・伊藤公 資料館の 駐車場 横に 大きな 案内板です。
・また 伊藤公 記念公園の 立看板です。
☆伊藤博文は、天保12(1841)年9月2日、林十蔵・琴子夫妻の子
利助として生まれ、9歳までを山口県光市大字束荷(旧・熊毛郡大和町)
で過ごしました。
その後萩に移り住み、父十蔵が長州藩士・伊藤家の養子となったため
伊藤姓を名乗り、吉田松陰の松下村塾に学んだ後は、桂小五郎(木戸孝允)、
高杉晋作、井上馨、山県有朋らと倒幕運動に奔走しました。
明治維新後は新政府の要職を歴任し、明治18(1885)年には
初代内閣総理大臣となり、また、同22(1889)年に発布された
大日本帝国憲法制定の中心人物として活躍するなど、明治を代表する
政治家となりました。
明治42(1909)年、博文は遠祖・林淡路守通起の没後300年の
法要を行うための別邸を大和町に建設するように命じ、同年10月14日に
満州(現在の中華人民共和国東北地区)へと出発しました。しかし、
同年10月26日にハルビン駅で暗殺され、完成した別邸を
見ることはできませんでした。
その別邸は後に「旧伊藤博文邸(伊藤公記念館)」となり、
現在も大切に 保存されています
・伊藤 博文 石蔵 そして 伊藤 博文公 についての 説明版です。
幼名は 林 利助、父が 伊藤家へ 養子、兵庫県知事、
初代 内閣総理大臣となる。
・石碑 伊藤公の 絶筆の 説明版も ありました。
・館内に 入場し 伊藤公の 遺品、資料等を 見学 館内撮影禁止
そして ビデオ映像を 観覧します。
・館内より 外に出て 伊藤公の 生家、幼年時代の 説明版を
見て 廻ります。