雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

東海道 富田〜四日市宿

2019-07-02 06:55:47 | 東海道
富田間の宿

前回の歩き終わり富田駅からの
街道歩きスタートです。



富田の茶屋の軒先で、
松かさを燃料に蛤を焼きながら
旅人に供していたそうです。

焼き蛤は、ここ富田の方が、
桑名より旅人に良く
知られていたようです。



ここで、明治天皇が4回ほど休憩されたそうです
焼き蛤!
食べたんでしょうね、もちろん!

善教寺



国指定文化財の
阿弥陀如来像が安置されているようですが
公開はされておらず
外からお参りだけでした。

富田の街道



薬師寺



大同年間(806〜810)
弘法大師が、悪性の伝染病を
仏様の慈悲によって救おうと
薬師如来を彫り、開基したそうです。
薬師如来は、60年に一度開帳されるそうです
前回の開帳がいつだったのか、
次はいつ開帳になるのかは、
案内なかった。

力石



明治時代、村の寺を再建した時
出てきた石で
体力を競ったようです
小さい方の19キロなら、
持ち上げられそうな気がしました。

道標



街道に立つ道標
右が、いかるが、
左は、四日市
私達は四日市に向かいます。

茂福神社



街道から、細い道を抜けて
茂福神社へお参りしました。

志氐神社
しで神社と、読むそうです。

志氐神社一の鳥居の側にある
みよといし





道路を隔てて2つの石があり
街道を歩く旅人は、このみよといしをなでで
縁結びや、夫婦円満を願ったそうです。

もちろん、私も
なでなでしてきました。
夫婦円満でないと、
街道歩きできないのでねぇ〜〜
いつも、父ちゃんお留守番で、
私を気持ちよく、
東海道歩きに見送ってくれるから




街道から、神社まで、けっこう歩きましたよ
線路も超えました。

明治の神社統廃合でたくさんの
神様を合わせて
お祀りしているそうです

妻恋神社もお祀りしてました。

お参りを済ませて、街道を進めます。

四日市宿名物の
なが餅屋さんに立ち寄り、
なが餅を購入です。



三ツ谷の一里塚



海蔵川を広げるため、
川の中に消失してしまったようですが

平成13年に石碑だけ建てられたようです。

さてさて、
広重さんの五十三次四日市宿


画像Wikipediaから

四日市宿の江戸方出口となる
三滝川と、三滝橋を描いている所です。



三滝橋の今と昔です。





この橋を渡ったところから
富田間の宿を抜け
四日市宿に入ります



建福寺



江戸時代当時からの井戸が
市指定の文化財として残っていました。

四日市宿陣屋跡



120軒もの旅籠があり、
1番栄えていた地域のようです



今は昔を思わせるものは
なんもない泣

本陣、脇本陣跡なども
立て看板すらなかったと思う。
私が見落としたかな!
でも、無かったと思う。

元禄道標

四つ辻にある道標!
港に通じる東西の道と交差する為
建てられたそうです



南町は戦国時代に南市場として栄えたそうです。

ここまでで、午前の行程を終えて

楽しみの昼ごはん
あぁ〜〜
お腹すいたぁ〜〜



美味しかったです。
お腹もいっぱいになって

午後1番はこちら

諏訪神社です。



鎌倉時代に、信州諏訪社から、分霊して
建てられたそうです。

おすわさんと呼ばれ
四日市開拓以来の氏神様だって!

諏訪神社を後に歩を進めます



旧東海道で、唯一屋根のある街道です

昔の人に見せてあげたい!
びっくりするだろうなぁ〜〜
雨に濡れずに街道が歩けるってね
タイムマシンがあったらいいなぁ
昔ここを歩いていた人を連れてきて、
びっくりする顔見てみたい



アーケード街を出ると
近鉄四日市駅です。

街道らしくないとは言え



昔を思わせる家などもあり、
蒸し暑いなか、もくもくと歩きました。

大宮神明社



もともとあった舟付明神が、400年前に
炎上して、ここに引っ越してきたそうです
6月30日に行われる
輪くぐり神事が有名なようで
私達が、参拝した日は、
たくさんの人が準備してました。

興正寺



なんか、お昼ご飯食べた後の
街道歩きに加えての
蒸し暑さ!
講師の先生の話が入ってこない!
そして、忘れた。
なんか、このお寺は、
門が立派だったんです。
門が大昔のものだったっけかなぁ〜〜
ちょっと、調べたけど、出てこない
忘れた。

日永神社



戦国時代、信長の兵火で全て焼失し
正確な創建は不明



太神宮追分道標



現存する東海道で、最古の道標!

