遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

「剛心」 木内 章  集英社 

2023-05-02 18:14:03 | 建物・建築
 本書をU1さんのブログ「透明タペストリー」で知った。本書の主人公は妻木頼黄(つまきよりなか)。辰野金吾、片山東熊とともに明治期の建築界において三大巨匠の一人だったという。片山東熊は京都国立博物館正門や現在の名称で明治古都館、また奈良国立博物館の現在の名称でなら仏像館を設計した建築家、辰野金吾は現在京都文化博物館別館となっている建物(旧日本銀行京都支店)を設計した建築家として知っていた。それぞれの博物館に出かけるので建物に親しみがある。しかし、京都・奈良・大阪のエリアに現存する建築物と妻木頼黄という建築家について見聞したことがなかった。そこで、関心を抱き本書を読んだ。
 「小説すばる」(2019年11月号~2022年2月号)に連載された後に、加筆・修正を加えて、2021年11月に単行本が刊行された。

 ブログ記事で本の表紙を見、著者名を読んでいても当初気づかなかった。本書を手にして奥書を読み、古い記憶・・・・著者の『櫛挽道守』(集英社)を2015年1月に読んでいたこと・・・・を思い出した。私にとって著者本は2冊目となる。

 妻木は、明治政府の工部省が創設した工部大学校をあと1年という時期に中退し、二度目の渡米を行った。コーネル大学で建築を学び学士号を取得後、アメリカにてしばらく建築家として働いた。井上馨の推進する官庁集中計画のために明治19年2月に内閣直属の「臨時建築局」が発足した。妻木は帰国後、技師長松崎万長(まつがさきつねなが)の推薦を得て、この臨時建築局に入る。そして、他の技師や職人たちとともにドイツに派遣され、エンデ・ベックマン事務所でドイツ流の設計を学ぶ。帰国後、政治的情勢の変化による組織改編により、妻木は内務省さらには大蔵省へと移るが、終始営繕官僚の道を歩む。最後は大蔵省での営繕の総元締めの立場で、己の建築に対する思いを実現する方向へと邁進していく。本書は建築家であり営繕官僚である妻木が歩んだ軌跡をフィクションとして鮮やかに描いていく。
 妻木が己の目標として掲げていたのはわが国の本議院建設である。最終的な建築図面を仕上げて予算案の作成までに至る。だが、時代情勢の中で建設計画は頓挫する。妻木は大正5年10月に逝去。現在の国会議事堂の建設は大正9年に始まり、昭和11年11月に完成した。妻木が思い描く本議院建設を目指す経緯及び現在の国会議事堂建設の背景の経緯が、ストーリーの最後の山場となっていく。

 本書は、建築家妻木の業績と生き様について、いくつかのステージに光を当てて描いている。キーフレーズで繋いでいくとすれば、私は次のように受けとめる。
 第一章 営繕官僚の道への経緯。派遣地ドイツでの活動。大審院の建設。
 第二章 広島臨時仮議院の建設(期間は半月)。
 第三章 日本勧業銀行本店の建設。
 第四章 議院本建築へ向かっての活動経緯
 終 章 妻木逝去後の本議院建設の背景・経緯
勿論ストーリーの山場となる過程に、妻木の人生、建築家として活動、家庭のことなどさまざまな側面が織り込まれて行く。
 広島臨時仮議院を超短期間で建設するプロセスに読者として引きこまれて行くことは間違いないと思う。ここが一つの大きな山場となる。感動ものである。もう一つの大きい山場はやはり、妻木が己の目標と見定めていた議院本建築実現のための活動の経緯である。だが、妻木の目標は、あと一歩というところで、時代の情勢と政治の壁に阻まれる。結果的に本議院、つまり現在の国会議事堂の建設は、妻木がそれぞれの能力を見極め配下に集めた建築家たちによって引き継がれることになる。

