珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

2019年総括5

2019-12-29 | 日記
たまには繁華街にショッピングにでも、と最近できた話題のショッピングモールに出かけてみた。
娘は友達と遊ぶ用事があって、夫と行くつもりが「やっぱり面倒くさい」と言われたので一人で。
アメリカ航空宇宙局NASAの科学的見地による「男が女の買い物の付き合うと、戦場に行く同等のストレス」でも感じたのであろう( ̄∇ ̄)

結果、何も買わずに帰ってきて、改めて自分の物欲のなさをしみじみ思い知った。
好きなはずの何を見ても、欲しいという湧き上がるような情熱がこない。
食事処もどこも人混みで、お茶一杯飲む気にならない。
強いて言えば仕事で着るエプロンが目に留まったけど、まあ今のもまだ使えるし、と「出かけた」という雰囲気だけ味わって帰ってきた。

魅かれるものが明らかにシフトしたんだなあ…

何であれ、ある時突然、これまで夢中だったはずのものが、遠い遠い過去のようになっていることに気づく瞬間がある。
そんなことは普通はいちいち意識しないのかもしれないけど、私はそれを生々しく感じ取った感覚をいくつか思い出せる。

それはあくまで個人的な感覚なんだけど「書いているから」かもしれない。
なんで書くとそうなるのかは知らない。
私にとって書くことは、息を吸うようにあたりまえすぎて説明もできない。

ネットで発信なんてこそ10年にも満たない新参者だけど、ただ「くだらないことを書く」ということなら私は11歳から書いている。
たいした人生でもないけど、単純に書き続けた年月だけなら長いかもなあ…
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ネットにまつわるあれこれ40

2019-12-29 | ネットにまつわるあれこれ
例えばショップに売っている本やCDなら、いいなあと思えば買うしつまらなければ買わない。
テレビも面白ければ見るけど、つまらないなら見ない。
歌や芝居や映画のチケットを買うのもそれは同じである。
結果、「売れているものはファンから愛されているもの」とずっと思っていた。

が、ネットになるとこれが違ったりする。

ネットには嫌いで批判したくてワルグチを書き込みたいから見るという、独特の文化?がある。
そういう需要がある。

 従って例えば再生回数が上がるほど収益も上がる動画配信などは、仮に低評価が高評価をはるかに上回っても、再生回数があれば評価に関係なく儲かる。
わざわざ低評価のボタンを押して罵倒や嘲笑や文句を書き込むために見たいという人相手に「売れる」という不思議な現象が起こるのである。

愛されて売れるのではなくて、嫌われて売れる。
まあ炎上商法ですね。

自分が嫌われて信用を失っても、その代わりにお金が入ってくる。
人を貶めて嘲笑いたいという感情と、金との取引というのかな。

こんな世の中が来るなんて、私は子どもの時習わなかったし想像もしなかった。
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