か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

階段の登り方  1

2019年11月24日 | 社会・経済
皆様のブログを拝見していると、驚いたり頭の下がる思いがしたり・・・


毎日素敵な献立を紹介してくださる方。一日として同じ献立はなく、とりたてて貴重な食材を使うでもなくしかし同じ料理を見たことがない。こんな方の玄関はきっと清潔に片付いているし、整然とした台所が容易に想像できる。

今後も献立の参考にしようと思う。

またある人は、日常の人間関係について、きわめてまともだが我々が見落としがちになる視点を提示される方。ご自分の生き方の決意を述べられつつも本当はこんな生き方もあるよと、困っている人、退職して生きがいを見失った人、に珠玉の言葉を残されている。

到底ぼくにはできない。


ぼくにはこのお二人が先生である。

料理
普通にあるものを利用し基本を押さえて適切にアレンジする。そしてそれを楽しむ。日常のすべてにおいても深く観察し考えてこられたに違いない。


団塊世代
今の中年はバブルを懐かしがる。スケールが小さい。団塊の世代が経験した「カネへん」「いとへん」「特需」「神武」や「岩戸」に始まる経済成長はバブルなんてもんじゃない。年3回昇給、それでもたらず過去にさかのぼって昇給、ボーナスは家が建つほどであった。
株価は大化けつづき、普通預金ですら10%/年利が出現した。

こうなると通常、人はカネもうけしか考えなくなる。ものごとの意味や価値はすべて銭でカウントしなおされた。とくに戦後の極貧を知る世代は、雨のように降ってくる銭に狂喜した。

銭儲けしてこそ一人前。こういう考えは現在でも蔓延している。だがすべての人にもれなく蔓延してはいない。高度経済成長の最大の弊害は、すべてを銭で計算してよいという考えをすべての人の頭の中に植え付けたことだ。

そんな中、物事をきちんと考えることをおろそかにせず、仕事もできるがしかし埋没せず寡黙に日々をこなしていく・・・。

ぼくにはお二人がかっこよくてたまらない。



つづく


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