★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

究極の奉仕活動・・・それが祈り☆

2011-11-07 12:00:05 | こんな風に生きたい・・・
「祈り」という言葉を聞いて、抵抗を感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

なんで?

それって「祈り」の言葉が ○○教 というような宗教をイメージさせるのかもしれません。



ビートたけしさんがバイク事故で生死をさまよう体験をされて、
復帰されたとき、こんなことをおっしゃっていました。
「○○教じゃなくて、宗教心ってのは人間生きてく上で必要なんじゃないかと思うんだよね。」って。


「宗教心」ていうのは
自分はなんでこの世に生まれてきてのか、
死んでどこに行くのか、
地球・宇宙はどこに向かっていくのか、

そんな、宇宙に生かされている一人の人間として
根本的な、そして最も大事な教えなんだと思います。


たけしさんもあのような大事故を起こされて、
こんな大事故を起こして
死んでいても全く不思議じゃない状況の中、
何故だか自分は今ここに生かされてる…
ってことはここに生かされてる理由があるんじゃないか、
死ねなかった理由があるんじゃないか、
きっとそう思われたのではないでしょうか?


これがまさに宗教心なんだと思います。



「祈り」は○○教ではなくて、この宗教心により近いんだと思います。
「祈り」とか「奉仕」をきれいごととか偽善と感じられる方もいるでしょう。
ならば、きれいごとではない、偽善ではない、純粋な「祈り」を日常生活の中で、
日々試されてはいかがでしょうか。
きれいごとでない「祈り」が本当に存在するかどうか。
見返りを求めない、純粋に相手の幸せのみを願う…
自分の損得とか、計算を一切除外した祈り。


これこそが究極の奉仕活動だと思います。

初心を思い出しました・・・!

2011-11-07 11:50:15 | こんな風に生きたい・・・
ひとつ前のブログで書いたように

みんなの幸せを祈ればいい

そんなことを考えていると
いろんな大切なことが頭の中を駆け巡り始めました。
そして結婚する相手を決める時、こんな思いだったことを思い出しました。

「会ったこともない、見たこともない、遠い国の子どもたちのために 写真を見ながらでも一緒に祈れる人。」

そんな思いで、「この人ならそれができる」
そう確信して結婚したのでした。


そして私たち夫婦が愛の発信地となるように…。

一人で祈るより二人で、二人より三人、四人…家族が増えて
家族みんなで祈れば、
一人で祈るよりも何十倍、何百倍の愛のエネルギーとなって
発信できる


そう思って、家庭を築くことを決めたのでした。

道は開かれました!

2011-11-07 10:55:13 | ★天使のささやき★
 あなたのことを攻撃してくる人を包み込みなさい。
周りを攻撃して自分を必死で守ろうとしている人は
愛に飢えているだけなのだから。
愛を注ぎ続けなさい。
愛の光をおしげなく与え続けなさい。
その人の幸せを祈りなさい
。 
 
 


そういうことだったんですね。
この一番大切なことをすっかり忘れてしまっていたことが
好転しない理由だったんだ~

いつもいつもいつもいつも不妊治療の大事な時期に
不愉快で腹立たしい、興奮する、心ざわめく話が浮上するんです。
話はいつも同じ出来事に関する話。
一年以上も私の心を暗くする話。
身内の喧嘩です。
私は関係ないのに、完全に巻き込まれています。
一番心穏やかでいたいと思う時に
必ずこの話はお決まりのように
不思議と私の耳に入ってくるんです。

今まで「私は被害者」と思っていました。
この問題が一切見えない、聞こえない場所に逃げ出したいと思う時もありました。
自分が心穏やかでいるために。

でも夕べふと思いました。
大事な時期に決まってやってくるこの話。
それにはきっと意味があるんだろうって。
これまでもそう思い続けて耐えてきたところがありました。
なるべく心穏やかでいようと。

それでもこの話が浮上するたびに
私の心がかき乱されるということは
私のこの話(問題)に対する受け止め方がどこか間違ってるんじゃないかって。


そんなことを考える直前
「エグザイル魂」という歌番組を聞いていて、
秋川雅史さんの「千の風になって」を聞いて涙が流れていたところでした。
久々に胸(アナハタ)が熱く震えるのを感じていたのでした。
アナハタが動き出したおかげで、
最も嫌な問題の人たちのために祈ろう
そのアイディアがふとやってきたんだと思います。


それまで「私が被害者」と思っているので
「うまくいくように祈ればいいんだろうけど」って思いながらも、
自分に嫌な思いをさせてる人たちのことを祈る気にはとうていなれなかった…。

けど、夕べは違いました。
こんな簡単なこと、
こんな大事なこと、
自分に与えられていた役割を
なんで果たしてこなかったんだろう…。って。
この一年以上の時を無駄にしてきたような気もしました。

でも「いやいや、今気づけたことに感謝。 
気づいて腑に落ちるまでに、私にはこの一年以上の時が必要だったんだから。


そう思うとこの嫌で嫌でたまらなかった出来事も
起こってくれたおかげで
自分にひどいことをする人のことも
寂しい人も
怒り狂う人も
みんなみんな包み込む覚悟がいったんできたことに
感謝の気持ちが湧いてきます。