珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

自分の言葉2

2019-12-02 | S教団関係
予告するなら。
Sアンチブログはどんどんつまらなくなる。
つまらなくなるって言い方が何だけど、刺激のような面白さを求めているとしたら
(「刺激、刺激がほしいんだ!!誰か刺激的なことを書いてくれよ~」←過去にこんな書き込みがありましたね(笑))
諦めた方がいいでしょう。

前に「一蓮托生」という記事を書いたけど
https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/3b8d4eff40282787999069ed21897b94

Sが衰退したら、当然アンチも衰退する。
当たり前だけど、アンチは相手あってのアンチなんだから。

アンチブログが読み応えがあって刺激的だったのは、それだけS問題が巨大で勢力があって厄介だったからである。
切羽詰まった思いを真摯に語ったからである。
高齢者ばかりになって若者も影響力もなくなったものを、誰が時間や情熱や知恵を使って書くというのさ?

もし弱体化して何の影響力もないと言いながら趣味のように文句を書いている人がいたら、だいたいが過ぎ去った過去話と思う。
辛辣な言い方かもしれないけど、叩こうにも手応えがなくなった今に退屈を感じて、昔話か、他人の愚痴を待って便乗しているということ。
そんな言葉が「面白い」(おもしろおかしいという意味でなく)わけがない。

人の言葉を貼り付けなきゃ自分の言葉一つが出てこないなら、もう語ることなんてないんだと思う。
そういう人は、自分の言葉があふれ出る世界に旅立つことをお勧めする。
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チョイス3

2019-12-02 | S教団関係
S時代、私みたいにやりたいと思ったことしかやらなかったのは「チョイ活」といって褒められたものじゃないらしい。
でも、何ならアンチになっても私はチョイスですよ。

「アンチの皆さん、かくかくしかじかですよね。如何でしょうか~~~」と言われても、ここは賛同するけどここは全然というのがある。

例えば
「詐欺」「騙された」
「それに気づいたら悪夢のような現実に立ち向かった」
「自分で考えることに恐怖しか感じなかった」
「逆らったら罰が当たると思って恐ろしくてたまらなかった」
「婦人部はえげつなくて図々しい人ばっかりだった」
「お金で功徳や幸せをもらえると思って貢いでいた」

なんていうのは、そう思わないのでチョイスしていない。
新聞に連載されて一度読めばいいと思っている本をまた買ったり、ポイント稼ぎのために新聞を多部数とったりすることをしなかったのと同様に。

私は自分の責任でやりたいことをやっただけで、ネットでいろんな情報を知ってもふうんとは思えど、「悪夢」なんて思わなかった。
自分の頭で考えてなかった覚えもない。
そりゃ本尊は大切にしようと思ったけど「自分で考えると罰が当たると思っていた」なんてのは、正直よく意味がわからない。

モノが言えないどころか、いい人ばかりで全然言いやすかった。

おばちゃんというのは、一般にツンツンしてなくて親しみやすくて親切で、言い方を変えれば、図々しくておせっかいなもの。
両面あるそれを、シンパはよいところだけを異常に強調して、アンチは負の面ばかりをあげつらう、それだけのことと思っている。

「お金で功徳や幸せをもらえると思って貢いでいた」までになると、わざと言ってるのかな?とため息が出るわ。


もちろん、多いに共感してチョイスしている部分もあるけどねv('▽^*)
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