日光街道を歩くいよいよ最終回
11月18・19日
1泊2日で歩いてきました
皆さん上野駅に集合しバスで今市に向かっていますが
私は自宅から下今市駅に向かった方が近いので
電車で向かいました
9:20 下今市駅
この駅から鬼怒川までSLが走るみたいで
駅に着いたらちょうどSLが停車していたので
写真を撮りました
この駅は駅舎もとてもかわいいです
上野からバスの方々をここで待つようにと
添乗員さんから連絡をもらいましたので待ちます
皆さんと合流して
街道歩きのスタートです
今市宿
日光例幣使街道・会津西街道が合流する
重要な宿駅
戊辰戦争の戦火で街並みはほとんど焼けてしまい
江戸時代の物を見つけるのは
難しい
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 21軒
脇本陣があった所
淨泉寺
三代将軍家光移葬の際棺が安置された
境内には「蕎麦喰い稲荷」がある
蕎麦を供えると
夜泣きがなくなるそうです
滝尾神社
今市の総鎮守
社前には今市宿の北木戸があった
杉並木道に入ります
朝鮮通信使今市客館跡
杉並木公園内に碑がある
朝鮮通信使は12回来日し
うち3回はここに宿泊して東照宮の参拝をしたそう
昼ごはん食べてからの
如来寺
東照宮造営の際
三代将軍家光がここに御殿をたて
滞在した
報徳二宮神社
二宮尊徳を祀っている
二宮尊徳は日光神領89村の復興開発に務めたが
70歳で病に倒れ
ここ今市が終焉の地になったようです
社殿の裏にはお墓もありました
七本すぎ伐採あと
七本の杉の根幹が癒着して一株になった杉で
老朽化し伐採された切り株が残っている
って
この杉かいな
七本癒着していたとは思えない
全然違う木の画像だったりして
砲弾打ち込みスギ
戊辰戦争の激戦地
杉の幹に官軍が打った砲弾が当たって
破裂した跡が残っている
砲弾を受けた直後は、丸い跡だったけど
杉の木が成長して
今は、こんな風に細長い跡になってるそうです
野口薬師堂
境内の石の釣鐘は1768年の建立
石の鐘の重みで竜頭がこわれ
以来放置されている
並木太郎杉
たぶんこの画像だと思うのですが
杉並木の中で1番大きく美しいといわれている杉
杉並木の杉はどれも大きく美しいので
どの画像なのかわからなくなった
たぶんこの木だったと思う
日光街道って言ったら
杉並木だね
宇都宮あたりまで
あまり見どころもなく
ひたすら国道4号線を排気ガス吸いながら
歩いてきた気がするけど
杉並木を歩くようになってからは
素敵でした
大勢で歩いていても
ストレス感じず
ゆったりと歩けました
杉のパワーいただきながら・・・
この時期で良かった
花粉症なんで春だったら
泣かされてたわ・・・笑笑
街道歩き友との写真も
のびのびと・・・うふふ(*´艸`*)
異人椅子
明治時代、杉並木をこよなく愛した外国人が
石工に椅子を掘ってもらい
毎日、ここに座って杉並木を鑑賞したそうです
わかるわぁ~~
JR日光駅
東武日光駅
鉢石宿
本陣1軒
脇本陣1軒
旅籠19軒
日光道中最後の宿
家康が日光東照宮に祭り日光参詣が盛んになると
門前町として発展し栄えた
龍蔵寺
境内には戊辰戦争で戦死した広島藩の墓があります
稲荷神社
境内に西行戻し石があります
西行が石の上にいる子供に
「どこに行く」と問うと
見事な歌でかえされ、この地で「歌くらべ」は無理と
悟り引き返したそうです
宿名の由来石
鉢を伏せたような石があります
地名の由来になった霊石
勝道上人像
日光開山の祖勝道上人は家康に仕え
日光山の貫主となります
家康の亡き後は
遺言を守り、久能山から遺骨を移し
東照宮の創建に尽くした
板垣退助銅像
日光廟に立て籠もった旧幕府軍を説得し
日光山内を兵火から守った
わ~~い
日光街道ゴール
神橋が見えてきた
ばんざ~~い
ゴールどぉ~~
って・・・
この日ゴールできんかった
なぜに???
この神橋15:30分までで閉まってしまうの
この日15:30までに
ここまで来られなかったのよ
ゴールは翌日にお預けです
神橋渡ってないんですけどね
まだゴールしてないんですけどね
この日の夜は
完歩式です
東海道・中山道に続き
日光街道も完歩どぉ~~
2022年12月スタート
2023年11月ゴール
およそ1年で完歩
日光街道全17回だから毎月1回歩くと
1年5か月かかるはずなのに
1年かからずに完歩したということは
月に2回歩いたこともあったのね
ハイスピードだったわ
街道友と
はい・・・ポーズ・・・
街道友もどんどん増えて行く
還暦過ぎて友が増えるって
すごくない???
皆さん、歩くの大好き
歩く中毒
アル中の皆さん・・・です
フットワーク軽いかかあ天下さん、凄いです。
箱根峠を越えたら終わりにしようと
思っていたのですが
ここまで来たら五街道制覇します
明日から福島県白河ゴールを目標に
奥州街道を歩き始めます