毎度、ただの主婦でしかない私が思いつくことなんて、あくまで自分の生活圏の自分の目線でしかないことを了承頂きたく。
コロナ騒動にしたって世界情勢や政治を知ってるわけじゃないし、そんなことは何も解らない。
ただ目の前の元気な中学生が皆ピンピンしているのに、学校が閉鎖になった。
娘の学校どころか、県内のすべての学校で誰一人発症者なんていない。
一人も患者がいないのに病気を理由に学校閉鎖?!
一体なんでよ~?
ただそんな思いから書いている。
マインドコントロールというものに疑問を抱いたのも、目の前のどちらかというとおとなしい我が子でさえ、どう説得しても自分が納得しないことにはウンと言わない。
それなのに他人の意思なんてコントロールできるのだろうか?と思っただけだった。
これは今回のコロナ騒動でも改めて、人をコントロールするなんて無理と思った。
「こんなことはおかしい、絶対に嫌だ!!」と叫びたいくらいのことでも、有無を言わせないような権力があったら人の行動を強要することはできる。
学校に行きたくても強制的に学校を閉鎖して、自宅にいさせるとかね。
でも「これが正しいことなんです」と思わせることは別と思った。
「命を救うことなんです」とか「大切な人を守ることなんです」と言われても、「身勝手で幼稚」と言われても、そんな言葉も私には刺さらなかった。
だからといって私が命を軽んじていて、大切な人が死んでもいい身勝手な人間と言われたらそれも違うゾ。
そんな短絡的な二択で責めるのはズルイし、違うと思った。
もっとやり方があると思った。
S時代にも「しつこくして嫌がられたら所詮そういう人」とか「強いてでも言い切りなさい」とか同じように刺さらない言葉はあった。
私、しつこくするのもされるのも大嫌いだからね。
だからといって、私が反抗的で信仰心の薄い会員だったかというとそれも違った。
単純に「相手が嫌がっても、それで自分が得するんだから嬉しい」なんて感情は、教えられたところで自分になければ出ないもんね。
要は、自分の素地にないことは、いくらやかましく言われても他人がコントロールはできないと思うのである。
心は自分のもの。
自分をコントロールできるのは自分しかないと思うのである。
国家一同を上げて説得されても響かないものは響かないんだから、チンケな教団の説法くらいが人の心をコントロールするなんて私はないと思うけどね。