理解不能なことが増えると不安になる。負け犬が安心するためには,傷を舐め合う。
群れるのは不安から目を反すためだ。勝負をあきらめたくせに敗北を認めずごみ溜めにこもって硫化水素に酔う。
通常、理解不能なことがあると、ひとまずは解こうと努力する。解けるとそれは好循環になり自分で問題を作り解いたりするようになる。好循環だ。
与えられたものすら解かないのがいるが、与えられたものを解いてだけいても一流の理系には行けない。「それがそうならこの時はどうだ?」、といわゆる自学だ。
さらにいうと、人類の特徴たる並列計算。Aを説きながら脳のCPUは余った部分を活用していろんな場合を想定し頭のなかで策定した5,6個の問題を解きながら進む。だから同じ問題を同じだけ解いても差が出るのだ。本当に思考している人間に運命の女神がほほ笑むようにできている。
何浪しても合格できないのは、あえて横道にそれて能動的に問題と取り組むことをしないからだ。上から降ってくる問題にどう食いつこうかだけ考える受動的金魚系の人間は本来国の理系には不要だ。金払って医学部いけよ。
何を間違えたのか明日は小郡自衛隊展に招待された。ここは有名ではないが歴史的には極めて重要な陸軍基地だ。防衛大学を出たのも何人かいる。
僕はそこらのあほより数学が得意だとうぬぼれていたが、防衛大学の入試問題は実に気合が入っている。お受験組とか学校の補修とか予備校とか・・・人に頼る奴はいい点を取れない。本当に数学というものが分かってないと汚いテクニックでは太刀打ちできない。いいことだ。
合格した者も大した点数は取ってないと思うが、とにかく問題がそこにある限り僕は100点がとりたい。
勉強とは本来孤独なものだ。一緒に勉強するなんてままごとは、なんちゃって高校に行くエンコー仲間たちのすることだ。
しかし、ふとしたことで発想が浮かび問題が解決したりするとだんだん面白みが出てくる。ここが大事なところだ。それを繰り返すことは、まじめに一つのことをとことん考える癖を醸成する。
考える癖はまじめさも醸成する。
僕は明日が楽しみだ。若い将校たちの澄んだ目が好きだ。僕ぐらいの年にになると濁っている。興味ない。
秋の七草はもうたくさんUPされているだろうから。
miffy-dishに料理を乗せたら変質者に思われた。それもよし。
半分凍ったゼリーに種無しを沈めてある。いい発想だ。