遭難信号が発信された23日午後3時20分の直前、奄美沖を航行中の春日丸を右舷から大きな波が襲った。当時の波高は2~2・5メートル。船は大きく傾き、ほんの数分で横倒しになった。
転覆直後、北川船長ら乗組員6人は救命いかだに乗り移ったが、転覆の衝撃で破損したのか、少しずつ空気が抜けていった。いかだをあきらめ、北川船長と下池力さんは浮輪や木枠をつかんで漂流。村田さんら他の4人は発泡スチロールや漁具などをロープで体に縛り付け、離ればなれにならないように互いにつないだ。荒れた海で4人は漁船からどんどん遠ざかり、そのうちにサメの群れに襲われた。現場海域には、どう猛なイタチザメなどが生息しており、村田さんは両脚をかまれながらも、体長1メートルほどのサメ2匹と格闘し、両腕で締め付けるなどして殺したという。
村田さんらは「絶対全員で生きるぞ」と声をかけ合って救助を待ち、約7時間後、巡視船「かいもん」のゴムボートにいったん救助された。しかし、ボートを巡視船に引き揚げる際、松山和則さんと佐々木弘さんが転落して行方不明となった。
一方、北川船長と下池さんは転覆から約15時間後の24日午前6時17分頃、巡視船「くだか」の潜水士に発見、救助された。
読売新聞 3月26日(月)
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村田さん、よく頑張られました。
ほんとによく頑張られたと思います。僕もSea Manとして新聞だけでは紙面の制約上十分ではないところがあると思い、また『みんカラ』読者の参考になることを願ってこの文を書いています。
波高。 2~2.5mは大したことなさそうに思えます。しかし波高とは大きな波の平均値を言うのであり2メートルの波ということは5個の波の平均が2メートルなだけで5個に1個はその2倍の波が来ます。5mの波を想像してください。しかも波はさまざまな波高の波がさまざまな方向から来て合成された複雑な波です。風も強く吹いていました。風の方向は波の方向と異なっていて舵はほとんど効かない状態だったと思います。舵はクルマのハンドルと異なり効くときは5cm動かしても船は豪快に舳先を回転させてくれます。しかし、効かないときは面舵から取り舵までフルにまわしても舳先にはたいして変化がない場合があります。
村田さんは機関の責任者でしたが操舵室で操船の手伝いをされたようです。それだけでもほとんどの体力を使いきっていたと思います。右舷からの波に関しては船を右回転させるのが鉄則です。これを波に立てると言います。波に立てようにもそうすると今度は船が左舷側に傾きます。そこで万事休すとなったようです。
救命いかだをだしMay Dayの信号をだし全員が乗り移ることができたのですから村田さん他乗組員の最後の最後までの努力と判断の正確さをたたえるべきです。船長の救命胴衣着用の指示が遅かったと海を知らない人は言ってるようです。周期1秒で不規則に5mも上下する操舵室で何かにつかまらずにいたら即座に海の藻屑となります。窓を閉めていたら?バカなことを言いなさんな。70キロの肉塊が5mの高さから落ちたらいかほどの破壊力になりますか。だれがそこでジャケットを着れますか。
7時間の漂流。この時期の海は真冬です。普通の人なら30分で死にます。絶望するからです。僕も遭難して巡視船「ちくぜん」に救助されたことがありますが、「神様何でもしますからここでだけは死なせないでください」と祈ったことを覚えています。
海では状況が絶望的になって、たとえば低体温症になったりして死ぬのではありません。孤独と絶望にその人の心が耐えきれず死ぬのです。
それを両脚をサメに噛まれながら戦い2匹も殺すなんてこと半端な精神力ではできません。釣り上げたばかりの魚の力はすさまじいものがあります。僕は金属バットを乗せていました。それが水中です。頭の悪いサメは見境ない攻撃をします。1mのサメはそり返る板ばねの強さがあります。
