「潮が変」
最近、こう思うことが多くある。
大いに勘違いかもしれないので、悪しからず。
先週、沖合では4ノットで潮が流れていたと、知り合いの漁師さんから聞いた。
「4ノットって、どんくらいの速さ?」
「とてもじゃないけど、釣りにならない速さ」
延縄が流されて、回収できなかったと聞いたくらいだから、そうだろう。
しかし、潟近くでは「潮が動いてない」事態に陥っていた。
(今日の写真ではありません)
ついこの間も、わりかし釣りやすい50メートル前後のポイントでは、潮は全然動いていなかった。
「鯛ラバの錘は何グラム」
「80グラムです」
これが、真下に落ちていく。
同じ所を、繰り返し叩いているだけの潮だ。
ところが少し沖に出ていくと、2ノット近くで流れている。
潮には、大きく分けて本流と反転流又は、支流(枝の流れ)があると思っている。
本流が速すぎると、反転流が引っ張られて、本来の流れにならないことがある。
磯釣りの頃は、本流の脇を釣ったりしていた。
磯に当たって、潮の流れが変わる場所だ。
船を持って、磯釣りから離れたとき、今度は海全体で考えてみた。
南から北に向かって潮が流れるとき、沖に出ている都井岬が壁になるのではないかと思った事がある。
つまり、都井岬の先端をかすめる上り潮が、内側の南に向かっていくはずの反転流を、押さえ込んでいるのではないだろうか。
だから、潟近くになると「潮が動かない」と、なるのではないだろうか。
考えが大きくなりすぎだろうか…。
こんな風に考えて潮を見るのは、勘違いかもしれないのだが…。
NHKで黒潮を取り上げた番組があった。
その時の黒潮の動きを中心に、日向灘や奄美大島沖合で幾つもの渦巻きができていた。
この渦巻きが、潟近くを流れる本流だったり、反転流だったりするのだろうかと思って見ていた。
潮の流れは、海に面する地形、海底の地形などが大きく影響すると思っている。
潮という生き物は、分からない事ばかりで、釣り人は翻弄されてしまう。
だから楽しいのだろうし、苦労もする。
分からない事だらけの潮と、格闘し続けるしかないかな。
勘違いかもしれない私感だ。
最近、こう思うことが多くある。
大いに勘違いかもしれないので、悪しからず。
先週、沖合では4ノットで潮が流れていたと、知り合いの漁師さんから聞いた。
「4ノットって、どんくらいの速さ?」
「とてもじゃないけど、釣りにならない速さ」
延縄が流されて、回収できなかったと聞いたくらいだから、そうだろう。
しかし、潟近くでは「潮が動いてない」事態に陥っていた。
(今日の写真ではありません)
ついこの間も、わりかし釣りやすい50メートル前後のポイントでは、潮は全然動いていなかった。
「鯛ラバの錘は何グラム」
「80グラムです」
これが、真下に落ちていく。
同じ所を、繰り返し叩いているだけの潮だ。
ところが少し沖に出ていくと、2ノット近くで流れている。
潮には、大きく分けて本流と反転流又は、支流(枝の流れ)があると思っている。
本流が速すぎると、反転流が引っ張られて、本来の流れにならないことがある。
磯釣りの頃は、本流の脇を釣ったりしていた。
磯に当たって、潮の流れが変わる場所だ。
船を持って、磯釣りから離れたとき、今度は海全体で考えてみた。
南から北に向かって潮が流れるとき、沖に出ている都井岬が壁になるのではないかと思った事がある。
つまり、都井岬の先端をかすめる上り潮が、内側の南に向かっていくはずの反転流を、押さえ込んでいるのではないだろうか。
だから、潟近くになると「潮が動かない」と、なるのではないだろうか。
考えが大きくなりすぎだろうか…。
こんな風に考えて潮を見るのは、勘違いかもしれないのだが…。
NHKで黒潮を取り上げた番組があった。
その時の黒潮の動きを中心に、日向灘や奄美大島沖合で幾つもの渦巻きができていた。
この渦巻きが、潟近くを流れる本流だったり、反転流だったりするのだろうかと思って見ていた。
潮の流れは、海に面する地形、海底の地形などが大きく影響すると思っている。
潮という生き物は、分からない事ばかりで、釣り人は翻弄されてしまう。
だから楽しいのだろうし、苦労もする。
分からない事だらけの潮と、格闘し続けるしかないかな。
勘違いかもしれない私感だ。