遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『童の神』  今村翔吾  ハルキ文庫

2024-06-26 23:21:25 | 今村翔吾
 本書は第10回角川春樹小説賞受賞作品で、第160回直木賞候補作にもなった。2018年10月に単行本が刊行された後、2020年6月に文庫化され、時代小説文庫の一冊となっている。余談だが、著者は2022年、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞した。

 本作の核心になるのは「童」という一字である。大和葛城山は土蜘蛛の棲む地とされた。土蜘蛛の長である毬人(マリト)が桜暁丸(オウギマル)にこの一字の意味を次のように語る場面がある。
 京人は「童」を「わらは」と読むが、我らは「わらべ」と読むと。それは奴を意味する言葉なのだと語る。”童という字は「辛」「目」「重」に分けることが出来る。「辛」は入れ墨を施す針、「重」は重い袋を象った字で、つまり童は目の上に墨を入れられ、重荷を担ぐ奴婢という意味らしい。「元からその地に住まう者、あるいは貧しい者。それらも一纏めにして京人はそう呼ぶ。京人の驕り、蔑みの証とも言える字よ。小さいかも知れぬが、その一字さえ屠ってやりたくなる」”と。(p204)
 「童」という文字は、当初奴・奴婢、つまり奴隷という意味で使われていて、それが後に平安・鎌倉の頃から「子供」を意味する言葉に転じて行った。この「童」の使われ方の原義を知ったことと、酒呑童子の名を目にした瞬間に、この作品が脳裡に一気に流れ込んで来たと、著者は「受賞の言葉」の中で述べている。

 古代より中央の政権に纏ろはない、反抗的な人々・集団は蔑称で呼ばれてきた。『日本書紀』に出てくる九州の熊襲、隼人はその例であろう。本作に登場する土蜘蛛も同様である。『古事記』にも登場している。
 本作には、京人が付けた蔑称として、夷、滝夜叉、土蜘蛛、鬼、百足、犬神、赤足、鵺などが出てくる。彼らが童である。本書のタイトル「童の神」とは、「童」の諸集団を結束する総大将的な立場に押し上げられて行った桜暁丸をさす。桜暁丸は、己たちの生き方を中央の政権に認知させようと試みた。だがその思いは潰える。  本作は、藤原道長の治政下において、京周辺に棲み朝廷側に服従しない集団が、朝廷側の軍団に殲滅されていくプロセスを、桜暁丸の半生と絡めて描いていく。
 朝廷側の軍団とは、道長の側近である洛中随一の武官源満仲とその配下である。満仲の嫡男は源頼光。部下には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が居る。相模足柄山の「やまお」と呼ばれる民であり、京人に「山姥」と蔑称されてきたが、朝廷側に下って配下となる道を選択した坂田金時が加わっている。同様に、犬神と夜雀も朝廷側の配下になっていた。

 桜暁丸は、最後には京の帝から、大江山の酒呑童子と称されるようになる。

 「大江山絵巻(酒呑童子絵巻)」が史料として残されている。これは大江山の酒呑童子を頼光、渡辺綱らが退治する物語として描かれている。大江山の鬼退治という伝承は世に知られた話である。
 平安時代の朝廷側と政権に従わない人々との間の戦い、当時の社会構造などの史実を背景に踏まえながら、本作は、ダイナミックなフィクションの世界に読者を誘っていく。被抑圧者側のやるせない思いがひしひしと伝わる作品になっている。

 序章は皆既日食が始まった状況の描写である。当時の人々はこのとてつもない現象に驚愕したことだろう。
 安部清明はこの自然現象の到来を予期し、それを利用する。どのように利用したかが重要な要になる。その一方で、己は京の中枢に秘やかに沈潜し、己の拠点を維持していく。この設定がまずおもしろい。

 第1章にまず安部清明が登場する。「天の下では人に違いはない」という境地に達したと記されている。この一文が本作のテーマになっていると思う。
 清明は天暦2年(948)に皐月と出逢った。それが契機で、二人の間には子が生まれた。如月と名付けられる。皐月は、愛宕山に居を構え、配下は100人を越える群盗「滝夜叉」の女頭目である。皐月は自ら平将門の子だと清明に告げる。京人は平将門を東夷と罵った。
 歴史年表を読むと、「安和2年(969)3月、安和の変(藤原千晴ら流罪、源高明左遷)という一項が記されている。著者はこれは、左大臣源高明が緊急朝議を開き、天下和同という自説を展開しようとした。その源高明に、国栖率いる葛城山の土蜘蛛、虎節率いる大江山の鬼、皐月率いる愛宕山の滝夜叉らが加担したと描く。源満仲の裏切りにより、高明の企ては頓挫した。安和の変である。
 土蜘蛛、鬼、滝夜叉たちの苦難が再び始まっていく。滝夜叉は落ちのび、摂津竜王山に拠点を移すことに・・・・・。