僕は思います。もう十分に最高の漁師であり機関長であった村田さん。できたらもう海には出ないでください。
転覆直後、北川船長ら乗組員6人は救命いかだに乗り移ったが、転覆の衝撃で破損したのか、少しずつ空気が抜けていった。いかだをあきらめ、北川船長と下池力さんは浮輪や木枠をつかんで漂流。村田さんら他の4人は発泡スチロールや漁具などをロープで体に縛り付け、離ればなれにならないように互いにつないだ。荒れた海で4人は漁船からどんどん遠ざかり、そのうちにサメの群れに襲われた。現場海域には、どう猛なイタチザメなどが生息しており、村田さんは両脚をかまれながらも、体長1メートルほどのサメ2匹と格闘し、両腕で締め付けるなどして殺したという。
村田さんらは「絶対全員で生きるぞ」と声をかけ合って救助を待ち、約7時間後、巡視船「かいもん」のゴムボートにいったん救助された。しかし、ボートを巡視船に引き揚げる際、松山和則さんと佐々木弘さんが転落して行方不明となった。
一方、北川船長と下池さんは転覆から約15時間後の24日午前6時17分頃、巡視船「くだか」の潜水士に発見、救助された。
読売新聞 3月26日(月)
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村田さん、よく頑張られました。
ほんとによく頑張られたと思います。僕もSea Manとして新聞だけでは紙面の制約上十分ではないところがあると思い、また『みんカラ』読者の参考になることを願ってこの文を書いています。
波高。 2~2.5mは大したことなさそうに思えます。しかし波高とは大きな波の平均値を言うのであり2メートルの波ということは5個の波の平均が2メートルなだけで5個に1個はその2倍の波が来ます。5mの波を想像してください。しかも波はさまざまな波高の波がさまざまな方向から来て合成された複雑な波です。風も強く吹いていました。風の方向は波の方向と異なっていて舵はほとんど効かない状態だったと思います。舵はクルマのハンドルと異なり効くときは5cm動かしても船は豪快に舳先を回転させてくれます。しかし、効かないときは面舵から取り舵までフルにまわしても舳先にはたいして変化がない場合があります。
村田さんは機関の責任者でしたが操舵室で操船の手伝いをされたようです。それだけでもほとんどの体力を使いきっていたと思います。右舷からの波に関しては船を右回転させるのが鉄則です。これを波に立てると言います。波に立てようにもそうすると今度は船が左舷側に傾きます。そこで万事休すとなったようです。
救命いかだをだしMay Dayの信号をだし全員が乗り移ることができたのですから村田さん他乗組員の最後の最後までの努力と判断の正確さをたたえるべきです。船長の救命胴衣着用の指示が遅かったと海を知らない人は言ってるようです。周期1秒で不規則に5mも上下する操舵室で何かにつかまらずにいたら即座に海の藻屑となります。窓を閉めていたら?バカなことを言いなさんな。70キロの肉塊が5mの高さから落ちたらいかほどの破壊力になりますか。だれがそこでジャケットを着れますか。
7時間の漂流。この時期の海は真冬です。普通の人なら30分で死にます。絶望するからです。僕も遭難して巡視船「ちくぜん」に救助されたことがありますが、「神様何でもしますからここでだけは死なせないでください」と祈ったことを覚えています。
海では状況が絶望的になって、たとえば低体温症になったりして死ぬのではありません。孤独と絶望にその人の心が耐えきれず死ぬのです。
それを両脚をサメに噛まれながら戦い2匹も殺すなんてこと半端な精神力ではできません。釣り上げたばかりの魚の力はすさまじいものがあります。僕は金属バットを乗せていました。それが水中です。頭の悪いサメは見境ない攻撃をします。1mのサメはそり返る板ばねの強さがあります。
僕は思います。もう十分に最高の漁師であり機関長であった村田さん。できたらもう海には出ないでください。