時間というものは決まった一本の流れをしていて分かれて別の世界を作るでもなく、その流れのスピードも一定である。するとBig bangにより時間と質量が誕生したとすれば、時間はくそまじめに一本道を通ってきた。正確な懐中時計を片手に時間は寄り道もせず今に至っている。
と考えるのが通常だった。
パラレルワールドの話をしたいのだ。
自然科学にも栄枯盛衰がある。真理に向かって一直線とはいかない。科学は真理を目指すものではない。説明力の合理性を目指している。科学への勝手な理解は無駄な誤解を生む。
上で述べたように科学は説明学であるから時代が進むと説明のつくことも増えるがそれ以上に説明のつかないことも増える。パラレルワールドなんてあるもんか、という考えが主流になったり、また別の考えがはやる。 ふたたび、いやいや一概には否定できんぞという時代がきたりする。
今まさにひょっとしてあるかもと考える理論物理学者が増えている。
普通に考えて、陽子が多すぎる。反陽子は極めてまれだ。Big Bangを疑うとおおもとが崩れ収拾がつかなくなるし、多くのことが膨張する宇宙の根拠にBig Bangを置くことで説明がついてきた。
普通に計算すると陽子と反陽子は電磁気力という違いだけなのだから同数でなければ計算がどんどんいびつになり現実的でない。じゃあ、反陽子はどこへ行ったのだ。
それら反陽子とか反電子とか電荷のみが異なる世界を考えるとか、この世と全く変わらぬ世界が別にもう一つ成立していてもいいし、そう考えるのがよく説明がつく。
僕は時間が分かれたという点は賛成だが何も二つに限ることはないと思う。それどころか無限の世界があり集合離散を繰り返しているし、この世なんてほぼ無限、無数の世界のほんの一断面に過ぎないと思う。とっくの昔に僕の考えをした人はいた。100年前。
言いたいのはこうだ。
宇宙のどこかにもう一人の僕がいるなんて、なんてロマンチックだろう。
どんな人もたいていなりたい自分になった人はいない。東大の問題を見て愕然とし己の無能を嘆き3流大を出てしがない中小企業で残業にあえいでいる。
もう少し恵まれた高校に言っていたら。もう少し勉強に理解のある家庭だったら。僕の宇宙科学者になりたいという小学校の時の夢は実現したのに。
場末の屋台で飲んだくれて、俺はほんとはこんなところにいる人間じゃないんだとわめくか。
パラレルワールドのもう一つの世界の自分が俺を見たらバカにするだろう。・・・か。
いいや、決してそんなことはない。道があったのにわざわざ選ばなかったことがあるか。運がなかったことまで自分のせいにしてはいけない。自分以外の理由で夢がかなわなかったとしても、そのことで自分を恥じてはいけない。
もう一人の自分は褒めてくれるよ。
多次元世界の存在を主張したホーキング博士の御冥福を祈ります。