に立つ道をつけてやってください」(p284)という発言に集約される。この発言者がだれか。それが楽しめて余韻の深いオチになっている。

< 第5章 名残の庭 >
 序章に登場する是沢与右衛門宅の庭に奥庭を仕立てる。施主与右衛門は玄林に構想を任せた。それをちゃらが手伝う。三体の石を使う庭である。これが名残の庭の作庭となる。景石、組む、据える、捨て石、石の根が切れる、という用語を学ぶ機会になった。「木心を汲むように、石の心も聴け。どこにどう坐りたいかも、聴けば石は答える」(p291)という一文が印象深い。
 この章において、底流として蠢いてきた諸事象の根源である嵯峨流正法宗家・白楊の企みの全貌が表に現れる!! いわば大団円へと進展し、読者には予想外の事態が生起することに・・・・・。
 この章で印象的な箇所を引用してご紹介したい。それがどのような文脈で発せられたのかは、本書にて味わっていただきたい。
 「静けさって、音があって初めてわかるものね」(p294) → お留都の言
 「子供の頃、獣のようだった俺にも魂があったとすれば、その魂を見くびらずに対等に扱ってくれたのは親方だ。それが慈悲というものじゃねえんですか。この世に苦しみは満ちている。だが慈悲も満ちている。浄土とはそうやって、生きる苦しみも悲しみも全部引き受けて、いつか己が心に築くものじゃねえんですかっ」(p360) →ちゃらの言

 終章は主な登場人物のその後を語る。ここには触れない。やはりお読みいただいての楽しみだろう。

 楽しく読めるのは間違いない。
 ご一読ありがとうございます。


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「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在  8冊


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