12月4日 晴れ
日光街道歩きました
日光街道とは日本橋から日光東照宮の玄関口鉢石宿までを結ぶ街道
東海道・中山道・甲州街道・奥州街道と合わせて五街道の一つに
数えられます
10:10 東武線幸手駅スタート
10:30 旅館「あさよらず」
1819年創業、館内には明治末の要人の宿札が残されていました
街道沿いの永文商店の壁に
芭蕉と曽良のイラストが描かれていました
幸手宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅篭 27軒
日光街道が整備される前から奥州と鎌倉を結ぶ街道の要でした
10:45 本陣跡
日光御廻り道
将軍家日光参りの際、水害の難を回避するために
作られた迂回路だそうですが
1度も使われなかったそうです
雷電神社
聖福寺(しょうふくじ)
室町時代から続く寺
江戸時代は将軍や例幣使の休憩所であった
門から中には入れませんでした
江戸時代も将軍と例幣使しかこの門からは
入れなかったそうです
11:30 幸手の一里塚 江戸から13番目
真新しい石標のみ
11:30 石太菓子店
創業1861年
幸手名物「塩がまの」老舗
なんだか、ばーちゃんの好きそうなお菓子でした
正福寺
飢饉の際、豪商たちが私財を投じて人々を救った
善行をたたえる碑がたっていました
この碑と本堂前の石仏群がガイドブックに載っている画像との事で
私もパチリ・・・
確かに絵になります
正福寺を過ぎたあたりから
幸手宿を離れます
11:35~12:20
「ステーキのどん」で
ステーキでなくてハンバーグ定食を食べました
ツアーなので、好きなメニューは食べられないのよ
ドリンクバー付きでしたが
午後の歩きは2時間ほどトイレ休憩がないとの事で
水分の取りすぎに注意です
お腹一杯になってからの
権現堂堤
利根川の本流または支流であった権現川の氾濫から
江戸を守るために作られた堤防
順礼の碑
1802年権現堤が決壊し幸手の町が大洪水に襲われたそうですが
その時、通りかかった巡礼の母娘が川に身を投じて
人柱となり洪水がおさまったそうです
この母娘の供養碑が堤に建てられていました
この権現堤って
関東でも有数の桜の名所だそうです
画像は幸手市観光協会の物ですが
桜の咲くころまたぜひ来てみたいと思いました
13:45 外国府間道しるべ
石柱に
右つくば道・左日光道
と書かれていました私達は左
外国府間の雷電神社
東武日光線の電車を見ながら一里塚を目指します
小石衛門の一里塚
江戸から14番目の一里塚
塚の上に弁天堂が建てられています
なんとなぁ~~く塚の形態が残っています
14:55 会津見送り稲荷
会津藩士が道に迷った際に助けてくれた老人は
キツネの化身であったとの事
民家の敷地内にありました
かつては名物栗餅屋だったとのこと
ここら辺には茶屋が8軒あったそうです
今は、なんもない
国道4号線沿いを歩きます
国道を降りてからは
こんな狭い道も歩き
15:25 焙烙(ほうろく)地蔵
関所破りで火あぶりにされた者たちを供養するための
地蔵尊との事
お隣の栗橋宿に関所があったため
関所破りの人がいたのですね
栗橋宿 7宿目
本陣1
脇本陣1
旅篭25
栗橋宿は利根川の舟運で栄えた
日光街道唯一の関所があった宿
宿に入ると街道沿いに3つのお寺が
集まっていました
この日は深広寺のみ寄りました
15:35 深広寺
境内には六角塔が全部で21基ありました
1基で千人の供養ができるんだって・・・
16:00 栗橋駅ゴール
ほぼ予定通り栗橋駅にゴールできました
この日は24000歩でした
日光街道はこれまでの街道にくらべると
我が家から近く
都内の電車に乗らずとも
家に帰れるので
ストレス少ないです
混んでないので
東武線・両毛線共にず~~と座ることできました
日光街道お散歩気分で
続けまぁ~~す