べつに、どこかの記事の引用をするまでもなく、原発事故の影響で福島では心を病んだりする人が多く増える状態になっている。これを否定する人はいない。
一人も死んでないから過剰なケアは要らないと語気を強めて主張した大臣がいた。世の大勢を理解するなら、政治的にもその発言はまずい。どんなに右翼でもおおっぴらにはその手の発言は控えている。
一般に、権力の相互関係の総体を、Political、という。(これは通説として定着しているものです えらそうにすみません)
政治的意識というのは、politicalであることの一面であるが、教育で醸成されるものではない。政党の中では最高に高学歴の共産党は、拉致問題について自民党が自作自演したという説に固執した。つまり大失態を演じた。つまり間違えたPoliticalだ。
ではまともなPoliticalというものはいかように形成されるか。歴史だ。1215,1688・・・イギリスでは日本が鎌倉や江戸のとき民主主義と人権と権力分立は完成していた。日本より500年早く、社会を安定させる方法を学んできた。今回も間違いなく大人の国民は、必ず安定を選択する。イギリスはどう転ぼうと安定する。このブログを賭けよう。
何のためここまで書いたかというと、福島を見る世論が、民主主義に反する情緒や声の大きいものに、ひきずられているから憂慮するのだ。
たしかに文頭に書いた様に心が折れた人は多い。すると、医療措置が急務となる。足りない。汚染して使えない。で、全国から医療従事者を集めよう、ということになり美談が成立する。第二次大戦と同じだ。「売春婦ですら愛国心に燃えて砲弾を運びました。」ウソツケ。砲弾は40キロある。どうして女が運べるか。
つまり、どんなにウソでも何の治療もしなくても、わざわざ九州からかけつけた正義感に燃えたイケメン若手医師というまやかしの美談が作られる。能力がなく勉強もしない田舎の技術でメンタルヘルスが出来ようものか。オマエはただのくらげみたいになーんにも考えない浮遊物だ。
自分の医院の患者には張り紙一枚で、医院を10日ほど空けた。10日のパフォーマンスのために。
まず自分の医院の患者について。とつぜん10日あけられて「まじめな扱いを受けてない」と感じるのは当たり前だろ。
次に、福島。テントで診察する。福島の人の精神病は1,2回の通院で直るのか。しかも彼は近所では患者を怒りまくることで有名だった。怒るという刺激は医療上必要だ、とか舛添みたいなウソをつく。
そんな人間がボランティアしたらいかんだろう。
彼はなぜ福島まで行ったか。地元で有名になるためだ。利益を度外視して貧しい福島の農民にために誠心誠意貢献したと。
バカにするな。こそこそ休む暇もなく独楽鼠の様に動き周り、薬をバケツで撒く様にばら撒き、たかが10億貯めたか。
オマエは福島の惨状について、たった10日間でわかったそうだが、
僕はお前に皮肉を言うぞ。 かかって来い。ええカッコしいが、人生に勝ったと思うなよ。