文字はよく読めない!

右側 京
左側 山田
裏 南無阿弥陀仏 専心

って、書いてあるそうです。

もともとは、日永の追分に建てられていたが
その後、大きな道標が建てられたため
日永神社の境内に移設されたようです。

日永一里塚跡



江戸から。100個目の
一里塚は、
家と家の間に、狭苦しそうに
肩をすぼめて立っていました。

さてさて、一里塚を、すぎると
名残の一本松が見えてきました。



昔は、両側に松並木があったのでしょうが
今は、この一本だけになっちゃったそうです。
頑張れ〜ぇ

まもなく、日永の追分が見えて来ました。



広重さんもここから



追分を描いてる



右に行けば 東海道!
左に行けば 伊勢街道!



私達も一休み





この鳥居って、
伊勢神宮に、昔あった鳥居なんだって

ここは、東海道と伊勢街道の分岐点で
東海道に行く人は
伊勢神宮には行けないわけで

だから、あそこに鳥居を置いて
鳥居を拝んで行く事で、
伊勢神宮に行ったという
御利益をもらえる事が
できるようにって

へぇ〜〜
日永の人々の
心遣いですかぁ〜〜
ありがとうございます。

私達もお伊勢参りには、
行けません。
東海道を旅するものでして

鳥居を拝むだけで、
これから先の旅をお守りくださいって事で
合掌!

そして、このお水!
なに!
湧き水ですかぁ〜〜
こんな道路の真ん中に?

井戸ですかぁ〜〜
飲めるんですかぁ〜〜

地元の人とお見受けする方々が
大きなペットボトル何個も
持って、ここのお水持っていってるぅ〜

山から湧き出るお水を引っ張って
きているようです

水道局の検査もパスしており
飲めるようです。

私もちょうど、ペットボトルが
空になっていたので
お水いただきました。

お伊勢さんの鳥居の下で、
湧き水をいただくって



なんかすご〜〜く
有難い気がしてきた。

江戸時代も、ここに
たくさんの人達が、集まって
伊勢街道へ行く人
東海道へ行く人が
賑やかに、おしゃべりなんか
してたのかなぁって
思うと、なんだか、嬉しくなっちゃった
私の前世の方も
いらぬ事、ベラベラ喋ってたんだろうね笑笑


もう、ずぅ〜〜っと前に
伊勢神宮へ詣でましたが、
また、いってみたくなりました。

が、今回は
右側の京への道を進みますよぉ〜

そして、この日のゴール
内部駅まで、
疲れた体にムチ打ちながら最後の歩きを
頑張りました。
やれやれです。















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2 コメント

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東海道五十三次 (tyako)
2019-07-02 22:35:25
こんばんは。
力作のレポート拝見しました。
歩いてる内容が分かるだけに一緒にあるいているような気がいたしました。

いつ行けるかわかりませんが、出かける前にまた読み返してみようと思ってます。
一つ疑問です。
みなさん軽装で歩いておりますが、荷物はどうしたのですか?
今までは、バスの中に置けましたから・・・
すごく気になったおります。

あこれだけ書くの大変でしたでしょ!!
ありがとうございました。
返信する
荷物はバスの中・・・ (かかあ天下)
2019-07-03 08:12:54
cyakoさん
cyakoさんの備忘録ブログに触発
されて、今回は一生懸命書きました
2日目、3日目も頑張って書きますね
荷物の件ですが
1日目
バスが名古屋駅まで迎えに来ています
40分ほどで、前回歩き終わりの富田駅に着きました
荷物はバスに置いたままです
歩き終わったらバスでホテルに・・・
1時間位かかったと思います

2日目
バスはチャーターしていないようです。
行きは私鉄、歩き終わってからJRで四日市駅まで
帰ってきました。駅からホテルまでも
歩き・・・これ疲れましたよ

3日目
バスがホテルまで来てくれています
前日歩き終わり地点まで
運んでくれます。荷物はバスに
置いたままです。
歩き終わった亀山から名古屋までバスで
運んでくれます。1時間以上かかったと思います
高速も走ってました。
名古屋城によって観光・・・
これは、街道歩きの行程に入っておらず
別途500円の徴収ありです
名古屋城に寄らない選択をすると
名古屋駅で2時間の新幹線待ちのようです
これは、たぶん講師の先生と添乗員さんに
よると思います。名古屋城に寄らない先生も
いるかもです
名古屋城から駅まではバスで20分くらいでした。
返信する

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