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「あきたこまち」とコブシの花

2013年04月21日 | 農業

4月20日、平成25年度「あきたこまち」の種まきが終わった。後はビニールハウスへ並べるだけだ。私の種まきはあくまでも「オレ流儀」に徹する。二人での作業だからあくまでも二人でできる範囲の方法で行う。一般に行われているような播種機などは使わない。効率の良い播種機は2、30万円ほどはする。最新式だと50万円は超えるという。それに人手は4、5人いなければ作業効率は上がらない。

播種機は育苗の箱土入れ、水まき、播種、覆土、消毒等ベルトコンベアー式の流れ作業になる。どこか一か所でトラブルが起こればすべてがストップとなる。すべての工程が機能よく作業できれば一時間当たり数百枚の作業が可能だ。10a当たりの必要枚数は約25枚が平均だから半日もあれば数ha分の種まきは終わる。

二人での作業はのんびりだ。なにしろ電動モーターの束縛と水を使う汚れからは解放され、効率追求のあわただしさからも解放される。一枚一枚すじまき板で蒔き、覆土をする。ただそれだけだ。「種を播く前に十分に灌水」等ということもしない。


  すじまき 一箱あたり110gほど 

田んぼの面積に60%程しか米は作付できない現在、私の今年の「あきたこまち」は30a5枚強、160aだから苗箱数は約400枚になる。一時間で何枚消化等というノルマはないのだから全くの軽作業だ。
20日午後すべての作業を終えた。後はハウスに並べワリフをかけて灌水し生長を助ける資材、水稲育苗用 保温不織布をかけるだけだ。育苗器入れることになれば大変な作業、資材も労力もそして電力もかかる。苗つくりも秋の収穫も太陽熱利用、一番の省エネ、エコ「米つくり」となる。

「あきたこまち」種まきが終わったが、育苗箱の中で土の中に入っただけで休んでいる。
水がまかれていないからだ。明日以降、天気が回復されればハウスに並べたっぷりと灌水される。この状態を私の場合最終の種蒔き終了ということになる。こんな方法での種まきなどほとんどの人はしない。種まき後の水かけは覆土が固まり稲の成長が妨げるから、ダメというのが先生方の指導方針だった。資材のワリフ等は網目のもので、この上からの散水は水圧で覆土が掘り返されることなどはほとんどない。この方法での種まきはすでに30年近くになる。

今日は近頃にない悪天候。朝から冬に逆戻りの雪。ハウスへの移動は明日以降となる。天気が回復し、的確な「温度管理で約一週間もすればハウスは緑色の「あきたこまち」に変わる。

種まきが終わって西の山、旧山谷峠街道に散策に出かけた。国道398号線は新しいトンネル(昭和62年)が開通し旧山谷峠、児童公園に来る人は今は少ない。湯沢の町部へ通じる山谷峠へは自宅から6k程の距離、温泉施設の「緑風荘」を過ぎて散策路を歩く。散策路に一部まだ残雪があり、今朝歩いたのかと思われる「カモシカ」の足跡があった。いたるところにある盛りを過ぎた「マンサク」の中に丁度見ごろのものがあった。



前のブログ3.26の「まんさくと鍋釣山」で紹介した、「マンサク」の花より小ぶりで「がく」が赤褐色ではなかった。ほとんど薄黄緑だった。「マンサク」の花言葉は「霊感」、「ひらめき」、「神秘」などと云われている。かつて縁起木と云われ、古来から「マンサクの花が上向きに咲けば豊作」との説もある。ある枝一本の花を詳しく調べてみた。10個の花のうち上向きが4、斜め向きが1、横向きが4、下向きが1個だった。これは一体どう判断するのだろうか。上向きが4個もあるのだから「やや良」となるのだろうか。それとも平年作以下だろうか。「巳年のケガチ(飢饉)」は少しでも外れてほしいものだが、不安定な気候を想定して今年の米作りに臨もうと想った。