 営繕官僚の道を歩んだ建築家妻木のプロフィールを描き込む箇所を引用しご紹介しておこう。本書を読んでみたくなる事と思う。
*この男には、師とする人物はいないのだろう。折々の出会いによって、なにかのきっかけを摑み、影響を受け、学んできたことは感じ取れる。しかし、目指す人物も、憧れる人物も、私淑する人物も、おそらく彼にはいない。建築のけの字も知らぬうちから、その本質を見極め、自分なりのやり方で一歩一歩高みに登っている。誰にも師事せず、徒党も組まず---彼にとって自作への外野の声なぞ痛くも痒くもないのだろう。反面、自分が納得できるものが出来上がるまで、ひとり自問し、存分に苦しみもがいてきたのだろう。 p292-293 
*妻木には、我というものが極めて薄い。設計において、自己顕示というものが一切介在しないように思える。その構えがいかに、これから造られる東京という市区にとって重要かを、多くの建築家と接する中で原口は意識せざるを得ないのだった。  p265
*君に予算を出してほしいんだ。材料も細かに書き出したから無駄なく発注できるはずだ。なにせ三万円以内に仕上げなければならんから、余材がなるべく出んようにせんとな。   p140 ⇒広島臨時仮議院建設時、妻木が現地で設計図を仕上げた後の指示発言
*役職に就くと局内での仕事がどうしても多くなるだろう。それが憂鬱の種子だ。僕は、現場での仕事をなるたけ続けていきたいんだが。  p207
*ーーーーいくら近くにいても、人というのは、いなくなるときは一瞬なんだ。
 一緒になったばかりの頃、妻木はそうつぶやいていた。夫は幼い頃に父親を、二十歳を待たずに母と姉を亡くしている。天涯孤独で生きてきた夫の内には、人はある日突然、無情に去っていくものだ、という観念が植え付けられているのかもしれない。 p106-107
 
 冒頭に本書の表紙を紹介している。これは第四章にエピソード風に織り込まれる日本橋の建設に関連する。妻木は事案として日本橋の装飾彫刻の部分を担当した。妻木自身が装飾の麒麟を粘土細工で製作し、それをたたき台にして芸術家に依頼したという経緯が描き込まれていく。妻木の意志と、他の建築家には江戸趣味に見える都市建築へのこだわりの意識が反映されている。この彫刻装飾には、彫刻家渡辺長男と鋳金家岡崎雪聲が関わったこと、日本橋銘は徳川慶喜によるということを私は本書で初めて知った。

 政権交代により、西園寺公望が首相になった時、妻木が首相の西園寺に面談する機会を得る。そこで本議院建築について述べる場面が描かれ、次の発言が織り込まれている。
「軀体については幾度も模型を作り、計算の上、重心のしっかり据わったものに致します。建造物には、その重さの中心点を表す重心ともうひとつ、強度を表す重要な中心点がございます。英語では center of rigidity と言われておりまして、強心、いや、剛心とでもいえばよろしいでしょうか。これは、重さの中心である重心に対して、強さの中心を指し示す言葉です。この剛心がしかと定まってこそ、その双方が歪みなく存在してこそ、強く美しく安定した建物になる。この議院は、それを叶えたものにすべきです」 p406
 
 本書のタイトル「剛心」は直接的にはここに由来するのだろう。さらにこの「剛心」という言葉に、建築家妻木頼黄の建築に対する揺らぎのない理念と意識、妻木の心が重ねられていると感じた。
 
 本書を読了し、もし妻木頼黄がタイムスリップして、現在の東京を眺めたらどのような感慨をもつだろうか・・・・。ふっと、そんなことも思った。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
妻木頼黄         :ウィキペディア
ジョサイア・コンドル   :ウィキペディア
ヘルマン・エンデ     :ウィキペディア
ヴィルヘルム・ベックマン :ウィキペディア
辰野金吾 :ウィキペディア
片山東熊 :ウィキペディア
第16回 日本近代建築の夜明け  :「本の万華鏡」
世界遺産と建築09 ロマネスク建築  :「ART+LOGIC=TRAVEL[旅を考える]」
   交差ブォールトの図と事例を含む。
組積造 建築用語集  :「東建コーポレーション株式会社」
建築史料の展示 ~建築の近代化~  :「法務省」
  赤れんが棟と碇聯鉄構法について記載あり
石塀 :「旧閑谷学校」
「帝国議会議事堂」の変遷  :「三井住友トラスト不動産」
仮議事堂の変遷  :「写真の中の明治・大正」
広島臨時仮議事堂 :ウィキペディア
大審院      :ウィキペディア
日比谷・有楽町 経済と行政の中心地  :「三井住友トラスト不動産」
東京府庁時計台  :「TIMEKEEPER」
千葉トヨペット本社(旧勧業銀行本店) :「文化遺産オンライン」
横浜赤レンガ倉庫の歴史  :「横浜赤レンガ倉庫」
日本橋      :ウィキペディア
小林金平 日本研究のための歴史情報 『人事興信録』データベース:「名古屋大学」
武田五一     :ウィキペディア
矢橋賢吉     :ウィキペディア
大熊喜邦     :「コトバンク」

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拙「遊心逍遙記」で読後印象記をまとめたものも、ご一読いただけるとうれしいです。
『櫛挽道守』 木内 昇  集英社

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