 第2章に桜暁丸が登場する。越後国蒲原郡の豪族で、先祖が朝廷に服属した故に、郡司を任命されている山家重房を父にして、天延3年(975)、皆既日食の日に生まれた。母は山口という浜に漂着した異人だった。その母は出産後、流行り病で死んだ。父は桜暁丸の姿形は母に似ているという。周辺の人々は、桜暁丸を禍の子と見なし、鬼若と密かに呼んでいた。
 桜暁丸は師となった老僧の蓮茂から学問と教練を学ぶ。1年後の寛和2年(986)に、暗雲が立ちこめる。この時国主は源満仲であり、重房が蒲原郡にある夷の村にも善政を行うやり方に対し、反対の立場を取り、重房を攻めてきた。攻めてきたのは、満仲の嫡男頼光、卜部季武、碓井貞光らである。このとき、蓮茂の素性が百足だと明らかになる。
 桜暁丸はこの時、父重房の説得と蓮茂の助力により、落ちて生き延びることになる。
 これが桜暁丸の波瀾万丈の人生の幕開けとなっていく。

 桜暁丸は京に上る。そして、花天狗と称される凶賊となる。夜回りする検非違使や武官しか狙わない。「金を返せ。返さぬとあらば抜け」金を差し出した者には危害を加えない。刀を抜いた者は斬り殺す。錯乱して素手で挑んだ者は殴り倒すという行動に出る。それが評判となる一方、追われる立場になる。
 花天狗の所業において、彼は渡辺綱、坂田金時らとの対決の出会いが生じてくるのは当然である。
 一方で、袴垂保輔との出会いが生まれ、保輔に助けられることから、その後の状況が大きく動いていく。まずは保輔の活動を手伝う事から始まって行く。義賊と称される保輔を身近で見聞し協力する。それが「童」と称される人々、集団との出会いへと広がって行く。
 民を騙すことに長けた中流貴族の藤原景斉の屋敷に盗賊に入ることを契機に、滝夜叉との連携が始まる。
 かつて保輔が助けた娘、穂鳥を再び保輔から託されて、大和葛城山の裾野を歩く途中で土蜘蛛との出会いが生まれる。土蜘蛛について、桜暁丸は蓮茂から教えられていた。
 土蜘蛛の頭領毬人との絆が、彼らの里である畝傍山での砦再構築を生むことになる。桜暁丸は、毬人の子である欽賀と星哉を同行し、この計画を為し遂げる。葛城山と畝傍山の二山の連携が始まる。
 この後、竜王山、大江山との連携を推進していくという展開になる。
 そして、桜暁丸がある経緯を経て大江山の鬼の頭領に推されることになるという次第。 ここに到る紆余曲折が、まず読ませどころになる。
 その先に、大江山、葛城山、竜王山を拠点にする童が京の朝廷側の軍と対峙していかざるを得ない推移がクライマックスへと読者を導いていく。

 「天の下では人に違いはない」という原理がなぜ実現しないのか。この不条理を鮮やかに描いている。

 酒呑童子と恐れられた桜暁丸が最後に麻佐利に告げる言葉、そこに彼の万感の思いが込められていると言えよう。
 「鬼に横道なきものを!!」
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
袴垂保輔  :「コトバンク」
藤原保輔  :ウィキペディア
源頼光の大江山酒呑童子退治  1089ブログ :「東京国立博物館」
作品解説 酒呑童子/大江山  :「兵庫県立歴史博物館」
大江山絵巻(酒呑童子絵巻)   :「徳川美術館」

土蜘蛛  :ウィキペディア
滝夜叉姫 :ウィキペディア
鬼とは何者? :「日本の鬼の交流博物館」
勇将・藤原秀郷(俵藤太)の伝承から見えてくる古代の製鉄民族と製銅民族との対立
                             :「歴史人」
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