好きの反対は無関心とはよく言ったもんだと思う。
好きと嫌いは反対というより同じなんじゃないかと思う。
好きである中には嫌悪も含まれて好き、というのかな。
人を好きになると誰もが、例えばちょっとつれなくされるだけで激しい痛みや苛立ちや憎悪を感じる。
好きじゃなかったら、そんなのどうでもよくて何も感じないことがね。
「信じる」に続いて「シンパとアンチ」も、私がずっと見てきた書きたいテーマである。
遠い昔に見た題名も思い出せない単発ドラマで、少年犯罪に関わった女性弁護士役の女優さんが
「好きと嫌い?同じよ」
と、余りにもさらりと言った台詞だけが、なぜかずっと残っている。
その時は意味がわからなかったんだけどね。
愛憎のそれに軽い重いはあれど、コインの表裏は同じ。
ネットでシンパがヤレソレと応援するけど、これが同時にアンチにも転ずると思うと冷めるわ。
シンパにはその同じエネルギーと執着を含む、アンチが同居していることをお忘れなく。
好きと嫌いは反対というより同じなんじゃないかと思う。
好きである中には嫌悪も含まれて好き、というのかな。
人を好きになると誰もが、例えばちょっとつれなくされるだけで激しい痛みや苛立ちや憎悪を感じる。
好きじゃなかったら、そんなのどうでもよくて何も感じないことがね。
「信じる」に続いて「シンパとアンチ」も、私がずっと見てきた書きたいテーマである。
遠い昔に見た題名も思い出せない単発ドラマで、少年犯罪に関わった女性弁護士役の女優さんが
「好きと嫌い?同じよ」
と、余りにもさらりと言った台詞だけが、なぜかずっと残っている。
その時は意味がわからなかったんだけどね。
愛憎のそれに軽い重いはあれど、コインの表裏は同じ。
ネットでシンパがヤレソレと応援するけど、これが同時にアンチにも転ずると思うと冷めるわ。
シンパにはその同じエネルギーと執着を含む、アンチが同居していることをお忘れなく。