「適材適所」… 人の能力、特性などを正しく評価して、ふさわしい地位、仕事につけること。
この言葉、元々は建築の現場で使われていたようです。
「適した木材を建物の適した所に使う」そういう意味で使われていたようです。
木にも様々な種類があります。
建物の土台に適した木
内装に適した木
屋根に適した木…。
また同じ種類の木でも
日当たりのいい南で育った木
日当たりのよくない北で育った木
南で育ったから いい とか
北で育ったから 悪い とか
いうものではないようなんです。
建物の南側には南で育った木が、
建物の北側には北で育った木が、
向いていたりするそうです。
また切り出した木は数年置いて乾燥させるそうです。
乾燥すると右に反るか、左に反るか、まっすぐなままか…。
反ったからよくないというものではなく、
右に反った木と左に反った木を上手く組み合わせてバランスをとることで
いい建物が建つのだそうです。
★つまり、必要とされない木はない ということ。
どんな木にも、その木にしかできない役割があるということです。
宮大工で法隆寺の解体修理や再建の棟梁をされた
西岡常一さんの著書で読んだ記憶があります。
木も花も人も同じじゃないかなって思います。
シロツメクサはどう頑張ってもヒマワリにはなれません。
それをヒマワリを望む親がシロツメクサの子どもに
どれだけ尻を叩いてヤイヤイ言っても、
シロツメクサはシロツメクサ。
シロツメクサの可憐さ、強さを持っているのです。
親はその子どもの特性を理解して伸ばせる手助けをするのが仕事ではないでしょうか?
親だけでなく、その子どもと関わる大人にできること。
子どもの適性に合わないことを期待したり望んでしまっているかも、と思った時には
「適材適所」の言葉を思い出してみてください。