か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   21

2016年08月21日 | 韓国

訳者注   訳をするとは、大変な作業だ。完璧に出来て当たり前。われながらうまい意訳が出来たぞ、と思うところにクレームが来ると心中(しんちゅう)穏やかではない。

原則的に、翻訳者はその題材を選べない。50~100pageならどうでもいいが大作は自分の好きなものを訳したい。バカな文章まで丁寧に訳するのは神だろう。

したがって、まともな意見を訳してみようとすると自発的無料奉仕でやるしかない。

 

前回からのつづき

・・・つまり、グローバルな視点を持つか、民族主義の視点であるのかの違いによって、評価が異なることもありうるということでしょうか?

いや、もっとひどい例もあります。自分達の歴史と文化遺産を自ら破壊した民俗が、まさにわれわれ自身だということです。植民地時代の略奪も経済的観点から見れば、一種の取引でした。その日の糧にばかりに目を奪われ、われわれの遺産と遺物を市場経済にに持ち出したのは誰ですか。それにとどまっらず、日本人がこれを買い取り保存したため、当時の遺産や遺物がその分残っているのです。全体的に見るとき、植民地時代に破壊された文化財は10%に過ぎず、90%はわれわれ自らが放棄し販売したものです。

近代化というものは、自尊心や感性で語られるものではないのです。国民啓蒙教育がいつ始まりましたか。資本と技術の蓄積がいつから始まったのですか。植民地時代を経て自由民主主義を基礎にした建国が完成することによりはじめて近代化のタネがまかれたのではないですか。そうしてそれを朴正熙が完成させたのです。原因の無い結果は決して存在することはありません。近代化なくしては経済発展は不可能であるのに、李承晩も否定し朴正熙も否定する、植民地も否定するのなら、近代化と経済発展は、ある日突然、空から降ってきたとでもいうのですか。そんな事言ってはダメ。

まあ、見方によっては、朴正熙があまりにもたやすく生活の安定を成し遂げたため、結果的には国民は、上に述べたことをよく考えないようになったという側面もあります。

 

引用:アンビョンシク(ソウル大名誉教授) 「植民地、李承晩、朴正熙を否定しながら経済発展だけを認める。 それは語不成説(話にならん)。」

 

 

 

 

 

 

 

次回用メモ   14

 


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