小城羊羹の本店前には誇らしげにこの看板が掲げてあった
いくら帝国政府や軍がお粗末だったといっても、太平洋戦争中を通じてずっとこんなバカなことを言い続けていたのではない。ましてや本気で竹槍で10000メートル上空のB29を落とすとかバケツリレーでナパームを消すとか思ったはずはない。現場の低能を別とすれば。
開戦間もなく女学生にも銃の訓練が始まった。しかし物資窮乏はすぐに表れ、無計画で行き当たりばったり、困ったら精神論の帝国は、開戦3か月後に絶対勝てない状況でもがいていた。
一人5発の射撃訓練は3発になり1発になり、ついには一人が撃つのを5人が見学するようになった。
こう書くと勘違い低能無思考のバカが、女学生が銃を持つなんて軍国主義、ましてや戦争は恐ろしい、という発言をまともなつもりで張り上げる。ばか。
そんなら戦争をするな。近代戦は総力戦である。そうでない戦争はない。つまり銃を持てたら兵士である。だから都市に住むあらゆる人間をナパームで殺すのは正当化された。子供を殺しても赤ん坊を殺しても将来の兵士を殺しているのだと。そうして日本人は100万が死んだ。
福岡に平和台という公園がある。戦後野球場ができたりしたが、戦前は練兵場だった。僕の母はそこで銃の訓練を受けた。授業がなくなるのでそれなりに楽しかったそうだが腹が減るのがいやだったそうだ。
だが、やがて訓練では一発も撃たなくなり、着剣して藁人形を突いた。
時代は少しずつ変わっていく。だから時代が変化する直前と直後だけしか見ないと、狂っていく時代の流れを見失う。
こんなことして戦争に勝てるか、という至極当然な疑問はあっても口に出せない。一生懸命藁人形を刺すうちに考えない人間になっていく。
母の名誉のために書いておくと、福岡の最高の女学校に通う才媛たちがおそまつなバカデマに惑わされるはずはなかった。下士官たちが絶叫するから仕方なくやってただけだ。たまに来る若い少尉にはあこがれたけど。
さて現代、
拉致被害者が何人いるのか。860人だと。これも竹やりごっこね。あの貧乏北朝鮮は何のために860人も食わせ続けるのか。スパイはそんなに要りません。日本語教官はそこらの中学生を拉致してもできません。
北が憎いあまり、あるいはミサイルに怯えるあまり、あるいは頭が悪いせいで、竹やりでB29を落とそうとしている。長野県では、ミサイルが来たら頭を抱えてしゃがみましょう、だそうだ。戦時中よりお粗末だ。あるいは、長野県人の頭はマッハ8に耐えるようだ。
頭は考えることでしかよくならない。思考停止で確実に悪くなる。
北が憎いあまり、悪者にすれば自分の票になると信じる安倍。トランプも言うのをやめた「圧力」を世界で一人言い続け、安倍はこともあろうに喧嘩を売っておいて話し合いにつなげようとしているから、もう少し思考力が欲しかったと思う。よい大学教育に出会っていない証左だ。
自分さえ助かればよいとしか考えない国民のおめでたさもさることながら、安倍は憲法改正して国民の権利を制限しようとしているのが明白だ。この国には、安倍万歳を叫んで竹やりを持つアホたちが多い。
いいか、
日朝会談はない。北との主張の隔たりが大きすぎる。日本の放漫財政は戦時賠償のゆとりがない。会談自体が成立しないほうがいいのだ。
韓国も反対する。その会談は万一成功すると市場を日本に盗られるだけだから。
その会談がないと拉致被害者がもし生きているとしても帰す名分が立たない。つまり、帰らない。
王手飛車取りは相当の失策であり、家族会が政府に首根っこを捕まえられているから可能になった安倍一味の世論操作の成功である。
この状態を何というか。 四面楚歌。安倍が招いた事態だ。今までなら分かれ道があった。もうない。