・山口県 田布施町 郷土館の 入口の 案内板です。郷土館は
郷土が 生んだ 政治家 岸 信介、佐藤 栄作を 中心に
本町に ゆかりのある 人物の遺品、遺作等を 展示しています。
・富永 有隣 と 明治維新に 関わった 人々の 案内系図を
見ます。
・教育者 富永 有隣の 説明版です。
・田布施町より 明治維新に 活躍された 方々の 説明版です。
・田布施町の 岸,佐藤家の 家系図です。佐藤家の 10人 兄弟の
次男が 岸家に 養子で 岸 信介、三男が 佐藤 栄作 の
ようです。
・田舎町 田布施町から 総理大臣 二名の 沢山の資料を
見て廻ります。
☆岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年
〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。
満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、
自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣
(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。
☆東京帝国大学卒業後、農商務省、商工省にて要職を歴任。
建国されたばかりの満州国では国務院高官として満州産業開発五カ年計画を
手がけ、「弐キ参スケ」の一角を占める。その後、日本の商工省に復帰し、
次官就任。東條内閣では商工大臣として入閣し、のちに無任所の
国務大臣として軍需省の次官を兼任する。昭和戦前は「革新官僚」の
筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された。
☆東條英機内閣の大東亜戦争開戦時の重要閣僚であったことから
極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留された。しかし、
即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者で
あることなどの事情が考慮されて不起訴のまま 無罪放免されている。
他の戦争指導者同様、公職追放は免れなかったが、それも東西冷戦の
影響による米国の方針変更によりサンフランシスコ
講和条約発効とともに 解除される
☆佐藤栄作(1901~1975) 政治家。山口県生まれ。東大卒。
運輸省から政界入り。1964年(昭和39)から72年まで自由民主党総裁・
首相の座にあり,高度経済成長政策,日米安保条約自動延長,沖縄返還などの
政策を推進した。 1974年(昭和49)ノーベル平和賞を受賞。