書こうかどうか迷ったけれど、できるだけあっさりと書こうと思う。
以前、娘が事件に巻き込まれた時、加害者は未成年であり、重度の発達障害があった。
こう告げられて詳しい資料も目の当たりにした時、私の中であった震えるような怒りが、和らいだというのは違うけど、何か別の感情に変化したのは事実と思う。
少なくとも「そんなことは関係あるかい!!」とか「知ったことじゃない」とかそんなふうには思わなかった。
正面からは責められないような、ストレートな感情が行き場を失ったような感じだろうか。
発達障害というのは度合も症状も様々で、昨今は度合いによっては、それも個性とか差別はいけないとか盛んに言う人もいる気がする。
私も生まれ持ってのものを差別して見下すような感覚は持ちたくない。
だけど何かトラブルがあった時、姑息な悪意と、自分では物理的に制御が困難なことを「平等に」扱うことは違うと思う。
理解すべきものがあると思う。
それは別に理性を保とうとしたとかじゃなくて、実際にその場に立たされた時に正直に湧いた感情だった。
私はそこには立ち会っていないのでこれは聞いた話だけど、加害者の裁判で
「被害者の両親はどんな人でしたか?」の質問に、先方の父親が
「障害に理解のある人でした」と答えたそうである。
ただ私は加害者の両親の前で、どこから見ても決してご立派で冷静な態度などしなかったんだけどね。
(夫は冷静だったけど、私は出方次第でテーブルをひっくり返していたかも( ̄▽ ̄;))
以前、娘が事件に巻き込まれた時、加害者は未成年であり、重度の発達障害があった。
こう告げられて詳しい資料も目の当たりにした時、私の中であった震えるような怒りが、和らいだというのは違うけど、何か別の感情に変化したのは事実と思う。
少なくとも「そんなことは関係あるかい!!」とか「知ったことじゃない」とかそんなふうには思わなかった。
正面からは責められないような、ストレートな感情が行き場を失ったような感じだろうか。
発達障害というのは度合も症状も様々で、昨今は度合いによっては、それも個性とか差別はいけないとか盛んに言う人もいる気がする。
私も生まれ持ってのものを差別して見下すような感覚は持ちたくない。
だけど何かトラブルがあった時、姑息な悪意と、自分では物理的に制御が困難なことを「平等に」扱うことは違うと思う。
理解すべきものがあると思う。
それは別に理性を保とうとしたとかじゃなくて、実際にその場に立たされた時に正直に湧いた感情だった。
私はそこには立ち会っていないのでこれは聞いた話だけど、加害者の裁判で
「被害者の両親はどんな人でしたか?」の質問に、先方の父親が
「障害に理解のある人でした」と答えたそうである。
ただ私は加害者の両親の前で、どこから見ても決してご立派で冷静な態度などしなかったんだけどね。
(夫は冷静だったけど、私は出方次第でテーブルをひっくり返していたかも( ̄▽ ̄;))