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喜べない秋の夕暮れ

2014年10月07日 | 農業
米の概算価格が暴落の中、収穫に喜びの無い「あきたこまち」の収穫が始まった。当地方で自然乾燥は9月17日頃から、コンバイン作業は彼岸の中日の9月23日頃から本格的になってきた。

10月6日は台風18号の影響で朝から大雨、ほとんど降りやまず状態。田んぼの稲は9割方作業が終わった。自然乾燥分は残っている。今年の稲刈りに息子、脱穀作業に友人が手伝いに来てくれて26年分の作業は雨が降る前の4日に終えることが出来た。耕作面積の半分は2011年度から始まった「定住自立圏構想事業」で始めた作業を有機米研究会に委託している。研究会では湯沢市人材センターから派遣の作業員を中心に約7haの稲刈り、脱穀作業を行い特栽米として首都圏に出荷される。
「定住自立圏構想事業」の稲刈りはブログ「コメ天日干し」2013.10.2で詳細。

委託の稲刈り 稲川有機米研究会 2014.9.24

我家の稲刈りは自然乾燥なので9月17日から作業開始。バインダーで稲刈りをする。一枚30aの田んぼを刈り終われば、ハサ架けのための支柱、稲杭を突く作業に入る。稲杭の本数は30a分で約120~130本。この作業が一番時間がかかる。多くの人が自然乾燥を止めたのはこの作業が困難なことと、米の価格が公務員や他産業従事者の給与所得や他の物価と比較して安すぎるからだ。

稲杭の突く間隔は約1.8m程。30aの田んぼには約100mの長さのハサは2列、200mなる。杭つきが終われば3段にテープを張る。このテープに刈り取った稲束を二つに開いて架ける。梱包用のPPテープを使っている。テープを張リ終れば、杭3本間隔に支柱を立てる。強風対策だ。この作業が終わればバインダーで刈った稲束を下はテープに沿って立てる。2番、3番のテープに稲束を2分してテープに架ける。いつも2人での作業だったが、今年は休みを利用して息子が手伝いに来たので予想以上に能率があがった。


 息子のバインダー作業 9.21  川連町清水屋敷

自然乾燥での米の収穫作業は、機械化が極度に進んだ秋田では無形文化財級になっている。特に平成になってから激減。川連集落農家戸数約120戸で米の自然乾燥農家は4戸になった。多くの人はコンバイン所有農家に全作業委託か田植、収穫作業を委託。収穫の秋は田んぼの所有主はいない中でコンバインの収穫作業は続いている。


 ハサ架け作業 川連町清水屋敷 2014.9.21

西の山に日の傾いた頃、手伝いの息子が帰った。この日の夕焼けは格別の美しさがあった。稲杭つきで汗だらけだったが思わずデジカメでこの夕日を記録した。ハセ架けの稲杭のてっぺんで夕日を惜しむような赤トンボは近づいても微動もしない。


夕暮れと赤トンボ 川連町田屋面   2014.9.21

シャッター押しながら、ミレーの「晩鐘」が閃いた。少し強引だが「晩鐘」の絵画の遠くにある教会の鐘堂がある。撮影したばかりの西の山に隠れる夕日、稲杭の右側の塔は、「ドコモ」のアンテナとどういうわけかコラボした。強引なこじつけかも知れない。心地よい作業の中で印象的な光景を撮っておきたいと思った。

私の部屋に農民運動家の高橋良蔵氏からいただいたミレーの「晩鐘」の絵がある。当時、何故ミレーの「晩鐘」のだったのかわからないでいた。高橋良蔵氏は地元では通称「高良」と呼ばれていて、私は「タカリョウ」の門下生と言われていたが、氏の期待に応えられない劣等生にしか過ぎなかった。一時農業問題の考え方に食い違いが生まれ、交流が途絶えたことがあったが、晩年氏が若いころ山形の松田甚次郎の活動に共鳴していることを知った。

有名な「宮澤賢治」と深いつながりのある「松田甚次郎」の活動は、「青年会」や「稲川農研」の時代に大きく影響をもらっていた。松田甚次郎著「土に叫ぶ」は昭和13年に発行。昭和53年に復刊された。「土に叫ぶ」の発売と同時に買い求めていた。「土に叫ぶ」の中に「最上共働村塾」の活動が詳しく書かれて、塾生の修了證書が、ミレーの「晩鐘」の絵画だったことが記されている。「晩鐘」の絵の裏面に山形の明治の文豪、「吾人は須く現代を超越せざるべからず」と喝破した「高山樗牛」のミレーの書作に題して書かれた「晩鐘」の文を書いて贈った。そして「この絵を額にして自分の部屋に掲げ、常に反省し、祈祷せよ、と送別の言葉を贈った」とある。

「一日の業を了りたる若き農夫とその妻と、今方(まさ)に家路に就かむとする時、エンヂェラスの祈祷を告ぐる夕べの鐘はひびきわたりぬ。二人は頭(かうべ)を垂れて、無言のいのりを捧げぬ。地には平和あり、天には光あり、人には愛情あり。而して天国の響きに応(こた)ふることの祈だにあらば、吾等この世に於て何の求むる所ぞや。あゝ若き農夫と其妻とが、今方に無言の祈を捧げつゝあるを見ずや」。
、、、、。 以下略

その目指すことは「我々ならびに、我々の先輩が、超越しなくても、せめて現代を洞察するだけの能力があったならば、大東亜戦争は抑止できたのではないか」との解釈が込められていたという説もある。私の部屋のミレーの「晩鐘」にはそのような意味があったことを知ったのは、いただいて10数年後、再刊松田甚次郎著「土に叫ぶ」を手にしてからだった。

ミレーの晩鐘 引用

一日の仕事の終わりに西の山に隠れる太陽と、稲杭に一日の終わりの赤とんぼを記録した。赤とんぼの右手の塔は「ドコモ」のアンテナ。「晩鐘」の絵の向こうには教会の尖塔が見える。「晩鐘」は近代フランス農村光景を投影し、あえて言えば日本の農村との共通点が見える。

ほとんどの農家は今年の米の概算価格では、収穫作業代、肥料、農薬、資材代、土地改良区の賦課金等に支払う金額が足りない。春作業からの労働代はゼロ。来年の作業をどうしたらいいのか思案にくれている。

最上共働塾の修了證書、ミレーの「晩鐘」に込められた「現代を洞察するだけの能力」、現代にあてはめて見ると、秘密保護法、解釈改憲、ドアホノミクス、消費税増税等の狙いが透けて見える。政権よりのマスコミは現実に進行している実態を正しく報道しているとは思えない。ネット社会になってつじつまの合わない報道強制は通らなくなっている。傲慢なNHK会長への辞任要求に、8月の時点でNHK退職者1527人が賛同者が署名したニュースは近年なかったことだ。この国の行く末に暗雲が漂っている現実を見逃してはならない。2000年施行の大店法で市街地を空洞化し、円安、増税はコメ概算価格の下落の生み出し、その結果として地方の経済をズタズタにした。そのような状況下で「地方創生」等と云いだした。かつては「ふるさと創生」等という政策もあったが、、、、。一時のパフォーマンスの域を超えることが出来るのか。

「夕日と赤とんぼと」、何も変わらない一日にしか過ぎないだろうか。重い秋だ。



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