昔、私がアンチブログを書いていた頃は
「自分の過去は全否定の黒歴史である」
「自分がやったことは悪の加害者であり被害者であり、大切な人生を棒に振ってしまった」
「騙されただけだったことを、苦しくても勇気をもって認めることが覚醒」
みたいな意見が圧倒的な感じだった。
それからあっちこっちで、わけのわからない教義論争が盛んにあった。
しばらくして私がそれに疑問を持ったら、
「言うことをコロコロ変える」
「反省してないなんて傲慢も甚だしい」
「元活動家はそれぐらいのことをやったんだ、という戒めが必要」
「活動してしまった自分の自己正当化もほどほどに」
「他人を巻き込んで迷惑をかけるということの罪の反省がない証拠」
「アンチのアンチとして暴走する人」
とまで言われた。
もっともっと酷いことも諸々。
掲示板なんかはこんな言葉であふれていたわ。
それが昨今はどうなったかというと一転。
そんな人に対してはこんな声が圧倒的になった。
「そんな人は自分を否定して卑下して生きていけばいいんじゃない?」
「活動家は今も昔もただただ家族のために一生懸命頑張ってきただけで、その一生懸命さを誰も否定できない」
「己の卑屈さを他人に感染させようとするな」
「活動家は今も昔もただただ家族のために一生懸命頑張ってきただけで、その一生懸命さを誰も否定できない」
「己の卑屈さを他人に感染させようとするな」
「前向きに生きてる人が、悔しくて堪らないんだね」
「なら、過去を嘆き後悔してクヨクヨ生きてれば?」
「ウジっとした卑屈な奴」
個人的にはもっともだと思うし、人の言うことって変わるもんだと思った。
あんなに騒いでいた教義論争もパッタリ見なくなった。どこに消えたの?
(私が知らないだけ?)
人の言うことなんて、この通り本当に変わるのである。
コロナ騒動のあれこれも後に振り返れば、一体どうなっているのだろうか(?_?)