しばらく歩くと「ショウジョウバカマ」にであった。花を猩々(中国の伝説上の動物。 現在ではオランウータンではないかと云う説もある)になぞらえ、根生葉の重なりが袴に似ていることから名がつけられたとされている。
場所によって淡紅色、紫色、数少ないが白色の花もある。当地方はほとんどが薄紫色。湯沢スキー場近くには淡紅色、薄紫色の花が混在して所もある。大阪府と和歌山県の境にある、和泉葛城山の「ショウジョウバカマ」はすべて白色だそうだ。「カタクリ」の花に白花は10万本に一本との説もあるが、「ショウジョウバカマ」の白花はそれより確率が高いらしい。自分は一度しか出会ったことがない。



この見事な花もこの冬の雪の重さをはねのけ、落ち葉の下からの自己主張。丁寧に落ち葉、木の枝を取り払ったら真直ぐに立ち上がったので一枚。まだ短幹、どっしりした重量感に魅せられた。

さらに進むと「タムシバ」にぶつかった。
「タムシバ」は漢字で田虫葉、この可憐な花が「田の虫の葉」と書くことに少々不満だ。(調べてみるとタムシバの若い葉の表面に白い・灰白色の斑点が見え、皮膚病の白癬(はくせん)の一種で、頭部に出来る白斑の症状は、「田虫」と呼ばれ、俗に「シラクモ」)から田虫葉といったと云う)モクレン科モクレン属の落葉小高木で別名「ニオイコブシ」といい、花には芳香がある。



「コブシ」(別名田打ち桜、花言葉は「友情」「歓迎」「信頼」)には花の下に葉が一枚ついているのに「タムシバ」にはない。地元では両方とも「コブシ」と言っている。この山の「タムシバ」は高さが5mはある。穀雨に入って低温続き、開花まであと数日か。

かつて当地方の田植は、6月に入ってからの手植え作業だった。田植の作業は重労働だった。田植機が登場し、手植え作業から解放されてから40年近くなる。今の田植の時期はかつてより、半月も早まり5月20日頃が最盛期だ。当時の農家はこの花が咲く頃が、水稲の種まきの適期と言って苗代作業をし、農繁期に入った。今では田植機の登場ですべての作業が、農業機械の工程に組み込まれて苗代作業などと云う言葉はなくなってしまった。大方は育苗ハウス作業と言う。

今日の「タムシバ」はつぼみの状態で、中には開花直前のもある。かつての苗代作業がハウスの育苗だから「タムシバ」、「コブシ」の花が咲く少し前の種まきは季節にあった作業だろう。今日は日曜日。昼の気温が1度、秋田は雪が降っている。一度消えた田んぼも山も真っ白になった。

今日多くの人たちは、勤めの休み日のこの雪の中で作業中だ。「あきたこまち」も雪降りの種まきにビックリしていることだろう。
今年の「タムシバ」の開花が遅いのは、「巳年のケガチ(飢饉)」の前触れだろうか。ちなみに180年前の巳年、天保4年(1833)は大ケガチ(飢饉)はこの地方でも餓死者でたほどの大災害。ケガチは巳年ばかりではないが、天保4年の巳年は象徴的な出来事。「巳年に豊作なし」の言葉も生まれた。

大雪3年続きの巳年、農業の世界ばかりか、戦争を始めるぞという国の動きや、霞が関の動向、経済情勢も何とかミクスとやら不穏な空気が漂っている。得体の良くわからい「産業競争力会議」なるものが、TPP加入で輸入米と競えるように10年後の米1表(60k)の生産費を、今の平均1万6千円から9千円に下げると提言した。

米国のカリフォルニア州産のコメの輸入価格が一俵当たり9千円だから、TPPに入った場合国産米も対抗できるためだというのだ。日本の農業も農業機械、ガソリン、肥料、農薬等が比較できない安さの米国と同じなら話は別だ。条件が違い過ぎる状況での比較には無理がある。

人口増の中、10年後安定的に食料調達が可能かは保証されない。いつまでも1%の人の幸せに99%が踏み台になる社会状況は続かない。農業問題は食料問題で、生産者ではなく消費者が大問題なのだ。生産者も消費者の代表も誰一人いない「産業競争力会議」の提言。する方もさせるものの不遜ぶりも甚だしい。メンバーをみて「さてもありなん」と納得。おかしな会議だ。今年は政治的ケガチ(飢饉)、経済的ケガチ(飢饉)が形になって現れる巳年かも知れない。





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