引用
最長月130時間の残業などで元電通社員の高橋まつりさん=当時(24)=が自殺し、三田労働基準監督署(東京)が過労死として認定していたことを7日、遺族側弁護士が会見で明らかにした。
弁護士によると、高橋さんは平成27年3月、東京大文学部を卒業後、同年4月に電通に入社。インターネットの広告部門を担当し、同年10月から証券会社の広告業務も入った。弁護士側が入退館記録を基に集計した残業は、10月が130時間、11月が99時間となっていた。休日や深夜の勤務も連続し、12月25日に、住んでいた寮から投身自殺した。
高橋さんが友人や母親に送信したツイッターなどでは、1日2時間睡眠が続いたことなどを訴えた上で、「これが続くなら死にたいな」「死んだほうがよっぽど幸福」と記していた。 newsまとめもりーから
長谷川は、残業が100時間を越えたぐらいで・・・とのべた。この発言を生み出す思想とは、こうだ。
もっとハードルが高くても飛び越える人間でなければいけない。仕事を、きちんと、立派に、命じられた以上、行ってこそ一人前だ、というまるで50年前の高度成長期の労働狂想曲に酔っていた頃の日本でチンピラ経営者がゴルフをしながら言う発言だ。
アプリオリに企業は存在したのか。これは大人同士の議論にはならない。学生の前期考査の問題だ。
答えは簡単だ。アダムとイブの前に企業は存在していたか。長谷川にわかりやすくいうと、企業とはわれわれが豊かで幸せな人生を送るための手段である。その企業に滅私奉公をしろというのは、人殺し電通の共犯である。
こんなのをかかえる武蔵野大学とはどんなチンピラが人事をするのか。
「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという意識」があれば無制限に残業すべきだという。長谷川はこの文章を書くとき自分とダブらせて、なりあがろうと必死だった半生が浮かんだようだ。
今、池には鯉がいる。エサにありつこうと必死にもがきあう鯉の一匹に、特にあさましいのがいる。僕は、今後そいつを長谷川と呼ぶ。
鯉長谷川は、のし上がり、よいエサを、よいエサをとまさぐる人生だったので、労働条件とは、賃金労働契約に基づく労働力商品の対価としての労賃、労働時間、労働強度、であることをわからないでいる。
どんなに優れた研究者が核融合に成功しようと、残業狂いで頑張った結果なら、それを褒め称える社会はまともではない。
企業では、日々の競争よりも定年までの長いスパンでいろんなことを経験しながら人は育ちつづける。人の失敗や不十分さを断片として切り取って評価するのは気違いのすることだ。
電通をはじめ日本には、この気違い企業が多い。
鯉長谷川の文章はなかなかイラッとさせる文だ。取り下げたようだが、黙って取り下げるのは卑怯だ。
人が死んだのを嘲笑した罰は受けてもらわねばならない。みんカラというブログでも、韓国のフェリーが沈んで300人死んだ事件を心から喜ぶ奴がいて、気持ちが悪くあまり近寄らないようにしている。気違いは何をするか分からない。
鯉長谷川、自殺者が悪いというなら労災のカネはもらうなといえ。取り消したぐらいでは済まんのだ。
かかって来い。