《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

ちょっこと神戸「レトロな建物」

2013年04月10日 | Weblog

菊正宗の敷地にある「嘉納事務所」。嘉納財閥は「灘の生一本」で知られる、灘五郷の本家・本嘉納家(菊正宗)と分家の白嘉納家(白鶴)の酒造業を母体とする阪神財閥の1つで親戚関係にある。レトロ感のある建物正面入口のプレートには「菊栄不動産」「菊栄商事」の名が見られる。材木商だった本嘉納家は副業として酒造りをしていたのが始まりで、いまそれが本業のようになっている。それにしても公道の交差点もある広い敷地だ。


ちょっこ神戸「処女塚」

2013年04月08日 | Weblog

本来の古墳巡りに戻る。悲恋伝説がある。1人の美しい娘をめぐり2人の男性が火の中でも水の中でも戦いを繰り広げた。思い悩んだ娘は自ら命を絶った。それを知った1人の男性はすぐに娘の後を追い、また負けてはならないともう一人の男性も後を追った。3人の死を嘆き悲しんだ親戚の人々は娘の墓、処女塚古墳を、西に西求塚古墳、そして東に東求塚古墳を造り葬ったとされている。西東の求女古墳はそれぞれが中央の処女塚古墳の方向を向いているのが伝説を一層湧き立たせている。処女塚交差点南東に小高いところにあるが、一見して古墳とはわからない。多くの古墳は山を利用して作られているが、処女塚古墳は平地に砂と粘土を順序良く積み上げて築成された、標高約8m、墳長約68mの前方後方墳でほぼ南向き。年代的には西求女塚古墳より少し新しい。出土土器にはやはり山陰地方の形や文様が見られ、築成は3世紀末か4世紀初め頃と思われている。


ちょこっと神戸「旧西国浜街道・大石村」

2013年04月03日 | Weblog

西求女塚古墳を見学して後、旧西国浜街道に出る。この辺りは「菜の花は灘区の歴史とゆかりが深いことから、灘区民まちづくり会議において、「菜の花」が灘区の歴史の花に決まりました。灘区では、菜種油用の菜の花の栽培が盛んに行われていました。菜の花がたくさん咲いていたことは、与謝蕪村の俳句(40P参照)にも詠われています。現在では、地域の人びとによって都賀川ぞいに菜の花を植える”菜の花のみち”づくりや、灘浜緑地で菜の花まつりが行われています」と(http://www.kkr.mlit.go.jp/rokko/rokko/study/toga/tog-b_2.pdf)にある。説明板が読みづらく、また周辺空地のところどころにしか菜の花は見られなかったのは寂しい。