今年も始まりました
かかあ天下の街道歩き
ただいま3本の街道を歩いております
中山道・・・5月に最終回の草津宿~京都三条大橋まで
残すところあと1回で完歩です
甲州街道・・・ただいま、順調に歩を進め、日野宿まで
きております。予約も順調に取れています
日光街道・・・こちらは、散歩気分で、予約の取れたところを
ランダムに歩いております
2023.1.12 晴れ
今回は小山宿・新田宿・小金井宿の3つの宿場を
歩きます
11キロ
約5時間予定でした
10:10 小山駅スタート
常光寺
鎌倉時代に創建された寺
このお寺はクラブツーリズムのお客様
入ってはならぬとの事で
門の外からしか見られない笑笑
長い事、街道を歩いてますと
こんな風に
クラツーのお客様入場禁止の所が
何か所かありました
過去になんかあったのね
お行儀よく見学しないと
後から歩く人達に迷惑かけますね
10:20 小山宿脇本陣後
門が残されているのみ
明治天皇奥州巡行の際の御座所
小山宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 74軒
この辺に本陣があったとの事
ここら辺が小山宿の中心だったとの事
ここら辺が小山宿の中心だったとの事
興法寺
小山氏代々の祈願所
境内にあったお地蔵さまに
戊辰戦争、小山の戦い時の
被弾跡があると説明され
確認しました。
確かに・・・
お地蔵様手当もされずに
可哀そうに・・・
天翁院
小山城の北側にありましたが
現在地に移転
小山一族のお墓がありました
11:45 薬師堂
境内には道標を兼ねたお地蔵様
街道に海の字が使われています
喜沢追分
日光道中と壬生道のと分岐点
私達は宇都宮道の方に進みます
12時から13時
和風ダイニング彩華でお昼ごはん
トンテキ
トンテキ
13:15 喜沢の一里塚 江戸から21里目
講師の先生もおっしゃってましたが
小山宿
宿場だったらしい道標も案内板も
まったくない・・・
西塚は残ってましたが東塚は盛り土みたいになってる
これじゃ地元の人も
わからんよね~~
小山市の市役所の方がた
案内板くらい作りませんか???
ここら辺から新田宿
新田宿
日光街道に中で1ばん小さな宿場全長400m
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 11軒
13:55 新田宿本陣 跡
新田宿は短い道中でしたが
こんな常夜灯のオブジェがありましたよ
やっぱりこんなのがあると
街道を歩いている雰囲気があります
星宮神社
ここには寄りませんでした
桜の木が立派だったので
桜の時期は綺麗かなぁ~~
新田宿出口の道標
石仏数体
街道から望む男体山
あの山の麓の日光東照宮がゴール
小金井宿
宿の西側に小金井という池があり
大干ばつでも枯れることなく
黄金が得られたとの伝えがあるそうです
縁起のよさそうな宿場です
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 43軒
14:45 小金井の一里塚 江戸より22里
江戸時代は東に松・西に杉が植えられていましたが
今は、左右ともにえのき・・・
旧道の両側に塚が残っているのは珍しく
国の史跡に指定されています
街道の真ん中に私の影が・・・
真ん中を歩きます
街道歩き友達どんどん増えてます
どこかでお会いしましたよね
「東海道でしたっけ・・・
中山道でしたっけ・・・」
歩く中毒アル中のお仲間は
あちらにも
こちらにも
毎回、何人か顔見知りの方がいらっしゃいます
15:00 蛸屋
江戸時代仙台からやって来た和菓子屋さん
のれんにタコの絵を描いていたので
和菓子屋さんなのにたこやさん
くり石かえしっていうお菓子が有名との事で
父ちゃんにお土産買いました
15:20 慈眼寺
新田一族としての祈願所
江戸期は学問と修業の場
将軍が日光社参の時休息をとるために
使われたとの事
このお寺で住職さんに
お話を聞きました
すごくわかりやすくお話をしていただき
有難かったです
こんな風に説明をしていただくと
嬉しいです
境内でのお話でちょっと寒かった・・・
15:50 金井神社
この神社でも神主さんのお話を聞くことができました
この神社は本殿の彫刻が素晴らしかったです
建物は拝殿で覆われているのですが
神主さんが中に入れてくれて
見ることができました
個人では、見られないのかも
彫刻の説明もしてくれました
16:06 本陣跡 門のみ
日光道中
日光街道って、距離も長くないし
峠などの難所もないし
鉄道なども近くを通っていたりして
ツアーを使わず自力で歩く人
多いみたいだけど
ねえ~~
この道
このあぜ道みたいな旧街道を見つけられるんだろうか
やっぱり、案内してくれる人がいないと
無理よねぇ~~
なんだか畑のおじさんに
叱られるんじゃないかと思うほど
畑ぎりぎりの旧街道です
そんでね、あぜ道の先は下野市役所の敷地内
市役所の中には入れないので
建物は迂回します
ここでこの日の街道歩きは終了です
慈眼寺・金井神社で熱心に
お話をいただき
予定の時間ギリギリでした
最後の30分程はかなりの速足でしたよ
16:30 無事にゴールです
ここで解散です
皆さん、それぞれの家路につきます
今年の大河ドラマ
どうする家康
小山の地で
小山評定が行われました
関ケ原の戦いを前に
家康が三成打倒の軍議をしたところだそうです
家康に従う武将のほとんどが豊臣家譜代の武将であったため
大阪に妻子を残してきており
家康はここで
西に帰りたいものは
帰っても良い
自分に味方してくれるものは
残ってほしいと言ったそうです
このとき、愛知城主の福島正則・静岡城主の山内一豊らが
家康さまに味方しますって誓ったんだってよ
関ケ原で勝利した後はこれらの武将に
たくさんの領地を与えたそうで
2人にとって
小山は開運の地になったことから
今でも小山は開運の地をキャッチフレーズにしているそうです
この小山評定・・・
大河ドラマでは描かれるかな~~
楽しみだな~~
小山評定がどこで行われたのかは諸説あるそうで
はっきりとした場所はわからないそうです
史跡小山評定跡の石碑は小山市役所の玄関前に
あるそうです
今回は見学できませんでした
次回日光街道歩きは
先に進むのでなく
後戻りします
越谷~粕壁まで歩きます
その前に明後日は甲州街道歩きです
天気予報では雨だぁ~~
始まりましたね!
あぜ道みたいな所も歩くのですね。皆さんが歩いて来られたら自分は道を開けて待ってますよ💧
後ろ姿が迫力満点で怖いな…
(笑)おつかれさまでした。
何百年も前の道は、ほとんど残っておらず
どこが街道だったのか不明という道もあります
なので、こんな風に江戸時代から残っている
道はどんな悪路でも
アル中の皆さんは歩きたがります
バスを利用しない現地集合現地解散のコースは
いつも30名近い参加があります
ぞろぞろと寒い中大変です
八海さんも珍しい鳥の画像を撮るのに
何時間も待つことがあるのでしょうか
歩くのも、良い画像を撮るのも
忍耐がいりますね