鎌倉徒然草

鎌倉に住んで25年。四季折々の自然を楽しみながら、オリジナルの和雑貨の企画、製造、販売を展開しています。

やさしさの原則・続き

2013年06月18日 | 日記

やさしさと甘やかすことの線引きについて書きたかった昨日のブログ。

わたしの文章能力では、あれでいっぱいいっぱいでした。

「甘やかす」ことは実は簡単で、楽。「優しい」人でいることも、気持ちいいし楽。

20代、30代には、もうぎりぎり、ボロボロで仕事した時期がある。

「命をとられるわけじゃないさ」と開き直ったことも、1度や2度どころじゃない。

「もう出来ません」なんて、私は、かっこ悪くて簡単に言えなかった。

平川克美著 小商いのすすめ (ミシマ社)の1冊がいま私にいろいろな事を教えて

くれる。「小商い」というタイトルから想像するととんでもなく、素敵に裏切られる。

私が過ごしてきた昭和の30年代の、商店街の話から、大量生産、大量消費の時代

を経て、経済に蚕食された現代社会への警告を、もう、むさぼるように読んだ。

ブログに書いたのは2度目だが、若い人の仕事の意識を知るヒントを探そうと

昨日、再び読んだら手放せなくなってしまった。

ヒント?ありましたよ。町工場の「一人親方」の話。興味ある方は読んでください。











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やさしさの原則

2013年06月17日 | 日記

訳の判らないタイトルを打ってから、しばし考えた。

「やさしさの基準」といってもいい、ようするに、線引きでなのです。

今日、スタッフとの会話のなかで、若い子を育てることの難しさに話が及んだ。

今まで、2人、20代の男子と女子に働いてもらったことがあった。

二人とも1年と続かなかった。二人に共通していたのは、私が一番大事だとおもう

「愚直」さが無いのだ。器用である必要はない。物作りの仕事場だから、接客上手で

なくてもいい。与えられたこと、出会えた仕事にがむしゃらに取り組んで欲しいのだ。

「育てる」という言葉はよくないのは承知ですが、他にいま適切な言葉が無い。

それぞれ、専門学校を出て入ってきた子たちではあったが、残念ながらだめだった。

「だめ」というのは、私の「許容量」が「もうだめ」だったのだ。

短時間で見切りをつけることの是非はともかく、私は、私なりに努力も試みた。

20代なんて、どんな無理も出来るのですよ。「失敗した!」と思ったって

いくらだってやり直しできるし。少しでも楽してお金稼げる人生をさぐり

あっちフラフラ、こっちフラフラしてたら、情けないです。
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風邪

2013年06月16日 | 日記

風邪をひいたみたいです。

体がだるく、熱ぽい。明日は気温もあがるそう、この時期いつも風邪をひく。

何もしないで寝る、ことにする。風邪の引き始めってお風呂いけないのでしょうか?

いやだ、何年生きてるのだ。おやすみなさい。
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男の子

2013年06月15日 | 日記

夜の下りの相鉄線は、思いがけず空いていた。それはそう、土曜日。


大きなベビーカーを「よっこらしょ」と引きずって乗り込んできたのは、私と同世代

(おそらく)のおばーちゃん。

美しいママの小脇には、やんちゃな顔をした1歳ぐらいの男の子が。

とにかく少しもじっとしていない。ママが座るとおこる。それも、大きくのけぞる。

「ギャオー!」と私には聞こえる。

彼には座ると困るわけがあった。大好きな「吊り輪」に触れなくなるのだ。

とにかく乗り込んできた時から彼の目は吊り輪に集中していた。

それは立派なチャレンジャーのようだ。

ママは『仕方ないわねー』といった感じで立ち上がる。

すると彼は何と、美しいママの、スリムなお腹と、美しいラインを描く胸をよじ登った

あれは、ロッククライミングだ。

そして、まさに肩によじ登ろうとしたときムギュと摑まれてひきずりおろされた。

やれやれと思っていたら脇に手を差し込んで持ち上げ、彼は吊り輪を摑み満面の笑み。

若くなきゃ、男の子育てられない。高齢出産、女の子が多いのです、神の摂理。
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和の宿

2013年06月14日 | 日記



今月号の「サライ」の特集が、建築家で選ぶ「和の宿」

建築界で「東の丹下健三、西の村野藤吾」といわれているという。

丹下健三名は勿論知っているが、村野藤吾の名は「東西の素敵なホテルを手がけた人」

村野「何とかさん」ぐらいの認識しかなかった。

というのは、何年か前、知人の車で久し振りに東京の街をけさがけに走りまわった折

見かけた、とても印象的なビル、ホテル2つが「村野藤吾のよ」と教えられた。

なんにでも詳しい彼女の話を、私はいつも半分ぐらいしか聞いてない。

だから村野何とかさんなのだ、すみません。

畳のない家に住んでもう何年経つだろう、さみしい・・・。

日本を代表する8件の宿のとっておきの部屋の写真を眺めていたら畳が恋しくなった。

玄関、坪庭、廊下、壁・・・、設えに、贅をつくせばきりないがいいものは、いい。

自分の家としは、叶わないかもしれないが、せめてこれらの「名旅館」の旅人になろう

なんとか今年のうちに!

とっておきの「和の宿」の旅、夢は叶うか?
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