雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

東海道 石薬師宿 庄野宿

2019-07-03 09:18:01 | 東海道
杖衝坂 つえつきさか



日本武尊が東国遠征の帰途、負傷した。
剣を杖の代わりにしてこの坂を登ったので
杖衝坂と名がついたとの事



日本武尊は坂の途中で
「我が足 三重のまがりのごとくして、
いと、疲れたり」
と言って休んだそうです。
足が三重に曲がったように疲れたよって
でぇ〜〜
これが、三重県の名前の由来になったそうです。



大丈夫よ!私達、箱根の峠も、さった峠も
小夜の中道も越えてきたんだもの

この位の坂道なんて、全然平気よ

途中に芭蕉の句碑がありました。



「徒歩ならば、杖つき坂を 落馬かな」
芭蕉さんも、急な坂のため、ここで落馬した時
読んだ句だそうです。

血塚社





はあはあ、言いながら
坂を上りきると、日本武尊が出血した足を
洗った所とされる血塚社がありました

采女の一里跡



ひたすら歩く



1番前を歩く緑の帽子の方
80才!
かくしゃくと、足取り軽く歩かれます。
介護施設にいる、80才と
前を歩かれる80才!
どこがどう違うのか?



東京から400キロ越えたぁ〜〜
あと残す所100キロだぁ〜〜

そして、鈴鹿市に入った



街道を歩いていると
小さなお地蔵様や、観音様に出会えたりして



延命地蔵様!
手を合わせるのです。



東海道も昔のまま残っているわけではなく、
道路や鉄道で寸断され
私達も、回り道を
よぎなくされたりするわけで
その分昔の方々よりたくさん歩くわけです

そして、案内板も、木々に時として
埋れていたりするのです。

四日市宿を抜け

石薬師宿に入ります



石薬師宿出身の佐々木信綱さんと言う歌人で
国文学者の方がいて、
この方で町興しをしようとしているそうです。

私はもちろん!
この方知らない泣

街道沿いに、この信綱さんの歌碑が
50個程、立てられています。



大木神社



天照大神など九神を祀る
境内はたくさんの木々に覆われて
まさに鎮守の森でした。

小澤本陣跡



古い宿帳が、保存されており
赤穂藩浅野匠守や大岡越前守が
泊まっているそうです

時代劇の世界やぁ〜〜

佐々木信綱記念館



歌人で国文学者の佐々木信綱さんの
文化勲章などの遺品や、遺稿が
展示されていました。

私が知っていたのは一つだけ
唱歌 「夏は来ぬ」でした。

この記念館の二階で
お昼ご飯の弁当をいただきました。



疲れていたので、
冷房の効いお部屋でお弁当食べて
体力回復です

午後1番の訪問は

石薬師寺です。



弘法大師が、霊石から一夜にして爪で刻んだ
薬師如来立像を本尊として建立!
寺名を薬師寺としたそうです

広重さん薬師寺宿がこちら



そして、今がこちら



薬師寺の門が描かれてます。
寺の裏に描かれている鈴鹿の山々が、
現在は見えない?
なんで?
先生に聞いたけど、
わからないって言ってた

蒲神社



頼朝の弟を祀ている。

蒲桜



源範頼(頼朝の弟)が
石薬師寺で必勝祈願した後
鞭にしていた桜の枝を地面にさして
戦いに勝てば、きっと生えよと言い残したが
宇治川の戦いに勝って
鞭にしていた枝からも桜が咲いたので、
蒲桜と言うそうです。

石薬師宿一里塚



ひたすら歩く



車のたくさん往来する国道沿いを歩くより
こんな田園を歩く方が気持ちが良いです
暑かったけど



田んぼの中で二つに分かれるこの道?
追分けではありません。

この二本の道!
どちらも旧東海道だと、
おっしゃる学者さんがいて
どちらが本物の東海道であるか不明との事

クラブツーリズムでは、
左道を旧東海道と信じて、
左道に進みました。



庄野宿に入りました。



問屋場、高札場、脇本陣跡、本陣跡が
近くにまとまってありました。
昔から、小さな宿場町だったようです。

川俣神社



庄野宿が出来る、はるか以前から自生し
樹齢数百年を越える。
幹回り6メートル30センチのスダジイの巨木

神戸領榜示杭



街道の両脇に神戸藩領を示す石の
榜示杭がありました。

女人堤防の碑

写真撮り忘れましたが
案内板だけ


川が氾濫するので、なおしてって、何度も神戸藩
にお願いしてるけど、
堤防を作っちゃうと、城下が浸水するからと
藩からのお許しがでず、
処罰覚悟で工事始めようとしたんだけど
堤防作ったら、打ち首!
男が、全滅しては、村が成り立たないと
女か立ち上がり
目立たない夜に、堤防作りの工事をして、
6年かかって、堤防を作ったそうです。
堤はできたけど、藩から罪に問われ
処刑当日に、
免罪が決まり、処刑を免れ褒美をもらったって
話です。

いつの世も、女は強しです。



中富田の一里塚跡
新しそうです

川俣神社



大きな古木があった神社と同じ名前
川俣神社です。なんか繋がりあるんかなぁ

この神社の特徴は
鳥居は、街道向きに立っているけれど

神社の建物は、
反対向きの土手の方を向いています



珍しい神社との事です
神社正面から見ると
神社の建物の裏に鳥居が立ってるって
感じですね



神社を背に橋をわたります。
川風が、すごく気持ちよかった。
風がこんなに心地よく感じる事が出来るのも
街道歩きの醍醐味かなぁ〜〜
普段の生活で、こんなに心地よい風を
感じた事はないから

地福寺



ここのお寺も、講師の先生は
何かご案内したい事が
あったようですが
喪服の方がいらっしゃり、
法事をしていた様子なので、
パスです。
地元の方の生活をお邪魔しないのも
大事な事です。
そして、この日は、何より
鉄道での移動だったので
電車に乗り遅れては大変だったのです





やったぁ!
この日のゴール宇田川です。

3万歩近く歩いた。
疲れました。

広重さんの庄野宿は、
ここではないかと言われる所が
三カ所位あり、特定出来ないとの事でした



この日の街道歩きはここまでですが、
ここからJRに乗って
ホテルのある四日市まで戻りました。





疲れた体にムチ打って
最後の力を振り絞り
ホテルまで歩きました。








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4 コメント

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旅を感じて (tyako)
2019-07-03 20:17:09
こんばんは。
力の入ったレポートを拝見いたしました。
ずっと読んで、最後のゴールを読み終えた瞬間、自分で歩いていたように錯覚してしまいました。

大変な時間を割いたことだと思いますが、あとで自分で見ても鮮明に思い出されると思います。
よい思い出になりますね。
素晴らしいです。

返信する
杖つき坂! (泰子)
2019-07-03 20:55:41
芭蕉も!
返信する
芭蕉さん (かかあ天下)
2019-07-04 18:31:40
泰子さん
芭蕉さんは故郷
伊賀上野に帰るために
東海道を歩いたようで
街道にはゆかりの方々が立てた句碑が
たくさんあるんですよぉ~~

返信する
誤ってないかなぁ~ (かかあ天下)
2019-07-04 18:38:34
cyakoさん
テーブルの上に
いただいてきた資料やら
ツーリズムの資料やらを広げて
また、講師の先生の話されていたことの
記憶を引っ張りだして
書いてますが
大丈夫でしょうかぁ~~
誤った事書いてないですか
歴史的なことまったく
無知なんで不安です
誤りがあったら、教えてください
思い出をつづるのも楽しいですね
返信する

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