8月6日・9日、広島・長崎は66回目の原爆投下の日をむかえました。あの日広島では約14万人が長崎では7万4千人の人が一瞬の間に命を奪われました。
広島の山の上にアメリカの原爆傷害調査委員会略してABCCの建物が建っていました。ここは病院と違い、被爆者をモルモット扱いして原爆の効果を調べるところだったと言います。
原爆投下から1ヶ月たっ9月3日、アメリカのラジオ特派員が『死の町から戻ったばかりです。広島にはじめて入ったアメリカ人として・・・。恐ろしい光景。原爆症と呼ばれる症状で1日に100人の割合で亡くなっている』と報告していたそうです。
それから3日後の6日、アメリカの調査団長ファーレル准将が『死ぬべき物は死に、放射能のために苦しんでいる物はいない』。原爆は非人道兵器ではないと真実を隠し特派員の報道をうち消したそうです。
その後、さらに日本に核兵器を持ち込むために、核の「平和利用」を持てはやし、アメリカべったりの日本政府や資本家を使って現在まで原発政策を推し進めて来たのです。その結果が今度の福島原発事故に繋がったのではないでしょうか。
原発政策を進めてきた歴代政府や資本家は真摯にこのことを反省して、国民の声を重く受け止め原発に頼らない電力政策に切り替えて欲しいものです。
(「しんぶん赤旗、潮流より一部を抜粋さて頂きました。)