か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

階段の登り方  2

2019年11月25日 | 教育
タイトル画像の対岸は、戸馳島(とばせ)。この渡し船は廃止された。JR三角駅の目の前が、船着き場で集落に直結し非常に便利だった。
 
しかし、我々は資本主義に生きている。儲からないことは消えていく。儲かることは社会的に不必要でもできてくる。
 
渡しは消え、常識のない橋が、たった数百人の島民のため集落から歩いていけないところに2本も架かった。巧妙だ。離合もしにくい橋をまずかけ、ちゃんとした橋をつくれという声を住民から上げさせ、行政は「住民の要望に応えて・・・」と言って責任を逃れ、土建屋が喜ぶ。
せめて渡し船は残すべきだった。いかようにも観光開発で来た。温泉もあったし、静かな海水浴場、ゴルフ場もある。産業はミカンと花。
 
コネで入った三流公務員員は発想力がない、土建屋系列の議員の駒になる。隣り合う橋を二本架けるというバカな公共事業で当面はしのげてもそれは銭を海に捨て住民はバカ高い税金に泣くこと以外の効果はない。
 
島に唯一に小学校があった。その名も戸馳小学校。今はない。
ちょうど九州のど真ん中に位置するこの島は、いかようにも発展できた。世界最高水準の戸馳ミカンはぼくが食べたミカンの中で一番おいしい。農民は花き生産で豊かだ。
 
全国の義務教育諸学校を半数にする安部が意図する能率化、工場化、学校教育政策には反対に反対する脳もなく、ここではカネをばらまいたので廃校にあたり特段の反対はなかった。今やその町自体が隣りの市に吸収された。(こうして全国の小学校の30%がすでに消えた)
 
子供がいないという理由だが、それは嘘だ。明治、日本の人口が6000万のとき出来た小学校が、令和、1億2千万の現在、人口減を理由に半数も廃校になることはおかしい。
 
廃校であぶれた職員のうち、管理職には手当てが厚かったが、ヒラには何の手当もなかった。
 
その中の一つ、戸馳小学校が消えた。ほぼ最後の管理職として、ある男が児童数100人を切る学校に赴任した。
 
 
熊本県の教職員の給与は極めて安い。兼業農家が多いが兼業禁止の規定は適用されたことがない。県の人件費の節約になるのだ。
 
そんな消えかかったろうそくのような孤島の小学校に赴任することが、栄転であるはずないのだ。
 
その男は泣いた。しかも送別会の場で。熊本の男は見栄と意地に生きている。そのモッコス(肥後の男)が泣いた。定年までわずか数年をのこす男が見苦しくも自分の送別会で泣いた。
 
泣き顔で僕にこう言った。「からけん君もがんばれよ」と、気がつくと上からものをいいだした。
 
なんか様子が少し変。男は廃校寸前の小学校ですら、しゃくりあげながらこう言った。「私なんかにこんな過分な地位をお与えいただき・・・」
 
階段を上ったことがうれしかったのだ。
 
階段という仕組みはその不条理性をばらまきながら、社会のあらゆる差別構造と癒着し、人間の精神も食いつくしている。
 
 
戸馳側から三角を見る


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