甲州街道を歩く14回目 韮崎~台ケ原歩いてきました
11月11日
7:30 新宿駅集合
紅葉のシーズンとなりましたが
大きな渋滞にもあわず
10:50 この日は街道を歩き始める前に
新府城跡を見学です
武田勝頼が1581年に築城
勝頼は躑躅が崎からここに移ったものの
翌年には織田軍の侵攻を前に
自ら城に火をつけ郡内岩殿城に向かったそうです
前回の13回でこの城に火をつけ
逃げる途中に
勝頼夫人がわずか1年しか住まなかった城が
燃えるのを
振り返り眺めて泣いたところとして残されている
泣き石を見ましたが
ああ~~この城が燃えるのを
あそこで見たのねぇ~~と
位置関係がわかりました
街道歩きは歩きながら
物語が続く面白さがあります
この城は大河ドラマ真田丸のロケ地にもなっていたようです
八ヶ岳から延びる七里岩の高低差130mもの
断崖を巧みに利用して築城されているため
城内から道路に降りるまで
かなり急な階段となっています
登りは敵を突き落とすための
出構などの説明を受けながら山道を
登ってきました
新府城からバス移動して
前回の歩き終わり
韮崎市役所前に来ました
11:50
市役所前広場に武田氏の祖
武田信義の像がありました
信玄じゃないんかい・・・と
一人突っ込みを入れるかかあ天下です
七里岩
七里岩は八ヶ岳から甲府盆地に向かって
楔(くさび)のように伸びている岩
断崖が長野県から韮崎市まで七里続いていることから
七里岩と言われています
ここ辺から七里岩が始まります
この日は1日中右手に七里岩を見ながら
歩くことになります
12:06 水神塔
明治31年 風水害の決壊箇所
十六石
信玄が韮崎を水害から守るために
治水工事を行い16の巨石を据えたところ
12:25 水難供養塔
昭和34年台風7号の豪雨により
釜無川が氾濫。
これによる犠牲者を供養したもの
信玄の時代から水害に悩まされた土地のようです
右手に七里岩が続きます
茅葺の武家門
長く武田家に仕えていた名家
武田家は滅亡してしまいましたが
家臣の家は代々、今日まで続いているみたい
門の中は、今は一般のお家ですから
遠くの方から門だけ
写真を撮らせていただきます
12:45 碑の表面が赤く塗られていることから
赤地蔵と呼ばれている
石塔群
道祖神・蚕神・石尊神・和気大神・九頭竜大神が並んでいる
屏風岩・九頭竜社
釜無川水防の神として信仰されている
七里岩の断崖に
小さく鳥居とお宮みたいなのが見えます
姥婆石
田植えの最中に巨石が落下し、なくなった老婆を供養したものとも
水害のため家族を失った老女が悲しみのあまり石になったとも
言われているそう
徳島堰
江戸の商人徳島さんがこの土地の荒れ地を憂いて
幕府の許可を得て私財を投じ
韮崎市から櫛形町まで17キロの堰を
作り上げた農業用水
箱根堰・柳川堰とで日本3大疎水と言われている
15:40 福島妙淨寺
幕府の許可をえて私財を投じ
農業用水のための堰を作ってくれた
江戸の商人徳島夫妻の墓所
八ヶ岳が見えてきたぁ~~
ゴールが近づいてる
まだまだ、七里岩が右手に続いています
七里岩の断崖は戦国の要害の地として
そして、岩肌の絶景は景勝地として人々を
魅了してきたそうです
国登録記念物になっています
韮崎市
七里岩から離れ
街道っぽい道になってきました
小武川橋
韮崎市と北杜市の境の橋です
16:00 北杜市に入りました
一里塚
甲府からは六里と小さな字で書いてありました
この日はここからしばらく歩いて
武川物産センターで1日目のゴールでした
風が強くて午後はとても寒く感じました
夕飯はホテルでなくて
ホテル近くのファミレスです
ツアー代ガンガン値上がりしてるのに
食事のグレードはなかなか上がらない
でも、甲州街道も終盤となり
お仲間も増えて
街道話で盛り上がり楽しい夕食なんです